(三十四)
画廊は、銀座と言っても外れに在り、古い八階建てのビルの一階
にあった。画廊の前には洒落た看板が立ててあったのですぐ分かっ
た。中へ入ると外からは思わなかった程に広いスペースだった。左
右の壁には子供が描いたような稚拙な絵が何枚も横一列に吊るされ
ていた。ギャラリーの中央には大きな腰掛があり、その両端にはア
ンリ・ルソーの絵画に描かれる様な観葉植物が置かれていた。奥に
は黄色いソファがテーブルを挟んで置かれて、白い部屋の中で浮い
ていた。その横の衝立で仕切られた事務机で、携帯電話している女
性が私に気付いて頭を下げた。美しい女性だった。彼女の話し声を
聞いて、私の電話を応対したのは彼女に違いないと思った。すぐに
、彼女は携帯を置いて、私に近づいて来て名刺を出した。彼女はこ
の画廊の社長だった。その服装は、派手なプリントのシャツを見せ
るために、地味なジャケットを羽織っていたが、首からは幾つもの
ネックレスが垂れていた。未だ四十代には為っていないと思われる
が、その顔は日本人離れした高い鼻筋に、顔からはみ出しそうな大
きな目は、彼女が瞼を閉じる時は他の人より幾分遅く感じられた。
私は自分の鼻の低さにコンプレックスがあって、鼻の高い女性には
変な憧れがあった。女主人は私をあの黄色いソファへ誘ったが、私
はソファへ腰を下ろす前に、持って来た絵を差し出して落札しても
らった礼を言った。女主人はカバーを解いて絵を取り出して一瞥し
てから、ソファのテーブルへ置いた。
「習ったことはあるの?」
「いえっ、ありません」
「失礼だけど、学校はどちら?」
私は、言いたく無いことは避けて、体裁のいい経歴を述べた。この
国はいつもこれだ、肩書きが無ければ仕事が認められない。なぜ作
品だけで評価しないのか。画家や音楽家が何時までも学校を離れよ
うとしないのは能力がないからではないか。プロを目指すスポーツ
選手が才能を認められながらも、大学に進んで大事な4年間を無駄
にするのもよく解らない。プロスポーツを志すなら今しかないのに
、それに引き換え大学は何時でも入れる筈なのに、どうもそういう
風には思わないようだ。外国の著名なピアニストは、学校などで学
ばずに十代の初めで認められて演奏活動をしているではないか。極
端な話しが、この国では有名大学さえ出ていれば、罪を犯してもや
り直しが利くが、高校も出ていないとなると、いくら能力があって
も認めようとしない。十八までに人生の勝ち負けが決まるのだ。一
体、画家や音楽家に作品以外のどんな裏書が必要だと言うのか。大
層な肩書きを並べて中身スッカラカンのアカデミズムやペダンチズ
ムが未だに幅を利かす社会なんだ。私は、何時もこういう場面では
「もういいです」と言って立ち去る機会を探っていたが、この時は
、女主人の鼻筋の美しさに見惚れてしまい、逸してしまった。少し
前屈みになりながらテーブルに置いた私の絵を観ている女主人の顔
をその上から眺めていると、その鼻のフォルムの美しさは極まった
。まるでエレベーターのドアに誤って顔を挟んで、顔の中心が前に
迫り出したかの様に鼻筋が左右の顔を分けていた。突然、彼女は伏
し目の瞼をいきなり持ち上げて上目づかいに私を見て言った、
「サッチャンとはお知り合い?」
その眼はまるで爬虫類が獲物を敢て油断させておいて、一気に襲う
時に見せる眼のようだった。
「ああっ!はい」
サッチャンは、それが芸名だから誰もがそう呼ぶのは仕方がない
が、彼女を良く知っている者にすれば、こっちが「えっ、知ってる
の?」と聞き返したくなる錯覚にいつも惑わされる。
「路上なんかじゃ誰も買わないでしょ?」
「はい」
「で、これからも絵は続けるの?」
「はい、他にないですから」
「わかったわ。私が買ったげるから描きなさい」
彼女はそう言って、事務机から書類を持って来て私の前に広げた。私
はつい聞きそびれたことを聞いた。
「あのー、僕の絵は売れますか?」
「バカね、売るのよ」
彼女はそう言って、何か意味あり気な上目使いで私を見た。
(つづく)




