(四十一)
バロックからメールがきた。
「連絡せんとゴメン 元気?
事情あって路上しばらく止める」
「えっ、どうしたの?」
彼の「みちのおく」双六は、コマを進めて三つ目の県に入ってい
た。彼はそこで初老の男と知り合いになったらしい。、いつも通り
に繁華街の近くでギターを弾いていると、バックを肩に掛けた身な
りの怪しいその男がやって来た。その男は、年の割には長く伸びた
白髪がすでに黒髪を征服していて、メガネの真ん中に当たるブリッ
ジを折って片方だけのレンズを右目に掛け、耳に掛けたフレームを
こめかみにガムテープで止めていた。すぐに浮浪者と思ったが、夏
目漱石の旧千円札を差し出して、最近の歌を聞かしてくれと言った
。バロックが最近の歌は弾けないと素っ気なく言うと、その男は、
それでは何でもいいと言うので、彼はボブ・ディランを歌った。バ
ロックの前でうずくまって静かに聴いていた男は、よっぽど懐かし
かったのか、やがてバロックと一緒になって唄い始めた。バロック
にとってもその場所はその日が始めてで、その男以外に人がさっぱ
り寄らなかった。いや、その男の所為で寄らなかった。次第に打ち
解けて何度か言葉を交わすうちに、その男も関西出身だと判った。
「おっちゃん、メガネの片方どうしたん?」
「あっ!これっ、ちゃうねん」
その男は若い頃からメガネを掛けていたが、片方の目が網膜剥離で
見えなくなった。仕方がないので病院へ行くと、すぐに手術するこ
とになって完治したが、手術した眼の視力だけが良く為ってしまい
、メガネが要らなくなったので折ってしまった、というのだ。バロ
ックは、話しをしている内にそのヘンテコな男が気に入ったらしい
。その男は、バブル絶頂の大阪で、土地で思わぬ大金を手にしたと
言う。その後も銀行が勧める投資話の皮算用に欲が騒いだが、誰も
が仕事そっちのけで投機に血眼になり、荒っぽい地上げのニュース
を見て、大手銀行の頭取が「過去の脛傷は問わない」と発言したの
を聞いて、まるで、悪徳高利貸しが極道と組んで、無辜の人々の土
地を二束三文で立ち退かせて儲けようとするヤクザ映画のような話
しに憤慨し、誇りを失った浪速商人の性根に失望した。人情に厚い
浪速の庶民文化は終わった。彼は、彼のカネを目当てに集ってくる
者から逃げるために、勤めていた電気会社も辞めて大阪を棄てた。
「こんなとこまで?」
「あっ、嫁さんの里やったんや」
そこで、しばらくは何もせずに日がな渓流釣りで遊んでいる時、川
の流れを見ていて水力発電機を作ろうと思ったらしい。初めは船外
機を転用した簡単なものだったが思いのほか上手くいった。しかし
、船外機のスクリューでは限界が見えていた。彼は、一般家庭の電
力消費を賄える発電機を考えていた。そこで、研究を重ねて大体の
青写真は描けたが、ところが、それを実際に作るとなると様々なデ
ッドロックが待ち構えていた。そこで彼は、奥さんには何の相談も
せずに、先の暮らしの為に蓄えてあった貯蓄を崩して、山の中の渓
流の傍に工場を造ってしまった。怒った奥さんは呆れ果てて彼をお
いて家を出た。それでも彼の発電機への熱意は冷めず、実験と失敗
を繰り返して、ついにコンパクトにして能力の優れた水力発電機の
試作品が出来た。それ一台で一家の電気が全て賄えるという訳には
いかないが、それでも既存の発電機の二倍以上の発電能力があると
言う。彼は工場の側の畑で自給自足の暮らしをしながら、ほとんど
工場に籠っていたが、今日はメガネを作る為に久し振りに街に出て
来た。
「ヘ―っ、すごいな!ちょっと見てみたい」
バロックの何気ない言葉が、その男の、人に見せたい思いと繋がっ
てしまった。
「見る?」
「えっ!ええっ?」
「見てくれる!」
「ああっ、いいですよ」
この「いいですよ」は「結構です」という意味なのか「承知しまし
た」なのか判然としなかった。それで結局、バロックはその男が作
った発電機を見に行くことになった。その時はそんな山の中だとは
夢にも思ってもいなかったのだが、人里離れた工場へ連れて行かれ
た。
(つづく)




