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パソコンを持って街を棄てろ!  作者: ケケロ脱走兵
56/58

(五十六)

 いよいよ私の個展が始まった。中国で歩数を数えて歩いてる老先

生が、それは雑誌に載った私との対談が短かすぎて、仕方なく空い

たページを埋める為に載った記事を、老先生は過去の文章を載せよ

うとした出版社を咎めて、わざわざわ私のために推薦文を書き下ろ

してくれて、その一文が人気を呼んで私の初めての個展は盛況だっ

た。その一文の中で、老先生は私を「逆光の画家」と呼んだ。

「ホームレスという逆境の中から独自の画風を掴み取り、まるで絵

画の技法に逆行する大胆なコンポジションはまさに『逆光の画家』

と呼ぶに相応しい」

 私が酔っ払って汚した箇所を仕方なく墨で塗り潰して、逆光に翳

る建物のシルエットに誤魔化した、左半分が真っ黒の絵画が、何と

っ、斬新だと絶賛されていたのだ。ところが、女社長は間違ってリ

ーフレットに「逆境の画家」と書いたため、私はギャラリーから執

(しつこ)くホームレスの時の事を聴かれてウンザリした。

 それでも、老先生が名付けた「逆光の画家」は、私が悩んでいた

技法に大きな順光を与えてくれた。つまり、遠近法は近くが良く見

えて遠くなるにつれて見え難くなる。ところが、逆光は近くのオブ

ジェに反射する光が少ないために色彩を奪われるが、離れるに従っ

て輪郭より反射した光で色彩が甦ってくるのだ。つまり、遠近法と

は逆行した光の法則で描けないだろうか。私はこの逆説的な「コン

ポジション」の発見に飛び上がるほど歓喜した。私はもう個展どこ

ろではなかった。更に、女社長への想いすら忘れてしまった。私は

今すぐにでも部屋に閉じこもって画を描きたくなった。

 私と女社長は、老先生の留守の間ほとんど毎夜逢っていた。それ

でも老先生の部屋があるホテルでは、さすがに人目を気にして連れ

だって歩くことはなかった。私は彼女には言わなかったが、老先生

に対する後ろめたい気持ちが次第に頭の片隅を過ぎって、黙り込む

ようになった。二人でいる時には老先生の話しを避ける彼女も、恐

らくそう思っていたに違いなかった。本能では許し合えても、互い

の理性には越えられないわだかまりがあった。

 私の個展は老先生の威を借りて盛況のうちに終わった。女社長に

呼ばれて何度も高名な画家に紹介されが、彼らは明らかに老先生が

目当てで、老先生が居ないことが判ると記帳を済ませて、展示の前

を足早に回ってからサッサと立ち去った。私はそういう人たちに励

まされる度に自信を失った。それでも女社長は画商としての如才な

さを発揮して、

「おめでとう、完売したわよ」

そう言って私の両手を握ったが、私は訳の解らない屈辱感に苛まれ

ていた。果たして、画家というのは絵画が売れるということをどう

理解すればいいのだろう。私は自分の絵画を買った一人一人に、ど

うして私の絵画を買ったのか聞きたかった。描いた本人がそんなこ

とを言うのもなんだが、素直に私の絵画の価値を認められたとは思

えなかった。今や絵画は絵画本来の価値ではなく、画家には到底理

解出来ないことだが、社会的な付加価値によって買われている。そ

してそれは芸術家の独立した精神を堕落させた。更に深刻なのは、

芸術家がその精神を大衆に売り飛ばしたことだ。もはや芸術は大衆

に媚びる淫売に身を落とした。私が言うのは間違っているかもしれ

ないが、芸術が失ったのは「独立した精神」ではないだろうか。

 老先生への感謝と関係者への(ねぎら)いをスピーチして打ち上

げパーティーが始まったが、私は緊張から解放されて乾杯のシャン

パンだけで酩酊した。

 目が覚めたらまたも老先生のベッドの上だった。私は寝返りを打

ってベッドの横のデジタル時計を見た。08:43、もう朝だった。

女社長は息子の支度で家に帰ったに違いない。私は再び寝返りを打

って天井を見つめながら昨夜の事を思い出そうとしたが、画廊での

打ち上げの後の映像を再生することが出来なかった。しかし、女社

長の「しっかりしてよ」と「ちゃんと歩きなさい」という言葉だけ

は何故か録音されていた。上半身を起こすと、スーツの上着が脱が

されネクタイも解かれていた。ベルトは緩められていたが、ズボン

は穿いたままだった。ネットカフェ以来のだるい目覚めが不快だっ

たが、それは身体的な反応であってまだ感情は眠ったままだった。

私は躊躇わずに大きなだらしない放屁をした。そして、

「そうだっ」

「逆光の近遠法」だ。私は老先生の言葉から閃いた技法を、そうタ

イトルを付けファイルして頭の中の「絵画」の引き出しの一番大事

な場所に優先番号①と書いて置いてあった。それを思い出して立ち

上がった。

「画を描かなければ」

私はバスルームへ入って用を足し、それから顔を洗い終えるとシャ

ワーを浴びたくなった。バロックから借りてる部屋には浴室がなか

った。シャワーを浴びると眠っていた感情も目覚めた。バスタオル

で頭を拭いていると、インターホンが鳴った。私は女社長が戻って

来たと思い、バスタオルだけを腰に巻いて疑いもせずにドアを開け

た。するとドアの前には中国を散歩している筈の老先生が怪しいマ

スクを掛けて亡霊の様に立って居た。


                        (つづく)

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