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パソコンを持って街を棄てろ!  作者: ケケロ脱走兵
37/58

(三十七)

 今にも地球が破滅するかのような不安に苛まれた地球温暖化問題

は、正に、喉下過ぎれば熱さを忘れるで、経済成長の限界による世

界経済の不安に取って代わられた。つまり、エコノミーはエコロジ

ーに先行するのだ。

 ところで、エコロジーガールとして売り出したサッチャンは、夏

の終わりと共に暑さが和む頃には、地球環境問題は忘れ去られて彼

女の人気にも秋風が立ち始めた。今では、エコロジーガールの肩書

きを捨て、早々とイメージチェンジをして、自信のある歌唱力で再

スタートしようとしていた。頻繁に顔を出していたテレビのコメン

テーターも化けの皮が剥がれて、サッチャンは家庭内暴力でのコメ

ントを求められて、リポーターの言った「刃傷」沙汰を「人情」沙

汰と思って、傷害事件を痴話ゲンカと勘違いをして失笑を買い、そ

の後はまったくテレビに出なくなった。そして熱りが冷めた頃、新

曲の発売とその宣伝のために現れた時には、誰もがサッチャンと気

付かないほど変身していた。それは、かつて路上で歌っていた時の

ような派手な格好で、際どいミニスカートと胸元の開いた短いTシ

ャツの間からは、ヘソが落ちないように輪っかで止めているのが見

えた。彼女は本来の自分に合った明るい曲を選んだが、残念なこと

に、先の見えない不況に苦しむ世間は、手の平を返したような楽観

的なラブソングについていけなかったのか、デビュー曲のようにヒ

ットチャートを駆け上ることはなかった。確かに、悩んでいる時に

その歌を聴くのは、あざとさばかりが耳に障るCMのようにウザか

った。

 一方で、バロックはあてのない「みちのおく」一人旅を続けてい

たが、ようやくコマを進めて関東の端まで足を踏み入れていた。

 私はサッチャンともバロックともそれぞれメールを交わしていた

が、二人がメールをしているかはまったく知らなかったし、知りた

くもなかった。つまり、私が二人の仲を取り持って何とかしような

どとはまったく思わなかった。それは多分バロックの頑なな態度を

忖度したからかもしれない。

 ただ私は、二人の結末がどうなるかを見詰めている余裕はなかっ

た。絵を描いて生きていけるか、それとも再びホームレスに戻るの

かの瀬戸際に居た。

 画廊の女社長は、若い頃に女優として活躍して、自動車のCMに

も抜擢されるほどの美人だったが、その世界でのキャリアを重ねず

に、大きな会社の跡取り息子と恋愛に堕ちてすぐに子供が生まれて

引退したが、やがてすぐに子供を抱えて離婚してしまった。その後

、どんな経緯で画廊を始めたのかは知らないが、彼女の後ろ盾には

著名な美術評論家が陣取っていた。ただ、彼女が美術に深い造詣を

持っているとは到底思えなかった。と言うのは、一方で、名の知れ

た芸能人たちが片手間に描く絵にも係わって頻繁に個展を催してい

た。それは、サッチャンがテレビで私の絵を取り上げて、始めて売

れるようになった経緯と通じるものがあった。つまり、誰も描かれ

た絵の価値を認めるのではなく、隅っこに書かれたサインを買って

いるのだ。以上のことは女社長が留守の時に、事務の女性がこっそ

りと教えてくれた。だからこそ、女社長は絵に対する知識がなくて

も、元モデルの肩書を生かして、その美貌と演技で収集家を煙に巻

いて来れたのだ。彼女は話しが見えなくなると絶妙のタイミングで

思わせ振りな目を投げかけて、話しの流れを変えることが出来た。

私もその眼差しに思わず変なスイッチが入りかけた。その女社長か

ら電話があった。

「話しがあるの」

「はい」

「ちょっと、会って欲しい人がいるの。来れる?」

「はっ、はい、伺います」

彼女が決めた時間に画廊へ赴くことになった。

 銀座は日没とともに一変する。ダークスーツのサラリーマン達は

暮れゆく街に同化して姿を隠し、焼き立てのパンを載せたような髪

