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パソコンを持って街を棄てろ!  作者: ケケロ脱走兵
42/58

(四十二)

 片方だけのレンズのフレームをガムテープでこめかみに固定した

男は、バロックを自分の軽トラの助手席に乗せてクラッチを繋いだ

。バロックは仕方なく付き合った。それというのも10分も走れば

繁華街を抜けて、すぐに長閑な田園が広がる小さな街だったので「

直ぐ着くと思った」からだ。

「まだ?」

「もうちょっと」

彼は三回もその質問をしたが、遠くに見えていた山並みの麓のトン

ネルを抜けてからはもう聞かなくなった。「まだ国境は越えてない

ようだった」軽トラは車一台分の山肌を削った先の見えない道を、

スピードを落とさずに走り抜けた。やがて、少し開けた川沿いの二

車線の道路を対向車とすれ違うことなく飛ばして、川を跨ぐ橋の手

前で止まった。「やっと着いた!」と思ったら、その男は、

「ここからちょっと歩かなあかんのや」

「えっ、」

「ほらっ、橋が落ちとるやろ」

見ると、確かに崩れ落ちた橋脚の先は、垂れ下がった橋道が途中で

途切れていて、知らずに走ればこの川が三途の川になっていた。車

を加速してジャンプさせれば、上手く行けば対岸に届くかもしれな

い程の川幅だったが、今までの勢いで飛ばせば気付かずに渡れたか

もしれなかった。仕方が無いので彼に従い、川岸まで下りて二本の

丸太を渡しただけの橋を超えてから、「なんとっ、そこから小一時

間も歩かされた」らしい。

 渓流を遡り、けもの道を断りなく借りて、歩きに歩いて、その男

が「着いた」と言ったところは、正に廃村だった。

「そらそうやわ、いまどき車も入れん処に誰も住まんわな」

 バロックの「みちのおく」を辿る一人旅は文字通りのものになっ

たようだ。

「分け入っても分け入っても青い山 山頭火(借句)バロック」

その男に連れて行かれた工場は、工場といっても50㎡足らずの小

さなプレハブであったが、「九月」雨を集めて速く流れる渓流の側

にあった。渓谷を荒々しく駆け下った水は、そこでは一息吐いてべ

ルトコンベヤーで運ばれるように規則正しく流れていた。バロック

は思わず聞いた。

「なんでこんな山奥なん?」

彼も、初めはもちろん人里近くで暮らしていた。そこでは、彼のよ

うな余所者が、代々受け継いできた用水路や水利権の約束事を知ら

ずに、道楽半分で、(土地の者にはそう映るのだ)農業をやりたいと

言っても簡単には受け入れてもらえない。田畑を潤す潅漑用水は、

彼等の祖先が苦しみながら子孫に残してきた大切な財産なのだ。そ

れを知らずに都会暮らしの人間関係に厭いたからといって安易にI

ターンしても、そこにはまた同じ人間がいて、疎んじられて仕方な

くV字ターンをして引き返す者も少なくない。1山村はすでに限界

集落となって、どうすれば若い者を増やせるかと悩みながらも、意

に添わない余所者に対しては依然として排他的なのだ。余所者を白

眼視するのは何も都会だけの事ではない。更に、彼は勝手に用水路

に発電機を沈め、その発電機が流されて水路を破壊し、水の流れを

止めてしまってからは、正に「村八分」にされてしまった。

「もう、それ以上居れんようになったんや」

そこで、その男は意を決して、人に関わらずに発電機の開発に没頭

する為に、人里離れた山の中へ移って来たのだ。

 バロックはその男に従って工場に入った。そこは、昼間だという

のに蛍光灯が眩しいほど灯っていた。

「あれ、電気来てるの?」

部屋の明かりは全てその男が作った発電機によって賄われていた。

そもそも電気代が掛からないので消す必要がなかった。

「へえー、すごいじゃん」

そう言いながら中へ進むと、奥に若い女性が居た。バロックはそん

な所に若い女性が居るとは思ってもいなかったので立ち竦んで居る

と、すぐにその男が間に割って入って、「私の娘です」と言った。

そう言われて見ると、確かにその男に良く似ていた。二十歳前後だ

と思ったが、何れにせよこんな所で暮らして居ては、学校にせよ仕

事にせよ通える訳がなかった。

「ちょっと、身体が弱くてね」

彼女は「化学物質過敏症」という、最近になって判明した原因の判

然としない疾病に罹っていて、文字通り身体が化学物質に過敏に反

応して、様々な症状を引き起こすらしい。文明社会で暮らす患者に

とっては実に切実な問題で、彼等は都会では、極端な話しではなく

、空気も吸えないし水も飲めない。何故なら大気は化学物質で汚染

され、水道の水は塩素消毒されているから、つまり生きることが出

来ないのだ。

 余談では有るが、と前置きしてバロックが言うには、水の都の大

阪は、淀川から水道水を取水しているが、その取水口の直ぐ上流に

(多分200mくらい先に)京都の下水処理場の排出口があって、

大阪の者は京都人のションベンを飲んでいるって有名だったという

。事実、夏場などはカルキ臭くてとても飲めなかったらしい。

 彼女の父親が言った、

「実は、ここに越して来たんはこの娘の為でもあるんや」

バロックは、それを聞いて、こんな山の中へ来るに至った理由の中

で、最も優先させた理由に違いないと思った。私はと言えば、バロ

ックが私に説明する為に「シックハウス」と言った時、「ホームシ

ックのこと?」と聞き返したくらい何も知らなかった。

「へえー、深刻だね」

それでもその男は「私は娘に救われた」と言った。もし、そのまま

大阪に居てバブル経済に浮かれていたら、恐らく何もかも失ってい

ただろう。生まれたばかりの児が全身を覆うアトピー性皮膚炎に蝕

まれ、赤く腫れた身体で母親に泣き叫び、母親も涙を流して訴えっ

た時、彼は狼狽えながらも仕事を辞めて大阪を出ようと決心したら

しい。

 バロックは、その娘が見せる訝し気な表情が、症状がもたらす過

敏な神経によるものなのか、それとも、来る者などあるはずのない

山の中に、突然侵入して来た者に驚いたのか解らなかったが、彼女

のよそよそしさも仕方がないと思った。


                    (つづく)

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