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神様行為  作者: cmmm男
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#5 夏の終わりに、ストーカーまがいでボーイミーツガールの巻

#5 夏の終わりに、ストーカーまがいでボーイミーツガールの巻


「この辺は変な人が多いから、気をつけないと」

 山田が言うやいなや、女の子は甲高い叫び声を上げた。

 踵を返し、逃げていく。

 背格好からして、小学高高学年位だった。

 その結果。黒いTシャツにGパン姿の山田だけが、路地裏に残された。

「お、俺が変な人かよ!」

「だから、小学生はダメだと言っただろ」

 ため息混じりに神様は言った。

「うるさいなぁー。危ない場面で女子を助けるってドラマを提案したのは、神様だろ!」

「俺は、中学生の女子にしろと言った。それに、『変な人』を使うとは言っていない。大体、この辺に変人なんて出るのか?」

「本当は、三角君に芝居してもらうはずだったの。襲うフリをするだけなのに、やりたくないって言うんだからさ」

「それは、そうだろ」

(お前は、俺に追いかけさせただろうが)

 山田は心の中で、愚痴をこぼした。

「これは失敗だったな」

「いや、まだいける。片っぱしからいってやる。もう、誰でも良い気分なんだ。幼女であろうと、熟女であろうと。どんな話になっても良い。とにかく出会って、先に進む」

「それはダメだろ。どうしたんだ、山田! 荒れているのか?」

「荒れてる? そうさ、俺は荒れてんだよ。……普通でいられるか」

「お前、さっきから『俺』って、前まで一人称は僕って言ってたよな?」

「僕なんて言う坊ちゃんじゃ無くなったの。俺は」


 山田と神様は、路地裏から出た。

 ここは、地元の商店街だ。アーケード街には、スーパーや総菜屋、日用雑貨を売る店等がある。それ以外には、飲食店が十軒程あり、ゲームセンターとカラオケ屋がある位だ。

「あれは……」

 アーケードを歩きながら、山田はつぶやいた。

「どうかしたのか?」

「今、そこの横断歩道を渡ってるの、菊地原さんだ」

「きくちはらさん?」

「忘れたのかよ。坂道の時、第二目標だっただろ」

 神様は思い出したらしく、「あー」と、声を上げる。

「それで?」

「後をつける」

「何故だ? ストーカーになるのか」

「嫌な言い方しないでよ。好きな人を、いつの間にか目で追ってるっていうのあるだろ。あれの延長線上の行為だよ」

「何にせよ追うんだろ。止めておけ。力技で、良い出会い方じゃない」

「良いも悪いもあるかよ。結局俺は、出会い方なんかわかんないんだよ。近付けるんなら、ストーカーでも何でもやってやる。神様も、俺の話を進めて、早くラブコメを観たいだろ?」

 山田は小走りで、菊地原を追う。

 夏休みも終わりに近付いたこの日は、日曜日である。混雑といえる程では無かったが、それなりに人通りも多い。

 狙ったヒロインを見失わない様、山田は気をつけながら歩を進めた。

 アーケード街を出ると、片側二車線の道路がある。その道は、大通りと呼ばれていた。

 菊地原は水色のTシャツに、膝上の白いスカート姿である。靴はピンクのスニーカーだった。

 彼女は大通りの横断歩道を渡りきる。それから、しばらく大通り沿いを歩いた。

 山田は他の通行人の陰に隠れながら、彼女を追う。

 菊地原は路地に入り、いくつもの角を曲った。

 その結果、一度通った道に戻る。どこに行こうとしているのかが、山田には疑問だった。

 急に彼女は立ち止る。かと思うと、走りだす。

 駐車してあった車の陰に身を隠した山田は、すぐに後を追うはめになった。

 小さな古いビルの角を曲がる。

 と、菊地原は立ち止まり、振り返っていた。とっさにかがみ、ビルの角に隠れる。

 顔を少し出し、一瞬様子を窺う。彼女はこちらに歩いてきていた。

 菊地原は不審に思ったのかもしれない。ストーカーに、つけられているのかもしれないと。

 先程、もう見られた様な気もするが、とにかく、このままでは見つかってしまう。そう山田は考え、冷や汗をたらした。

 つけていた事を知られたが、最後。変態ストーカー呼ばわりされてしまうだろう。だが、この行為は、決してその様に非難される事ではないのだ。内気で純粋な思考が、行動に表れただけである。と、山田は何とか自分を正当化したかった。

