(三十三)
馴染みの駅から銀座までは乗り換えなしで行けた。昼過ぎにもか
かわらず電車は結構込んでいた。ドアに張り付いて早送りされた風
景を眺めていたが、ドアのガラス越しに見える都心の変貌に驚いた
。まるで、古いテレビを大型画面に買い替えるかの様に、それまで
のビルが壊されて高層ビルに建て替わっていた。東京は変わり続け
る事で、人々に何らかの希望を与えているのかもしれない。日々変
貌するこの街で、いつか自分にも思いもよらない幸運が舞い込むか
もしれないと、そんな儚い想いを抱いて人が集まって来るのだろう
か?地方の衰退が取沙汰され東京への一極集中が問題になっている
が、もちろん政治にも責任があるのだろう。しかし、この国の人々
は、天地開闢の初めより、女王蟻の住む都への強い憧れを禁
じ得ないのだ。それは中国の中華思想を笑えない位にアジア民族共
通の習性なのかもしれない。つまり、地方分権などと言っても、本
当に地方は身に巻いた長いものを棄てて自立する気があるのだろう
か。地方分権をすれば更に東京への集中が加速されることにならな
いだろうか。北朝鮮をネガティブなモデルとしてわが国と比べて見
ると、権力者の居る平壌だけが繁栄して、権力から遠ざかるに従っ
て地方は疲弊する姿は、この国とそんなに変わらないんじゃないか
と思うことがある。もちろん、経済力の違いは雲泥の差ではあるけ
れど、今後アメリカの支えを失ったわが国が、たとえ逆境の中でも
、デモクラシーを失わずに自立して、苦しみを共有する社会を築く
ことが出来るのか不安になる。私が恐れているのは、アメリカのプ
レゼンスが失われていくことよりも、我々のデモクラシーのモデル
が目の前から消えていくことだ。気が付けばアジア民族の習性が蘇
り、北朝鮮と変わらないじゃん、ってことに為らなければいいが。
北朝鮮の独裁政治は、権力者の横暴を許した国民にその責任の大半
がある。それでは、わが国はと言えば、先の敗戦の責任を権力者や
指導者に被せて、まるで国民はその犠牲者であるかのように言うが、
その権力者を選び支持し、その判断に従ったのは国民ではないか。
つまり、あの戦争の責任をまず負うべきは国民なのだ。もちろん、
国民は多くの命を犠牲にしてその責任を取らされた。では何故、そ
うまでして国民は権力者の判断に従ったのか?何故、国民は抗うこ
とが出来なかったのか?何故、間違っていると言えなかったのか?
私は北朝鮮の政治が遠い国のことだとは思えない。ただ、いかなる
国家も国民の下に在ることを忘れずにいよう。その国の政治はその
国民が選び、その責任は国民が負うことになるのだから。
やがて電車は混雑するホームに入り、私はドアが開くと同時に大
勢の降客に押し出されて電車を降りた。
(つづく)




