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パソコンを持って街を棄てろ!  作者: ケケロ脱走兵
57/58

(五十七)

「わわわわぁぁ―――っ!」

私は、自分の発した声が廊下にこだまして再び自分の耳に戻ってき

たのが分かるほどの大声を上げた。それに驚いた老先生も、

「オオゥ―ッ!」

と、マスク越しに低い唸り声を上げて後退りした。廊下に居たベッ

トメイキングの女性達が各部屋から飛び出してきて、その中のチー

フ何とかと云う人が駆け寄って来た。

「先生、どうかされましたか?」

と心配そうに老先生に聞いたが、老先生は手を振りながら、

「いやっ、何でもない、ちょっと驚いただけだ」

と言って私が居る自分の部屋に入り、

「お騒がせして申し訳ない」

そう言って軽く頭を下げ、ドアを閉めた。老先生は、中国での散歩

で道に迷い仕方なく日本まで歩いて戻って来たのではないかと思う

ほどひどく衰弱していた。ただ、私はこの状況を彼にどう説明すれ

ばいいのか思い倦ねて、裸のまま立ち尽くしていた。彼は、

「君は何故私の部屋に居るんだね」

と、ドアの部屋番号を確かめながら、もっともな疑問を私に質した

。私は、個展の打ち上げの後不覚にも酩酊してしまった事、そして

目が覚めれたらこの部屋に寝かされていた事を、ただ、毎夜のよう

にこのベッドで女社長と愛し合ったことなどおくびにも出さずに、

まるで役人のように、更なる詮索を恐れながら問われた事以外は「

包み隠して」誠実に答えた。

「ああ、昨日までだったのか」

「はい」

「で、どうだった?」

「先生の御蔭で盛況でした」

「そうか、それはよかった」

私は近づいて来る老先生を避けるように後退りしながら、裸で居る

ことも忘れて、彼に私がこの部屋に裸で居る事を「仕方がない」と

思わせるような言い訳を必死で考えようとしていた。すると彼はワ

ードローブを開けてコートと帽子を脱いで仕舞った。

「先生、でもどうしてこんなに早くお帰りに為られたんですか」

「黄砂だよ、黄砂!具合が悪くなった」

「ああっ、はい」

「全く中国なんぞほっとけば良い、そのうち砂で埋まるさ」

老先生はソファに腰を下ろしてマスクを外した。

「ところで、君は何で裸なんだね?」

私はは慌てて自分の部屋には浴室がない為に、断わりもなくシャワ

ーを使ってしまったことを詫びた。

「すみませんっ!すぐに服を着ます」

すると老先生は、

「ちょっ、そのままで居なさい」

「えっ???」

私は老先生が今まで見せたことのない熱い眼差しが気になった。

 老先生はもともとギリシャ芸術が専攻で、ギリシャ彫刻について

の卓逸した著作も残していた。私も学校の図書館で彼の著書を手に

したことがあったが、年頃だった私は、彼の言う美の概念がさっぱ

り理解出来なかった。ほとんど忘れてしまったが、戦争が絶えない

古代社会では力こそが正義で、強さへの憧れから逞しい肉体こそが

美しさの象徴であった。恐怖の下で生死を共にする男達は強い友情

で結ばれていた。それは男女の情の繋がりを超えた、代償を求めな

い謂わば理想の愛である、と言うのだ。 

「触れてもいいかね?」

老先生はメガネを掛けながら近付いて来た。一瞬虫酸が走ったが、

彼の(しもべ)である私は、申し出を拒否できる立場ではなかっ

た。実技を試みたことはなかったが、シュミレーションは(こなして

いたので大体の事は予想できた。私は身を捧げる覚悟を決めたが、

老先生の様子がおかしかった。老先生は私の身体に触れる前に、

床に手を突いて崩れた。

「先生っ、大丈夫ですか!」

彼は興奮しすぎたのか顔を真っ赤にしてひどい熱を出していた。

「ベッドへ行きましょう」

私は老先生を支えて借りていたベッドを持ち主に返した。そして、

女社長にデンワしてどうすればいいのか聞いた。女社長はフロント

へ連絡して、ホテルの中にあるクリニックの医者を呼んでくれた。

 老先生は風邪をこじらせて肺炎を起こすところだった。そして、

私はその後も実技を授かることはなかった。老先生は幸いにも命に

別状はなかったが念の為入院する事になった。


                       (つづく)

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