 海水浴場での、三波ユリアの表情が思い出される。またあの目で見られるかと思うと、怖い。

 菊地原は、もうそこまで来ているらしく、足音が聞こえた。

 追い詰められた山田は、視線をさまよわせる。そして、路肩に停められた白いバンの下に、猫を見つけた。

 とっさに、古典的な事をする。

「に、ニャーオ。ニャーニャー」

 菊地原の足が止まった。

「何だ、犬か」

(……猫だ)

 足音が遠退いていく。どうにか助かったらしい。絞る様に息を吐き、山田は立ち上がった。彼女の後を追う。

 神様の「もうやめておけ」という言葉を、無視した。


 それまでとは違い、菊地原は確かな足取りである。

 確実に目的地へ向かっていると、山田には分かった。

 大通りにあるファミリーレストランの前で、彼女の足は止まる。

 それを確認すると、物陰に隠れた。二人の距離は、大よそ二十メートル。

「ストーカーよ、これからどうする?」

「神様は黙ってて」

 そう言って様子を窺う山田の視界に、一人の男が入ってきた。薄手の白い長袖シャツに黒のデニムパンツ姿である。

「あいつは!?」

 東雲だった。

 彼女に駆け寄ると二、三言葉を交わす。二人とも笑顔である。それから、店の中に入っていく。とても親しげな様子だった。

「あいつはよー、いつもいつも俺の前に現れやがって」

「モテるなー東雲は。山田は、親以外とファミリーレストランに行った事はあるのか? 無いんだろうな。『ファミリー』って付いてても、他人と行っても怒られないんだぞ」

「……中を覗く」

 神様のかんに障る質問には答えず、山田は伝えた。

「何で?」

「これを出会いにするんだよ。他の男から奪って」

「……まぁ、ストーカーよりましか」

 山田は身をかがめ、ファミレスの前に素早く移動する。

 店の壁は、上から七割方がガラス張りになっていた。その為、中を(うかが)える。

 額ににじんだ汗を、山田はTシャツで拭く。ゆっくりと頭を上げた。店内を探り始めて、すぐにしゃがむ。

 二人は近くのテーブルに着いていたのだ。

 店の内部は、壁に沿ってテーブルが並んでいる。そこから通路を挟んで、テーブルが長方形のブロックに分かれて、並んでいた。

 山田が覗くガラス張りから一番近いブロックに、東雲達の席はある。彼等は向かい合わせで座っていた。

 山田は一瞬しか見ていない。それでも、菊地原の背中と東雲の顔が飛び込んできた。

 額の汗を拭い、一つ息を吐く。

「それで、これからどうするんだ」

「もう少し中を窺う」

 再度、頭を上げた。

 目的のテーブルを、慎重に見る。

 二人は楽しそうに話をしていた。声は聞こえなかったが、山田は確信する。

 東雲の口が滑らかに動く。それを受けて菊地原は、手を口に持っていく。

 彼女の体が揺れる。

 笑っているのだと、嫌でも理解出来た。

 山田の中に、何かがこみ上げてくる。

 心臓が一度だけ、強く脈打った。確証は無かったが、そんな気がする。

 焦燥感と二人に対する憎しみで、心が黒く濁っていく。

 自分の異変を、逆らう事無く受け入れた。

 何とかして、自己の正当化を図ったのだ。見当違いという思いを殺して、二人を憎む。

 そうしておかなければ、何かに負ける。

 山田はそんな不安に駆られていた。何に負けるのかは、分からない。


 間接視野に、視線を感じた。

 ガラス張りに面したテーブルのまん前で、山田は覗いていたのだ。そこに座っている人が見ないはずが無い。

 パーマのかかった髪の毛が、ボリューム大のおばさんだった。

