(四十三)
バロックは、その男が作った発電機を見せてもらった。
「すごいよ」
そう言って画像を寄こした。それは、横から見ればほぼ三角形で、
長い一辺を底に置かれていた。正面から見ると恐らく水を取り込
む吸水口と思われる横に広がった口が三角形のもう一辺に沿って
上を向いていた。バロックの説明に依ると、その発電機を川底へ
沈めて、その中に流れ込んだ水がタービンを回して発電するらし
い。今はタービンのトルクを上げるために、発電機の中の水の流
れを如何に抵抗なく循環させるか研究しているところだという。
バロックが送ってきた画像の中にはバロックが自撮りした写真も
あった。彼はニット帽を被っていたが襟足辺りから伸び放題の髪
の毛が跳ね上がっていた。顔にも髭を蓄えて、さながらチェ・ゲ
バラの風だった。それでも穏やかな笑みからは以前の彼には見ら
れなかった逞しさと穏やかさが感じられた。
バロックのメールだ。
「失意は日常を取り戻した頃に襲ってくる。俺は東京を出てか
ら何度も生きる『意味』を失った。母親が中国地方の山間部の出
身で、子供の頃、夏休みには良く連れて行かれた。山間を流れる
渓流には岩魚に似た魚で『ごぎ』という川魚が産卵の為に険しい
急流を遡上する。滝のような激流を越える為にその溜まりで餌を
獲り体力を養って跳ね上がるのだ。その溜まりに手を入れて探る
と簡単に『ごぎ』が手掴みできた。ある時大きな『ごぎ』を掴ん
で喜んでいると、その溜りの中からもう一匹の『ごぎ』が死んだ
様になって浮かんで来た。彼等は番い(つがい)になって遡るた
め、メスを失ったオスはただ一匹では生きる意味を失って浮き上
がってくるのだ。俺はそのオスの『ごぎ』の哀れな姿に心を揺す
られて、手に掴んでいたメスの『ごぎ』を彼に返してやった。そ
れ以来、楽しみだった川釣りをする気にならなくなった。東京を
出た頃の俺はまさにあのオスの『ごぎ』のように生きる意味を失
ってしまった。
あんたが、『美』は対象に在るのではなく、それを観る人の感
性に在ると言ったが、人の『生きる意味』もまたそれぞれの認識
の中に在るのだ。つまり、美しくないと思えば『美』は成り立た
ない様に、生きる意味などないと認識すれば生きる意味などない
のだ。俺はその生きる意味を失って、もう死んでもいいと思った
。そして赤城山の麓の赤木(城)ヶ原の樹海に入った。鬱蒼とし
た山々を彷徨っているうちに格好の洞窟を見つけた。奥は歪に何
処までも続いていたが、中は初秋の肌寒さを凌げるほど温かった
。俺はその暗闇の中でまんじりともせず考えた。果たして『意味
』とはなにか?人は言葉を覚えて言葉によって思考するが、そも
そも言葉によって語られる物事の意味とは全て社会的な『意味』
ではないのか。俺は言葉に拠らない自分を確かめたかった。そこ
で世界に自分一人だけの世界を想像した。暗黒が支配する場所で
やがて場所が消滅し、長い沈黙の間に遂には時間が失われ、そし
て言葉も意味をなくした。唯一人だけの世界は全ての意味が消滅
して、もはや俺は人間でもなく、遂には善悪もなく、理性や美も
意味を失い、やがて生死すら意味をなくした。生きていることを、
死を知らない者がどうやって知るのか。社会性を持たない者には
あらゆる『意味』が消滅する。だから当然自ら死ぬことにも意味
がない。俺はただ餓えと恐怖に怯える生き物だ。人が自殺するの
は自らの社会性によって死ぬのだ。つまり自殺とは社会的な死な
のだ。何故なら、社会が迫る真実ほど移ろいやすく当てにならな
いものはない。俺は社会性を棄てることで、自分を殺さずに、反
対に社会性を迫る自分を殺すことができた。つまり、俺は社会的
にはまったく意味のない存在かもしれないが、否、存在の社会的
『意味』を棄てることで生れ変ることができた。そして、俺はも
う生きる『意味』を問うことを止めた。」
私はバロックにメールを返した。
「あんたが死ぬことまで考えるほど、苦しんでいたとは知らなかっ
た。私もホームレスの頃、あんたと出会うまでは唯一の友だちは死
神だった。一歩踏み出せば死ぬという場面に何度も関わっていると
、徐々に死への恐怖が薄れていくのが分った。最後は『どうせいつ
かは死ぬんだ』と言って踏み出せると思った。そして死への恐怖が
薄れていくと、同時に生きる恐怖も薄れて、どんなヤバイ状況に追
い遣られても、生活の為に厭な男に抱かれる売女の様に鼻歌を歌っ
て遣り過ごすことが出来た。つまり、死へのハードルが低くなると
生きるハードルも低くなった。あんたが言うように、人間は社会に
よって認識を共有して、倫理や価値や真理までも我々が認識してい
ることの全てが、もし何らかの事情でこの世界にたった一人取り残
されたとしたら、つまり社会が失われれば、正義も判断も秩序も意
味を失う。我々が理性を失うことを「本能に従う」と定義すれば、
生きることの本質は理性にはなく本能にあることは間違いないんだ
から理性に生きる意味を委ねることは間違いなんだと思った。」
(つづく)




