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パソコンを持って街を棄てろ!  作者: ケケロ脱走兵
47/58

(四十七)

 チカちゃんと別れてすぐに私は女社長に電話をした。

「実は、お話があります」

「あら?電話してくるなんて珍しいわね。何かしら?」

「会ってお話ししたいのですが」

「ちょうどよかった、私も話しがあるの」

「えっ?そうなんですか」

そんなわけでチカちゃんにはまた連絡するからと言い残して画廊へ

向かった。ただ、もう宇宙服は着ないと決めていた。私はホリエモ

ンのように、たとえノーベル賞の授賞式でもTシャツで行ってやる

、選ばれたら。

「で、話しって何?早く済ましましょ」

女社長が席に着くなり言った。日本の女性経営者は、まるで脅迫さ

れているかのように忙しく振舞うが、彼女も漏れずにセッカチだっ

た。彼女には手の掛かる子供が居て、家庭と仕事の掛け持ちで忙し

いのは分かるが、どうもそれだけではないようだ。女性が独りで手

練た男たちに伍して営みを経るとなると、弱みを見せて(さと)られて

は困る事も少なくない。要らぬ詮索を与えない為にも仕事に(かこ)つけ

て身をかわすのだ。こうして女社長も「忙しい」とか「時間が無い」

と言って、厄介なことが起こりそうになると逃げ道を用意した。つま

り、私の話しを警戒しているのだ。

「・・・」

私が話しを切り出せないでいると、苛立つように彼女が言った。

「じゃ、私の方からするね」

「どうぞ」

「はい!これっ、フランスのお土産」

そう言って小さな紙袋をくれた。私が礼を言う間もなく、

「貴方の絵、フランスで評判よかったわよ」

「ホッ、ホントですか!」

「ノアールパンチュールって気に入ったみたい」

「ルノアール?」

「違うわよ!『黒い絵』って意味」

「あっ、なるほど」

「よかったわね。もっと送れって言って来てるから、頑張って描き

なさい」

「はい」

「それで、貴方の話しは?」

女社長の幸先のいい話は金の無心をするのに言い易かった。

「あのー、お金のことなんですけど・・・」

私の絵はネットオークションで落札されて以来、未だ一度も入金が

なかった。

「未だ手続きがあって払えないんだけれど、幾ら要るの?」

私は断られる事を覚悟して、もし断られたら借りるつもりで、

思い切って一桁上乗せした額を告げた。

「いいわよ、今日中に振り込んでおくわ」

私は声に出して「えーっ!!」って叫んだ。

 女社長からのお土産は、とぐろに巻かれたサン・ローランのネク

タイだった。私はホテルでの失態があったので、私の服装に対する

当て付けかと深読みせずには居れなかった。Tシャツでノーベル賞

の授賞式に出席する計画は考え直さなければならない。チカちゃん

への振込みは次の日に済ませた。その事をK帯で伝えるとチカちゃ

んはまた泣いた。

「ちゃんと学校だけは卒業しなきゃダメだよ。もう少しなんだから」

「ありがとう」

「何言ってるの!礼を言うのは僕の方だよ。これはサッチャンが、

あっ違う、チカちゃんが僕にしてくれた事を返しただけなんだから」

「ウッ、ウッ」

彼女の笑い方は変わっていたが、泣き方もおかしかった。私は恩返

しが出来た事で気分が晴々しくなった。かつてホームレスだった頃

に、私を襲ったクリスマスのイルミネーションも、まるで祝福する

かのように美しく燦いていた。澄みきった大気が漆黒の宇宙をさら

に遠ざけて、ツリーの頂点に輝く「ベツレヘムの星」を際立たせた。

そして何処からとも無くクリスマスソングが聴こえてきた。

 私は子供の頃、イエス・キリストのことが好きだった。それは母

の誕生日が偶然にもイエスと同じだったからだ。ただ、私は決して

偶然などと思っていなかった。子供心にその繋がりに何か深い意味

が在ると信じてた。母は、私にとってイエス以上に特別な人だった。

ただ、貧しい暮らしの中で、母の誕生日もイエスの誕生日でも、何

かが起こるという事はなかった。母も自分の誕生日など無頓着で、

そんな洒落たことが出来るほど恵まれてはいなかった。クリスマス

はテレビの中と家の外の出来事だった。私が友だちのことを羨まし

そうに話すと、人と比べることを厳しく叱責され、「恨みを持つこ

と」を強く諌められた。ある年のクリスマスの日に、12才で始め

た新聞配達のお金で、母の誕生日とクリスマスを兼ねて、初めて「