 おそらく、サーロインステーキである。それをフォークに突き刺し、おばさんは口元に持ってきていた。が、口の中に運び込まれはしない。動作がそこで止まっているのだ。

 口を半開きにしたまま、山田を凝視している。ステーキに付いたソースが一滴、二滴と、垂れていた。

 中学生男子と中年女性の目が合う。山田は表情を変えず、リフトにでも乗っているかの様に、スーッと下がる。

「運命の出会いだな。あの子と、付き合うか?」

 間髪入れず、神様がいじってきた。

「うるさいわ! 神!」

 山田は深呼吸して、気持ちを落ち着かせる。

「という訳で、神様。俺は中を覗けないから、見てもらえる?」

 歩道にしゃがみ込み、荒い口調で伝えた。

「……わかった。見よう」

「ありがとう」

 自分の惨めさに、ため息が出る。


「今、料理が届いたな。それで、何か作戦があるのか?」

「うん。考えてるのは、東雲がトイレに行ってる間に、菊地原さんを連れ出す」

 山田は右の口角を上げ、不敵な笑みを意識的に作る。話を続けた。

「東雲が帰って来ると、誰もいなかった。っていうのを狙ってるんだよ」

「トイレに行かない場合は?」

「……行くだろ?」

「行かないという事も、あるんじゃないか?」

「……水をガバ飲みしてる?」

別段(べつだん)

「カキ氷食べてる?」

「別段」

「お腹押さえてる?」

「別段」

「……やっぱり、カキ氷食べてるでしょ?」

「別段」

「べつだんべつだん、うるさいわ! トイレも行かずに、あいつら一体ファミレスに何しに来てんねん!?」

「食事を取るんだろうが! 普通そうだろ!」

「どうせ俺は普通じゃないですよ。で、何食べてんの? どうせ、こじゃれたもんなんだろうな」

 山田はうつむく。

 地割れしたアスファルトと、一匹のアリが目に映った。

 灼熱のアスファルトを進むこの虫は、仲間外れになったのかもしれない。他の仲間は巣の中で、皆で楽しく遊んでいるのに。そうではないのかもしれないと思いつつ、そんな事を考えた。

(巣はファミレスで、アリは俺)

 山田は、自分とアリをダブらせる。せかせかと足を動かし、右往左往する所も似ていると思う。

 そんな物思いにふけっている自分を、軽く笑った。思い巡らしている時間は、無いのだ。

 神様が、食事のメニューについての質問に答える。

「菊地原の方は、スパゲッティだな。ミートではないな。赤くて、ウインナーや玉ねぎが入っている」

「ナポリタンだな、それは」

「ナポリタンというのか。東雲の方は、リゾットだな」

「リゾットか……って、リゾットって何?」

「まぁ、洋風のおじやみたいなもんだな」

「洋風のおじやね。やっぱりこじゃれた物食べるんだな――」

 その時、山田の脳裏に稲妻が走った。

(何かある!?)

 不意に、そう思ったのだ。何か、この状況に使えるものがあるのだと。

(リゾット、おじや。つまり、米! 何か引っかかる。東雲に対して、何かが出来る!?)

 必死に何かを思い出そうとした。記憶のしっぽを掴んでは、何とか引き寄せようと試みている。事態を好転させる事の出来るモノを、どこかで知っていたはずなのだ。

(神様と出会った時に、何かあったはずだ)

 朝の坂道、腹を押さえた自分。そこに現れた思念体。山田は、過去に思いをはせた。

()めている様なので、もう少し神の力を見せてあげよう!』

(ここじゃない)

『それは、お前が主人公だからだ』

(これでもない)

『今だ! 山田、ウルトラスーパー超絶弾を放てー! 世界を守るんだ!』

(こんな事は言っていない!)

『カミサマとカニカマって、似ているよな!』

(こんなしょうもない事も言っていない!)


