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パソコンを持って街を棄てろ!  作者: ケケロ脱走兵
8/58

(八)

 東京の朝は物憂い。残飯を漁るカラスの鳴き声がいち日の始まり

を不安な気分にさせ、そんな朝は決まって救急車が走り、犬が吠え

る。こっちの様子など解からない筈のテレビの連中が「空気を読め

!」と罵っている。やがて人の気配が忙しくなって世間に日常の電

源が入る。稼動を始めた日常は加速を強め朝の「物憂さ」を消し去

るが、「ものぐさ」な気分は身に付きまとう。

「ああ、またいつもの一日かっ!」

と、慌てて起き上がろうとしたが昨夜の酒が残っていた。立ち上が

ると頭が首から落ちるように思えた。しかし、どうしても水が飲み

たくなったので、頭が落ちないように両手で支えてフラつきながら

給水機がある洗面所に行ったが、

「これはいつもの一日にはなりそうもないな」

と、私は昨日に続いて今日も仕事を休むことになり、社会から取り

残された解放感とそれを超える不安と、どちらを気にするべきか迷

っていた。これは子供の頃、学校へ向かう登校路を外れて山の中に

ある私だけの秘密基地に行った日のことを思い出させた。

 それは幽霊屋敷と云われた廃屋で、奥の一室には書棚があって自

殺したと云われる主人に見捨てられた本や雑誌が寄り添いながら朽

ちていた。その部屋を発見した時の興奮は今でも忘れられない。僕

等は仲間の四人で探検することになって、というのはその本棚にエ

ロい本がいっぱいあったという話しを誰かが言ったからだ。学校が

休みの日に、芽生えたばかりの好奇心は興奮を隠せずにみんなで揃

ってその屋敷に入った。すぐに僕は書棚の本を手にしたが、誰かが

奥の壁に吊るされた肖像写真を指差して奇声を発したので恐怖のあ

まりみんなが一斉に逃げ出す破目になった。それでもその本に強い

興味を持った僕は恐る恐る後日になって単独行を試みた。そこには

見たことの無い写真集や百科事典、単行本のマンガ、それに目当て

のイカガワシイ写真が載った雑誌、とりわけ裸の男の人と重なり合

った女性の「哀しげで嬉しそう」な複雑な表情に不思議な動揺を覚

えた。私は興奮を抑えられずにその写真を丁寧に破り取って四つ折

りにしてポケットに入れて持ち歩いた。そして授業中も僕のポケッ

トには友だちの知らない世界の秘密が隠されていた。しかし、つい

にはボロボロになって、彼女の哀しさと嬉しさを切り離そうとする

裂け目が現れたので、しかたなく基地に作った秘密の宝入れに戻し

た。それからは学校が終わってもすぐに家には帰らず、人に気付か

れないように道を外れて、幽霊屋敷の書棚に残された知られざる世

界の秘密を解き明かすことに熱中した。ある日、何があったのか忘

れたが学校へ行くのが嫌になり登校中に道を逸れて秘密基地に行っ

た。光が差し込む窓を開けその敷居に腰を預けてマンガを読んでい

た。やがて朝礼が始まる時間になり、一時間目が終わろうとした頃

には、毎日の習慣を逸脱してしまった不安に苛まれマンガも読めな

くなってしまった。やがてその不安がきっかけでそれまで気付かな

かった幽霊屋敷の不気味さが増幅されて迫ってきて恐怖のあまり逃

げ出した。やっぱり学校へ行こうと思い、遅くなったが通学路を歩

いていると、パトカーがやって来ておまわりさんに乗せられて学校

へ連れて行かれた。その学校では消息が不明だといって事件になっ

ていた。やがて仕事を途中で止めて母も駆けつけてひたすら頭を下

げていた。そして何処に居たのかしつこく聞かれて、仕方なく吐い

た秘密基地はすぐに壊されてしまった。その後もあの「哀しげで嬉

しそう」な彼女の写真を失ったことを長く後悔した。その後も社会

生活の中で日常に退屈するとあの秘密基地での自由な時間やさまざ

まな世界の秘密とイカガワしい欲望のことや、それに反して社会を

逸脱することの不安も同時に記憶の中から蘇ってきた。きのうはピ

ンハネ会社に仕事を休む連絡を取ったが、さすがに今日は気が重く

なって電話もしなかった。おそらくもう仕事にはありつけないだろ

う、私は本当の住所不定無職になってしまった。

「ああっ、これからどうしよう...」

不安が過ぎったが仕事を失ったことを後悔などしなかった、つまり

その程度の仕事だった。ただ「これから」の私は「それから」の代

助のように「高等遊民」にはなれないと思った、遊民ではあるが。

二日酔いの血流の滞った頭で考えていると不安が絶望を連れてきて

、学校をサボった秘密基地での不安が蘇ってきた。しかし今の私に

選ぶことができる選択がほとんど無いことに絶望した。

「そうか、高等遊民とは多くの選択から選べる者のことか」

まるで私は役柄も台詞も知らないまま舞台の上に放り出された役者

のように、周りで演じられる日常劇に右往左往していた。役目を得

て社会で生活をしていると社会の煩わしさに嫌気が差し、社会から

遠ざかれば途端に生活が立ち行かなくなる。私はどうしても社会と

上手くやれなかった。

「あれっ?仕事行かなくていいの?」

バロックだった。

「もうやめた!」

「ふーん、せやな、もうそんな仕事辞めた方がええな」

「ああ」

「俺、今から部屋探して来るから、もしよかったらその部屋の住所

でちゃんとした仕事見つかるやろ?」

「ありがとう」

一つ選択ができた。バロックとK帯の番号を教え合って、彼はギタ

ーを弾く真似をしてから、

「ほんだら、またきのうのトコで会おうや」

そして手を上げて出て行った。寝カフェは留まっていると料金が加

算されるので私もすぐにそこを出た。


                        (つづく)

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