(五十五)
「会いたい」
私はこの三日間、上の空で描いていた画を早々に諦め、握り締めて
いた筆を放り投げて部屋を出た。もう昼を過ぎていた。大通りでタ
クシーを止めて座席に飛び込んだ。するとドライバーが、
「都心は入れないっすよ」
「えっ、何で?」
「あれっ、知らないんですか、マラソン」
「あっ、今日?」
知ってはいたが今日だとは思わなかった。仕方がないので最寄の駅
に行ってもらい電車で向かうことにした。そもそも3万5千人もの
人が一体何の為に一緒に走るのだろうか。42キロも走ることがと
ても身体に良いとは思えない。そんなに走りたければそれぞれで走
ればいいことではないか。首都機能を止めてまですることなのか。
人でごった返す電車に乗ってから老先生の言葉を思い出した。
「ただ走る為に走るのは実に虚しい」
「あっ!そーかっ、それで皆で一緒に走るんだ」つまり、走ること
が目的ではないのだ。皆と一緒に走ることが目的なんだ。殺伐とし
た競争社会で、孤立した人々が社会との紐帯を確かめるために皆で
一緒に走るんだ。ランナーにとって「走る」という個人的な運動も
、やがてその目的を見失い社会との共感を求めようとする。「走る
」ことはすでに個人的な目的ではないのだ。それは皆で一緒に行う
ラジオ体操のようなものだ。私は、この国を象徴する習慣を一つ挙
げろと言われれば、間違いなく「ラジオ体操」を挙げる。身体を解
すという極めて個人的な運動もやがて組織化され全体との協調を強
いられ、本来の個人的な目的は失われる。我々は個人のことまで社
会に委ねすぎてはいないだろうか。個人を苦しめる競争は個人の社
会性が創り出したのだ。我々はこの個人と社会の間のバランスを見
直すべきではないだろうか。個人が耐えなければならない事を社会
に委ねすぎていないだろうか。或は、個人ではどうすることもでき
ないことを社会は見棄てていないだろうか?
「ただ生きる為に生きるのは実に虚しい」
しかし、社会と共感したからといってその虚しさが消え去る訳では
ない、ただ、紛らわしているだけだ。私は、虚しさに耐えられない
自分に言い聞かせた、
自分の虚しさくらい
自分で始末しろ
ばかものよ
東京マラソンは地方からも多くの応援の人々が来て、地下鉄の駅
も普段とは違って軽快な格好の人々でごった返していた。彼らの健
全なスポーツ精神の前では、私の邪まな欲望が情けなく思えてき
て、すぐ近くの出口から地上に顔を出した。しかし、そこは全く見
覚えのない場所で、しかもマラソンコース上の歩道に出たらしく、
3万5千人の中から顔見知りを捜そうとする観客の人々でごった返
していた。私は女社長の居るホテルの方角を確かめてから、応援す
る人々の邪魔をしながら進んだが、今度はマラソンコースが邪魔を
して向こう側へ渡ることが出来なかった。仕方なく来た道を引き返
して、さっきの入口から地下を通って対岸を目指すしかなかった。
入る前に大きく息を吸い込んでから、再び人熱れする地
下迷路に潜った。しばらく進むと何事が起きたのか、あらゆる出口
から一斉に群衆が押し寄せて来て危うく人の波に溺れるところだっ
た。誰かが雨が降ってきたと教えてくれた。混雑に行く手を阻まれ
て目指す出口を見失いながらも人波を掻き分けて、やっとのことで
目的の出口に辿り着いて岸に這い上がったが、そこは目指していた
道路の向こう岸ではなかった。
「あれっ?」
雨に打たれて途方に暮れているとケイタイが鳴った。女社長からだ
った。気が付かないうちに約束の時間が過ぎていたのだ。私は顛末
を説明して必ず行くからと説得した。ただ、もうあの複雑な地下迷
路には一生入りたくなかったので、彼女の元へ辿り着く方法は一つ
しかなかった。私は、ガードレールを跳び超えて3万5千人のラン
ナーが引きも切らさず通り過ぎるマラソンコースを横断しようとし
た。近くに居たギャラリーは騒いでいたが、私は女社長の元へ行く
事しか考えていなかった。ランナー達は疲れているにも拘わらず私
に罵声を浴びせた。それでも私は止めずに、向かってくるランナー
達を交わしながら激走した。そう、私はマラソンコースを逆走して
いた。ヨレヨレのランナー達をステップを踏んで交わし、気付いた
係員等が阻止しようとしたが、クリスティアーノ・ロナウド並みの
フットワークですり抜け、彼女が待つホテルを目指して激走した。
私は、彼女にGOOOOOOOOOOAL!を決めたかったのだ。
次から次に現れて私の邪魔をするランナー達が私の彼女への想いを
更に強固なものにした。そして、全力で走ることがそれまでの憂鬱
な感情を忘れさせ颯爽たる気持ちすら覚えた。顔を打つ雨さえ心地
良く、私は、もしも機会があればこの次はちゃんとマラソンを走っ
てみたいと思いながらマラソンコースを逆走した。
(つづく)