 そして、遂に見つけた。

『そんなノート、持っている訳ないだろ』

(神様はこの後、わざとっぽくかしこまって、言ったんだ)

『でも、私は米粒の神様だから『名前を書けば書く程米粒が袖にひっつき易くなるノート』は持っているよ』

 頭の中で、リフレインする。

『私は米粒の神様だから『名前を書けば書く程米粒が袖にひっつき易くなるノート』は持っているよ』

『米粒が袖にひっつき易くなるノート』は持っているよ』

『るノート』は持っているよ』

『は持っているよ』

『いるよ』

『いるよ』

『いるよ』


「『いるよ』中心にリフレインしてどうする! 俺!」

 叫ぶ様に言い放ちながら、山田は神様に飛びかかった。が、思念体の為、すり抜ける。

 それでも勢いを止めず、両手で交互に引っ掻く。何の手応えも無く、左右の指は空を掻き続けた。だが、手を止めない。

「オラァー! 神! 米粒ノート出せやー!」

「……お前は餓鬼(がき)か」

 暴れ叫ぶ山田は、パーマのおばさんにまた見られた。



「天の神様、地の神様、右の神様、左の神様――」

「早く出してくれよ。食べ終わっちゃうよ」

 歩道にしゃがみこんだ山田は、催促する。

「呪文を唱えなければならないんだ。十分待ってくれ」

「十分? 大丈夫かなー」

「まぁ、はしょる事も出来るがね。天の神様、地の――」

「じゃあ、はしょれや!」

「――はしょった場合は、名前をタイ語で書く事になるが、良いかね?」

 神様は、急に紳士みたいな話し方をする。

「もう何も言わん。仕事を続けてくれ」

 首を横に振った山田も、紳士的に返した。

「天の神様、地の神様、右の神様、左の神様――」

 神様の語りが、また聞こえてくる。

 山田は静かにしていようと決めた。なぜなら、神様は話しかける度に、呪文を一から唱えだしているからだ。

 何も言わず、普通に待つのが一番早そうだった。


「――あ、それ。タイ米の神様素晴らしい。あ、ほれ。タイ米の神様有難い。『名前を書けば書く程米粒が袖にひっつき易くなるノート。日本語翻訳版』お借りします! 今こそいでよ! そして、我が願いを叶えたまえ!」

