(四十)
まるで収容所としか思えなかったホテルのレストランでの尋問か
ら解放されて、私はホテルを出た。女社長はポーチまで見送ってく
れ、タクシー代を差し出したが、断った。
「歩いて帰りますから」
どうもそれを信じてもらえなかった。
「歩けるわけないじゃない」
「いえ、いつも歩いて帰ってますから大丈夫です」
「えっ、ほんとそうなの?」
私は度重なる無礼を詫びてホテルを後にした。ホームレスになるま
では、もちろんそんなに歩くことはなかった。ホームレスになった
途端、気を安んじて落ち着ける場所をなくした。たとえ公園に居て
も人の眼が障って、自分の部屋の様には寛げなかった。仕方なく場
所を変えるために目的もなく歩いていると、歩いている時だけは気
が紛れた。私は、人間は歩けることに気付いた。私の知っている人
は、冬が来るので南の方へ行くと言うので、「どこへ行っても冬だ
よ」と言って笑ってしまったが、彼は、「九州まで行けばちょっと
は温いだろ」と言って、驚くことに寝袋を抱えて九州まで歩いて行
った。人は歩いて何処までも行けるんだと知った時、私は、すごい
乗り物を手に入れた気がした。
街は、早々とクリスマスのイルミネーションで飾られていた。私
は、あの電飾が嫌いだ。ホームレスだった頃、深夜の凍てつく寒さ
に堪えられず、身体を動かす為に彷徨っていると、寒さや夜の静寂
にも馴れて平静を取り戻した時に、突如、無数の電飾で彩られたイ
ルミネーションが現れて行く手を阻まれた。それはまるで、ウルト
ラセブンの前に立ちはだかる電飾怪獣のようで、幸せ光線を放射し
て不幸なホームレスを懲らしめた。その明かりは不遇な者を拒む冷
たい光だった。自分達の幸福を見せびらかして、人の不幸を嘲笑っ
ているかのようだ。私は抗うことも出来ずに呆気なく自滅した。
街は静かだった。我々の背後に忍び寄る不安は、キリストの生誕
を祝うイルミネーションを以ってしても除くことが出来なかった。
通りを飾る華やかな舞台に反して、そこで演じられる芝居は重苦し
いものだった。行き交う人の台詞は暗く、誰もが足元を確かめなが
ら、浮かれないように浮世を渡っていた。
浮かれたラブソングを唄っていたサッチャンは、浮かばれずに姿
を消した。結構ノリのいい歌だったが、急激に変化した風向きには
合わなかった。彼女は、もう一度学校へ戻って勉強したいと言って
休業宣言をした。とは言っても、彼女の熱狂的なファン以外はほと
んど知らないが。 ただ、バロックは、今何処で何をしているのか
、全く連絡をして来なくなった。
クルマもほとんど途絶えた大通りの歩道を歩きながら、老先生の
言ったことを考えていた。
「君ね、日本の文化は接木なんだよ。ずーっと桜でやっ
てきたが、明治になってバラの美しさに驚いて、バラを接ごうとし
た」
我が国の文化は、明治より前から接木文化だった。大陸より仏教が
伝われば仏教を接ぎ、儒教が伝われば儒教を接いで来た。幸い島国
であったが故に、我々「有袋」民族は種の保存を存続出来たが、我
々の根幹からは、時に菊が芽を出したり、桜が花をつけたり、バラ
が咲いたりするのだ。もしも、移り変わりが世の常だとしたら、一
つに統べることは無用ではないか。確かに、如月の望月の頃に、バ
ラが咲き乱れるのは無粋ではあるが、百花繚乱の風情を面白いと、
綽々(しゃくしゃく)と眺めることは出来ないのだろうか。この国は
至る所で桜とバラが対峙している。たとえば教育問題で、戦後教育
を否定する人々は、デモクラシーも否定しているのだろうか?学校
教育の場で起きている確執は、儒教道徳とデモクラシーの接木だか
らではないのか。それは、国家か個人かであり、秩序か自由かの対
立だ。ただ、クラブチームがなくても選手はサッカーが出来るが、
サッカー選手がいなければクラブチームは潰れてしまう。つまり、
国がなくても人は存在するが、人のいない国など存在しない。だか
ら、人は国家に先行するのだ。もちろん、近頃の公共道徳を弁えな
い自分勝手な行動は強く諌めるべきだが、自由を矯めて国を滅ぼし
た過去の戒めを忘れちゃいけない。道徳教育を推し進めようとする
人々は、果たして、ちゃんとデモクラシーを担保できるのだろうか
?デモクラシーとは国民主権であり、個人の自由を尊重することだ
。それと道徳教育は折り合いがつくのか。「敬う」ことを強制して
も、偽善を強いることにはならないだろうか。人の感情を「敬う」
鋳型に填めたとしても人の感情は複雑だから「侮る」者も生まれる
だろう。権力者としては、国民が揃って国家を敬うことを願うのだ
ろうが、人間にとって国家は共生する為の装置でしかない。国は執
拗に教育に国旗・国歌を翳そうとするが、北朝鮮で将軍様の写真を
有無を言わさず教室に翳すのと似ていて気持ちが悪い。もう少し「
民主的に」綽々と話し合えないのだろうか。ただ、教師から明らさ
まな「依怙贔屓」をされた覚えが残る私には、決して差別的な道徳
には反感を覚える。接木は、桜もバラもその特異性を活かし合って
こそ、より強い共存共栄が出来るのではないのか。
星空を覆っていた雲の幕が綻び、綻びを裂くようにして我等が衛
星「月」が満面の笑みで私を覗いた。一千万を超える人々が居るこ
の東京で、今、この満月と見つめあっているのは恐らく私だけに違
いない。つい、今し方まで喧騒の中にあった二十四時間都市・東京
は、疲れを癒すかのようにひっそり閑としていた。暗黒の中で屹然
と輝く望月は、私の歩みに合わせて後退りしながら、一億数千万キ
ロ彼方の光を私に届けていた。しばらく、彼女と語らいながら歩い
ていると、ついさっきまで考えていたことがバカらしく思えてきた
。我々は何て詰まらない事を言い争っているのだろう。我々のこう
あらねばならないと言い合っていることは、実は、大概のことはど
うあってもいいことなのではないのか。それはまるでフォークの背
に乗せてライスを食べるべきか、腹の方で食べるのが礼儀かで言い
争いをしている風だった。
そして、遂に天空の彼女との惜別の時がきた。私は次の角を曲が
らなければならなかった。私は辻に立ち止まってもう一度彼女を見
つめた。すると、彼女もそれを察してか漂う幕を手繰り寄せて顔を
隠そうとしていた。私はしばらく満月が雲に隠れる様子を見ていた
。そして馴染みの角を曲ろうとしたが、角の向こうには何があるの
かまったく見えなかった。
(つづく)