型のホステス達が、妖しげなコスチュームに身を包み、男を迷わす

銀粉を撒き散らしながら、燈ったばかりのネオンに競い合って舞っ

ていた。彼女らの浮世離れした艶やかさに気を取られながら、女社

長が待つ画廊へ向かった。画廊はすでに看板が片付けられて表の灯

りが落とされていた。おそる恐る扉を開くと、ギャラリーの奥の机

でこっちを向いて女社長がデンワしていた。私と目が会うと手で招

いてソファに腰を下ろすように促されて座ったが、女社長はデンワ

を止めなかった。

「だから、バスルームにあるでしょ?」

別に聞くつもりはなかったが、静かなギャラリーの中で女社長の声

だけが耳に届いた。私は、仕方なくテーブルにある美術年鑑を取っ

てページを繰った。

「だって、起きなかったじゃない」

何だか仕事の話しではなさそうだった。私は見る気も無い美術年鑑

に集中している振りをして、耳に入ってくる女社長の言葉に、卑し

い好奇心を掻き立てられた。

「子供がいるんだからしかたないでしょ!」

相手の声までは聞こえなかったが、話しの内容から男に間違いなか

った。すると女社長は、

「これから一緒に行きますから、待ってて下さい」

私は「えっ」と思った。もしかして一緒に行くというのは私の事じ

ゃあないのか?まさか自分にとっては他人事と思って聴いていた男

女の痴話話しに、突然、自分自身が引っ張り出されて動揺した。

「それじゃあ。今から伺います」

と言って女社長はデンワを切り、私に応対した。

「ごめんなさいね。ご飯、まだでしょ?」

「はっ、はい」

「出ましょうか」

そう言うと女社長は机の上のものをカバンに詰め込んで、私を追い

出して部屋の灯りを消して入口に施錠した。そしてタクシーを捕ま

えてドライバーに誰もが知っている超高級ホテルの名を告げた。私

はTシャツの上に、私にとっては唯一のフォーマルな、ヨレヨレの

紺のジャケットを羽織っただけで、下はジーンズに、ホームレスの

時から履いているスニーカーだった。それは、元は白かったが今で

は汚れてグレイにしか見えなかった。

「もしかしてホテルですか?」

「ごめんなさい、言わなかった?」

タクシーはすぐにホテルのポーチに着いた。私は、回遊魚のように

ロビーを進む女社長の後を、全身のヒレを使っても思い通りに動か

ないフグのように必死で追った。煌びやかなホテルの装飾に臆して

しまい、華やかな服装で身を飾った人々の冷たい視線が気に障った

。鮮やかに彩られた毛足の長い絨毯の上を、ホームレスの時に路上

生活を共にしたスニーカーで穢すことに躊躇いながら、まるで布団

の上を土足で歩くような後ろめたさを感じた。そこは、私の自由を

奪う為に収容所へと向かう長い通路のようだった。ラウンジの席に

着いて、歩くことを止めた時、逃げ場を無くした惨めさが堰を切っ

て襲ってきた。まるで、売れない漫才師が会場を間違えて、オーケ

ストラの居並ぶコンサートホールの指揮台に、手を叩きながら現れ

るくらい場違いだった。私は蝶ネクタイをした看守のスキを狙って

何としても脱走を図りたかった。

「そんなに気にしなくてもいいのよ。ホリエモンだってTシャツで

居たんだから」

私はその時ホリエモンの偉大さがわかった。しばらくして高齢の老

人がゆっくりと杖を突いて現れた。この老人が女社長の「男」であ

ることは先程の電話で判っていた。

「どうも、お待たせしました」

中背の老人は私に軽く頭を下げ、内ポケットから名刺を差し出した

。その頭髪はほとんど抜け落ちていたが、地肌の輝きから健康そう

に見えた。私はその名刺の名前を見てぶっ飛んだ。新聞の美術欄に

レギュラーとして記述している有名な美術評論家だった。私は、手

の平をそのまま伸ばせばしっかり地面に着くほど前屈をして頭を下

げていた。

「ああっ、靴が汚い!」


                        (つづく)

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