 山田の前で、「パン」と破裂音がした。風船が破裂した音に近い。

 音と共に、灰色のノートが現れた。地面に落ちる。

「これが、米粒ノート……」

「そうだ。早く書けよ」

「うん。その前にこれって、タイ米の神様の物なの?」

「そうだ。俺は米繋がりで借りているだけ」

「だから、呪文なかったらタイ語なんだ」

「そうだが、そんな事に納得している暇は無いだろ」

「うん」

 山田はノートを手に取り、表紙をめくる。

 少し動きを止め、Gパンのポケットを叩く。

「どうしたんだ?」

「……いやぁ、書く物が……」

「はぁ!? 散々俺に早くしろと言っていたよなー! 用意する時間はあったよなー!」

「ご、ごめん」

「謝っている暇があるのなら、コンビニでも行って早く買って来い! 使えない主人公に、神様は御立腹だ!」

「は、はい」

「もう半分食べているぞー!」

 山田は慌てて走り出す。コンビニを探した。ペンを用意していなかった自分の凡ミスを、悔やむ。

 ただでさえ、意味が有るのか無いのか分からない事をしているのだ。それなのに、これではそれ以前の問題である。


 ボールペンを手に帰って来ると、更に十分経過していた。

「まだリゾットは残っているから、早く書け!」

 神様の声が飛んだ。

「うん」

 幸いな事に、二人の食事のペースは、ゆっくりとしたものの様だ。楽しげな会話に、時間を取られているのだろう。

「名前が、東雲……太一だ!」

 開いたノートを歩道に置く。両膝を着き、ペンを走らせる。

「これで、引っ付く」

 安堵(あんど)し、息をゆっくりと吐いた。

「何をしている。何回も書けよ」

「えっ!? 何で?」

「このノートは、あくまで引っ付き易くなるだけだからな。一回書いただけでは、引っ付く事はまず無い」

「そうなの!? 東雲太一、東雲太一――」

 声に出しながら、山田は何度も名前を書いた。走ってすぐだった事もあり、汗が滝の様に流れる。左目に一粒入り、片目をつぶりながら書く。

「補足だが、名前を一度書けば、0・03パーセントの確率で米が引っ付く」

「低すぎるだろ! ほぼ無意味じゃないか!」

「だから何度も書くのだ。名前の数だけ確率が足されていく」

「でも、…………百回書いても三パーセントじゃないか!」

「まず、0・03に百を掛ける計算位、すぐに出来ろ。そして、安心しろ」

「何で?」

 短く返した山田は、使えないノートと神様に対してイラついていた。しかし、今は気にしている時間が無い。手を動かす方を優先させた。

「タイ米の神様に近しい人物、というか、存在だな。その存在に聞いた話では、たまに0・03パーセント以上の上積みを獲得できる時があるのだ。なので、お前が書いている名前の中にも、基準の0・03では無いものがあるだろう。それでは、最高値は何パーセントなのか。知りたいよな?」

「……」

 山田は手を動かす。

「何と驚きの、1パーセントなのだ! 基準の約三十三倍!」

「元が低すぎるから高い様に感じるだけで、1パーセントは凄くない!」

 遂に、補足を気にしてしまった。手を止めて、話してしまう。

 慌てて、再度書き出す。

「ちなみに、基準を超える名前が出る事を我々は『クリティカルが出た』と言い、その名前が書かれた部分の事を、『クリティカルスペース』と呼ぶ。この事を最初に言い出したのは――」

「その説明はもう、本当にどうでも良い!」

 神様を黙らせて、書き殴る。

 書いて書いて書き続けた。

 嫌いな人物の名前を。汚い文字を、行線からはみ出させがら。

 願いを込めて、ペンを走らせる。

「神様、どう? 引っ付いてる?」

「いや、まだだ」

 山田は一心不乱に、名前を書き続けた。

「袖との距離が近い! 今がチャンスだぞ!」

 神様の言葉を聞き、ペンに力を込める。軸がきしんだ。山田の書記速度は、今までで一番の速さになった。書き殴られた「東雲太一」は、ヒステリックな落書きにしか見えない。

「東雲! 東雲! 俺は! 俺はなー! お前なんかに、お前なんかに! 俺はお前の事が! ……これで決まれー!」

 山田は大声で叫んだ。

 近くを歩いていた人が、びっくりした様子で目を向ける。

 ノートを押さえる山田の左手に、力が入りすぎた。白いページをクシャクシャにしてしまう。右手も同様だった。あまりの激しさに、ボールペンが折れる。

 それでも、手を止めない。ボロボロのページに、割れたプラスチックの柄で、名前のキズを作る。


「付いた!」

 神様の声が弾んでも、山田はすぐには反応出来ない。執拗(しつよう)に同級生の名を書き、ノートに執着(しゅうちゃく)する。

「袖を気にして立ち上がった。おい、もう手を止めろ」

 そこで、ようやく、動きを止めた。正気が戻ってくる。同時に、全身から汗が噴き出す。

 立ち上がり、左手の甲で額を拭う。顔だけではなく、手もすでに汗で濡れている。その為、拭きさる事が出来ない。ほとんど意味の無い行動になった。

「トイレに行ったぞ! ここからが、お前の時間だ。ドラマを起こしてこい」

 山田は静かに頷いた。さっきまでのテンションが嘘の様に、落ちついた気持ちになる。奥歯を噛みしめる事無く、軽く口を閉じた。

 ファミリーレストランの入り口を見すえる。

 次に、神様へと視線を移す。合図を促した。

「スタート」

 神様の声がかかると同時に、山田は足を進める。二重に設けられたドアへと。


 ドラマを始めよう。



 ファミリーレストランの中、山田(やまだ)直道(なおみち)は立っていた。額の汗が頬を伝い、上半身の汗はTシャツを湿らせている。その為、シャツの黒色は濡れている部分だけ、濃くなっていた。