丸のまま」のケーキを買い、母の誕生日を祝ってあげた。ロウソク

に火を点けて、「ハッピーバースデイ」を歌うべきか、「聖この夜」

を歌うべきか迷ったが、まずは、手拍子で「ハッピーバースデイ」

を歌っていると、突然、母が号泣した。私もつられて泣いてしまい

何とも悲しいクリスマスになってしまった。この季節に為ると、そ

して「聖この夜」を聴くと、私はあの聖夜のことを思い出す。

 年を重ねて、私は「汚れちまった」が、絵を描くことが好きだっ

たので、よく図書館で大きな美術図鑑を観ていた。そこで、西洋絵

画に描かれたイエスの表情に強い衝撃を受けた。イエスの表情はど

れもペシミスチック《厭世的》だった。もしも、神の存在など信じ

る者がいないとすれば、それは、イエス・キリストこそではなかっ

たか?彼が説いた博愛とは救いの無い世界にこそ意義が在るのでは

ないか。約束の地に召されんが為に神と契約を交わし、神を信じる

者だけが罪を赦されるというのであれば、それは謂わば取引だ。神

など存在しない、救いなどない、それ故に人は助け合わなければな

らないのではないか。神が不在でなければイエスの説く無償の愛は

成り立たない。私は伝え聞く人間キリストの生き方にペシミストの

影を見る。布教の為に弟子達に因って救世主に祀り上げられ、(でっ)

上げられた言い伝えのイエス・キリストでなく、争いの絶えぬ世界

に絶望し、神に依る救済ではなく他者への愛に由ってこそ救われな

ければならないと説いた「人間」キリストを尊敬する。神の存在の

有無はどうあれ、つまり、生きてようが死んでようが、人間はこの

世界で「共生」しなければならない。「共生」とは自分だけが救わ

れることではない。「共生」とは苦しみや歓びを分かち合うことで

ある。神の意志に通じた者だけが救われるのであれば「共生」は破

綻する。救いの無い暗澹たる世界だからこそ、人は助け合わなけれ

ばならない。もしも、神の意志が世界の平和にあるとすれば、神は

御座をお立ちになってお姿をお隠しになられたに違いない。そして、

神の救済が失われた世界こそが、人は苦しみを分かち合って、自ら

で救いを見出す(よすが)とするべきではないのか。つまり、神の不在こ

そが我々をより敬虔な祈りの気持ちへと向かわせるのではないだろ

うか。無神論者といえども祈りの気持ちを失った人ではないのだ。

 高層ビルの玄関横に飾り立てられたツリーの下から、大きなバッ

グを背負った若者が俯きながら歩いて来た。彼は行くあてもなく彷

徨うホームレスの若者に違いなかった。彼は全身を絶望に侵されて、

眼は辺りを見ようともせず、足取りは重かった。それはかつての私

だった。そして明日の私かもしれない。私は堪らなくなって声を掛

けた。

「あのー、すみません」

彼は私の呼び掛けに一毛も応えなかった。私は更に大きな声で、

「あのー、ちょっといいですか?」

やっと重い足を止めて無言で私を見た。

「君は、今夜寝る場所があるのかい?」

彼は私を見ずに小さな声で言った。

「大きなお世話だ」

「全くその通りだけど、もし、よかったらこれを役立てて貰えない

か?」

そう言って、私は下ろしたばかりの一万円を財布から抜いて、彼に

差し出した。すると、彼はしばらくそのカネを見ていたが、

「どういう意味?」

「誤解してもらっちゃあ困るけれど、つまり、これは君のものなん

だよ、本当は」

「はあ?」

「僕は、その、君のものを間違って手に入れたんだ。だからこうし

て返そうと思って、つまりこれは君の金だったんだ。全く済まなか

った。どうか、気にせずにこれを受け取ってもらえないだろうか」

すると彼は素早くそのカネを奪い、反対の手を拳にしてこっ酷く私

の顔面を殴った。そして、

「おいっ!これだけじゃないだろ!持ってるものを全部出せよ!」

そう言って彼は、眼をギラつかせて、私の財布に手を伸ばした。

「おおっ、まったくその通りだ!君にはこのカネを手にする正当な

理由がある。何故なら、君は社会から生きる権利を略奪されたのだ

から、社会の規範に従う必要なんてまったくないんだ」

その男は私の財布を奪い、軽い足取りで走り去った。


                                 

                         (つづく)

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