 店は大きい通りに面している。今は昼時という事もあり、店内には家族連れや友達連れなどがいた。七割方の席が埋まっている。

 周りの談笑する声が、山田の耳に入って来ていた。楽しそうな人達に、目を向ける。高校生と思われる、二人組の女子。三歳位の子供をそれぞれに連れた、三人の主婦。と、見回している目の動きが止まる。

 一人のおばさんと目が合ったのだ。髪の毛にはパーマがかかっており、かさばっている。その為、顔が大きく見えた。

 そんな中年女性は、目を細め明らかに山田を見ている。不審がっている様子だったが、口を半開きにしていた。その口と目の状態が、山田にはアンバランスに感じられる。

 おばさんの右手に握られたフォークに、おそらくだが、サーロインステーキが刺されていた。牛肉を食べる直前で動きを止めた為、気の抜けた口になったのだろう。

(あのおばさん、またこっち見てる)

 目線を外し、山田は思った。が、すぐに「また」の意味が分からないと、思い直す。

 おばさんとは面識が無く、目があったのも今が初めてなのだ。

 関係の無い事を気にするなと、自分に言い聞かせる。

 目の前のテーブル席に集中した。一人の女子が座っている。

 彼女以外に用は無いのだ。

 女子の名前は、「菊地原(きくちはら)()()」という。山田は前に一度出会った事があった。

 いつだったか、曲がり角でキレイな女子生徒とぶつかったが、そのすぐ後だ。ショートカットの菊地原は、山田と目が合うやいなや、逃げる様に去っていった。

 あの時、引かれているのかと、山田は思った。だが、今は違う可能性を感じている。

 つまり、「彼女は極度に緊張していたのではないか?」という事だ。その為、恥ずかしくなり、走って離れて行った。それを、自分は逃げている様に思いこんだのだ。

 そういう風に考える事も出来ると思う。いや、出来るはずだ。更にいや、絶対そうだ。と、山田は自分に言い聞かせる。心を無理や……り、では無く、普通に奮い立たせた。

 菊地原を見据える。

 彼女は心なしか身を引いて、テーブル席の隅に座っていた。その姿はイコール、山田に対して引いている様に見えるが、本当は違うはずだ。

 単に、癖かもしれないし、端に座るのが好きという事かもしれない。

 山田には、菊地原に伝えたい気持ちがある。

 あの日、彼女は緊張した。その理由が、自分と視線が交差した事による恥ずかしさだとすれば、必ず気持ちに応えてくれるはずだ。と、思う。

「菊地原さん、こんにちは」

 山田は意を決して、彼女に声をかけた。

「……」

「お願いだから、驚かずに聞いて欲しい。何もしないから」

「……」

 菊地原は目を大きく見開き、にらみつける様な表情を向けてくるのみだ。

 なぜ嫌悪感むき出しなのか、山田には分からない。という事にしておかなければ、この先を続けられない。

 そう思ってすぐ、思った事自体を改める。

(今は本当(いらな)の(い)事を考えずに、菊地原さんに集中するんだ)

 頭の中で三度繰り返した。

「一緒にここを出て欲しい」

「……何で?」

「お願いだから、一緒に出よう。俺……僕は菊地原さんと一緒に出たいんだ」

「だから、何で一緒に出ないといけないのよ!」

「僕は……付き合いたいんだ。菊地原さんと」

「何言ってるのよ」

 吐き捨てるように言った菊地原の視線が、山田から外れる。

「太一君! 助けて!」

 彼女の言葉に、周りの客が振り向いた。

 そこに、白いシャツを着た男が歩いてくる。

「山田君じゃないか。どうしたの?」

 その言葉に、山田はビクッと体を震わせてしまう。

 やって来たのは同級生である。「東雲(しののめ)太一(たいち)」という名前だ。どうやら、東雲と菊地原は一緒に食事をしていたようだ。テーブルには、二つの料理が置いてある。菊地原の前には白い皿があり、ナポリタンが入っていた。テーブルの反対側には、リゾットの入った、やはり白い皿がある。

「……東雲君、こんにちは」

 東雲に目を向けずに、山田は言った。

「太一君、からまれてるのよ」

「山田君に?」

 東雲は怪訝そうな声を出しながら、紙タオルで押さえる様に、シャツの左袖を拭いていた。

 それを横目で見ながら、

(彼にはバカな所があるから、どうせ米でも引っ付けたんだろう)

 と、山田は思った。東雲はおっちょこちょいで、よくミスを犯すのだ。

「お客様、どうかなされましたか?」

「いえ、何も。友達同士の話です」

 近寄って来たウエイトレスの女性に、笑顔で東雲は答える。彼女は軽く頭を下げて、歩いていった。

「山田君は、美貴と知り合いなの?」

「……」

「僕と美貴は幼馴染なんだ」

「太一君、私とこの人が知り合いな訳無いでしょ。こんな変出者」

「またまたぁ。もしかして今日呼びだしたのも、山田君に会わせる為だとか?」

「そんな訳無いでしょ!」

 菊地原は語気を荒げる。次に、山田に強い視線を送った。

「さっき付けてたの、あなたでしょ!」

「……」

「付けてたって?」

「ここに来る前、この人に付けられたのよ。適当に路地を回っても、しつこく付いて来てさぁ」

「山田君は、そんな事しないよ」

「いいえ、そんな事無いわ。急に振り向いて、一瞬顔を見たの。それに、その時わかったんだけど、この人、犬なのよ」

「あれは、猫の鳴き声だ」

「ほら、自分でも認めた。あの時、私は鳴き声を聞き間違えたんじゃないのよ。人の事を嗅ぎ回って、後を付いて来るあなたは犬だって言ったのよ!」

 腹の中に何も無くなった様な気持ちに、山田はなった。空虚で寒い。存在を消したくなる。その思いを隠せない。菊地原の言葉をいなす事が出来ず、まともにダメージを受けてしまった。

「僕にはわかる」

 東雲が声を上げる。

「それは、山田君じゃない。とりあえず、座って話そう」

 そう言って、彼は二人掛けの座席に着く。通路側に、一人分のスペースを空けていた。向かいの菊地原は、真ん中に座っている。山田を座らせる気は、毛頭(もうとう)無いのだろう。

「……僕はいい」

「何で、座りなよ」

「帰りなさいよ」

「コラ、美貴」

「だってこの人、私に『付き合おう』って言うのよ」

「付き合う?」

 東雲は姿勢を山田に向ける。

「山田君は、美貴の事が好きなの?」

 山田は一歩後ずさんだ。

「私が無理なんだから、この人の気持ちは関係ないでしょ」

「そういえば美貴、学校に好きな人がいるんだってな。それ誰なの? 仲良くしてるんだろ?」

「な、何で今その話になるのよ! バカじゃないの……」

 顔をまっ赤にして菊地原はそう言うと、下を向いた。

 東雲は短く笑ってから、

「バカって言われちゃった。山田君は、好きな人を大切にすると思うから、僕は良いと思うけどな。美貴には他に相手がいるのか」

 と言って、山田に微笑みかける。

「ごめんね、山田君。でも、山田君は優しいから、絶対大丈夫だよ。彼女はその内出来るんだろうなって、思うんだよ。っていうか、わかるんだよ。僕なんて、いつになったら付き合える事やら」

 菊地原が顔を少し上げ、上目づかいで東雲を見た。が、すぐに視線は自分の(ひざ)に戻る。

「……東雲君は、何で僕の事をわかるって言うの?」

「えっ? だって、今までの付き合いがあるじゃないか」

「付き合い? 廊下で少し喋って、海で見かけただけじゃないか」

 東雲は視線を合わせ様としてくる。山田はそれが嫌だった。わずらわしい。うつむき加減で避け続ける。

「そういえば、そうかな。じゃあ、この後遊びに行こうか?」

「……俺の事が、お前にわかる訳無いだろ」

「えっ?」

 山田の(つぶや)くような言葉に、東雲は困惑した様子で声を出す。もしかしたら、よく聞こえなかっただけかもしれない。

 山田は走りだした。ウエイトレスに当たりそうになりながら、店を出る。



「カット、カットだって山田! どこまで行くんだ!」

「うるさいなぁ、走りたいんだよ」

 山田は、街を闇雲に走っていた。

「くそが、何であんなにすぐ帰ってくんねん! 人がどんだけ苦労したか、わかっとんのか!」

「まぁ、袖に米粒が付いただけだからな。そんなに時間を取らせられないか」

「菊地原の好きな人は、絶対東雲やしよ! 幼馴染と付き合うとか、ど定番やんけ! 東雲が気付いてない感じもど定番で、めっちゃムカつく!」

 そう言うと、山田は走りながら叫んだ。道行く人が山田を見る。

 無闇やたらに走っているのは、思ったよりも東雲が早く帰ってきた事だけが理由では無かった。無論、ダイエットの為でもない。

 東雲の「山田君は、美貴の事が好きなの?」という言葉のせいだ。

 あの時、山田はたじろんだ。その事実に自分自身で驚いていた。

 考えが、頭の中をめぐる。

(俺は、付き合いたい。付き合って、楽しいエピソードを作りたい。そう考えていたけど、好きだとかは一回も考えた事が無かった。俺は、菊地原さんが好きなのだろうか? 好きだから声をかけたのか? たまたま目に映ったから、声をかけたんじゃないのか? 菊地原さんの事は嫌いでは無い。でも、彼女を好きとするなら、かわいかったりキレイだったりする女子の事は、大抵好きという事になってしまうんじゃないのか? それって、つまりは好きとは違うんじゃないのか! 皆好きなんじゃなくて、皆普通なだけだ! そうだろ?)

 夏の終わりが近づいていた。後一週間もすれば、夏休みも終わる。この頃に聞こえるセミの鳴き声は、断末魔の叫びなのかもしれない。自分達の時間が、終わりを向かえるのだから。

 ダラダラと汗を流して、山田は走っている。時折、叫びながら。

 この日は体の水分を失ってばかりだったが、それ以上に無くした気がする。取り返しのつかないモノを。

 他人の信頼。自信。純粋さ。優しさ。素直さ。

 山田は、自分が人を付け回す人間だとは、思っていなかった。

 他人を妬み、バカにする人間だとは、思っていなかった。

 相手の感情も自分の感情も無視して、ただ付き合うという状態を求める人間だとは、思っていなかった。

 しかし、本当はそうなのだ。

 自分という人間が分かってしまった。それを知った事だけが、唯一の得たモノである。

 だからといって、悲観に浸りはしなかった。

 それでも、ドラマを起こしにかかり続けるのみである。今は、それしかない。

 頭にまた疑問が浮かんだ。


(好きって何だ!? 好きって俺にもあるのか!?)


 山田には、スキが分からない。


 思い悩みながら、交差点にさしかかった時だった。

 視線を感じる。

 向かいの歩道に、知っている顔があった。

 全く会いたくはない人間だ。

 そこには、近所の小学生、橋山がいた。

「お前も――」

 大声で話しかけられて、仕方なく立ち止まる。

「――何か盗ったのか!?」

 そう言う橋山の手には、マンガの単行本が握られていた。

 山田は走り出す。今来た道を戻り、曲がり角を適当に折れ、距離を稼ぐ。

(『も』って何だよ、『も』って! お前が持ってるマンガ本は、何で本屋の袋に入ってないんだよ! 人をお前みたいな出来損ないと、一緒にするな!)

 自分の悩み、スキとは何なのかを、考える事に集中した。


 今回のターゲット。

 小学生の女の子。二年、菊地原美貴。

 一度目の出会い未遂を経て、再度アタックを試みるも、明らかに嫌われた。今後に繋がる可能性は極めて低い。頑張っている気持ちは見せた。小学生の方は論外。

 神様の評価は百点満点中、三十点。


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