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六、一等兵、ブラック

「お子さんの自死についてですが、以前のように暴力を振るわなくなり、暴言も言わなくなって、素直で物分かりのいい良い子になって安心していた矢先に、通っている高校の屋上から飛び降りたわけですね?


 おそらく、彼自身も分からなかったと思いますが、彼はどこにも安心できる場所がなかったと思われます。普通は、信頼に基づく良好な親子関係から、心に安心できる安全基地のようなものができますが、こちらではそれが極めて希薄か、全然なかった可能性があります。


 彼が暴力に走っていたのは、わずかでも自分の主張や存在が認められる場所を確保して安心し、精神を保つための最終手段だったのですが、それすらしなくなって良い子になったため、心の安心が完全に失われ、行き場がなくなって、このような結果に至ったのではないかと。


 なぜ不良をやめたのか、ですが、その前に、かなり厳しいスパルタ式の更生施設に入れましたね? 反抗のたびに厳罰を受け、わずかな心の安定を得るために莫大な代償を払うことに耐えられなくなったため、素行を真逆にしたと思われますが、それが裏目に出て、彼を追い詰めてしまったようです。


「荒れる前は、本当に天使のように素直ないい子だったのに」とおっしゃいましたが、それは大変言いにくいのですが、あなた方ご両親と彼のご兄弟の皆さんが、彼をご自身の心の安全基地の確保に使っていたからです。


 彼も安心が欲しいのにかなわないので、暴力という、無理やりにでも自分を認めさせる行動に出たわけですが、それすらも抑えられたため、安心を諦めるしかなかったのです。しかし、人間は心に安堵がないと生きていけません。対人恐怖などの心の疾患は、全てその根に他人への不安感があります。それは多くの場合、親が子供に、「自分が守られている」という信頼感、心の安心を与えられなかったことが原因です。


 普通は、このようなケースだと対人恐怖になりますが、お子さん――ロバート君の場合は、暴力的になってしまったように、もともと精神が強くはないところへ、力ですべてを押さえつけたせいで絶望し、極度の鬱状態になって、自死に至ってしまったと思われます。


 もちろん、ご両親のせいばかりではありません。このように子供に不安しか与えないパターンは家系的なもので、親から代々受け継がれるものですから、あなた方も、ある意味被害者といっていいでしょう。ご自分を責めないほうがよろしい。これは避けられない事故のようなものだったのです」



(ちがう)

 ブラックは精神科医のカルテを読んだとき、凍りついて思った。

(ロバートは、お袋とおや、そして俺たち弟が殺した。俺たちのせいだ。俺も安心のためだけにあいつを利用し、暴れて使えなくなると、とたんに忌み嫌って排除した。彼を、ただ自分を受け入れてくれるテイのいい道具として求め、使い捨てた)

 そして涙も出ない曇り切った瞳で、暮れていく窓の外を見た。

(なぜなら、俺はあいつのやさぐれた顔しか覚えてないからだ)

(あれこそが、本当のロバートだったのに……)


 その後、ブラックは家出同然に軍に入った。一年後、メル隊に一等兵として配属される。






 格納庫で戦車の履帯を掃除しているときに、それは起こった。隣に並んでいる車体が突然宙に浮き、そのまま開け放たれた入口から出ていこうとした。ブラックが慌てて飛びつくと、戦車はそのまま外に出て、敷地の上を上昇していく。メル隊長らが駆け付けたときには、青空を風船のようにふらふら漂っていた。


 ブラックはハッチまで這い上がり、あいている穴の中に叫んだ。

「おい、誰だ! こんなことしてる奴!」

 細い目を吊り上げ、短い黒髪が風になびく。彼女は肌は白いが、髪の色のせいでこの名がついた。小柄だが力は強く、車体が揺れても、ハッチの縁にしっかりとつかまっている。


 彼女の叫びに、操縦席にいたそれは顔をあげ、そのまま宙に浮いてあがってきた。顔が見えてくると、十歳ほどの金髪の少女だった。その目は覗くブラックをきっと見据えたが、すぐに泣きそうになった。そして小さな口から破裂するように声がひり出た。

「ごごごめんなさああいごめんなさ――」

 とたんに高度がガクンと下がったので、ブラックはあわてた。

「わわわっ! なんか知らんが、おまえがやってんなら、飛ばせ! 謝るな!」

「うううう、ゆ、ゆるじでえええ」

「ゆるす! ゆるすから! 怒らないから! 早く飛ばせ! 飛ばせえええ!」

 すると少女は下を向き、肩を怒らせて震えだした。すると落ちていた戦車はグンと上を向き、再び大空を滑空しだした。もう上昇はしていない。


(ひ、飛行機に乗ってんのか、俺は?!)

 ブラックは頬をつねろうとしたが、つかまっている手が滑りそうなのでやめた。もしや戦闘機を戦車と勘違いしたか、と思ったが、それはない。格納庫には空を飛ぶものは一台もなかったし、なにより今ハッチの向こうに見えているのは、紛れもなく戦車の長い砲身である。


「中に入っていいかー?!」

 呼びかけると、こっちを見上げてうなずく。車体がまたガクンと下がったので、あわてて怒鳴った。

「と、飛ばしてていいぞ!」


 そして鉄梯子を下りながら、仕事前に入った報告をやっと思い出していた。

「エスパー少女に気を付けろ」

(エスパーすぎだろ?!)

 ブラックは恐怖や感動より、ほとんどあきれていた。

(これもう、神レベルじゃねえか!)



「マトゥーシュカ・ピッピか、かわいい名前だ」

 後ろの司令席に座って、ブラックは精一杯の笑みで言ったが、前の操縦席にいる相手も、これを飛ばすための集中で精一杯である。

「だが、このまま飛んでるわけにもいかん」とブラック。「どこでもいいから、降りたほうがいい」

「お、降りたら、死刑になる。殺される……」

 車体がガクンと下がるので、またあわてて、

「だ、大丈夫だ! 俺から言ってやる! おまえには、誰も何もしない! 俺はこう見えて、偉いんだ! 信じろ!」

 嘘八百だったが、子供は素直に信じた。戦車は彼女のナビでゆっくりと高度を下げ、近くの丘に降りた。





 待てば、そのうち探しに来ると思ったが、マトゥーシュカがうつむいて震えているのに気づいた。

「怖いか?」

 後ろからハグすると、幼い心臓の鼓動がトクトクと伝わり、急に悲しくなった。

「心配ない。俺がついてる」

 すると鼓動がゆっくりになり、安堵の顔になった。

 なぜか涙が止まらなくなった。

(そうか、これだ)(これが、ロバートが、ずっと欲しかったもの……!)


「……怖いの?」

 マトゥーシュカがきょとんと聞くので、袖で涙をぬぐって鼻声で言った。

「もう怖くないよ」


 安全基地。二度と手にする資格はないと思っていた。俺が殺したロバートのために、心の安らぎとは永久に縁を切ったつもりだった。それが、こうも簡単に誓いを破ってしまうとは。

 だが罪悪感も自己への嫌悪も、この少女の安らぐ顔の前では、一気に吹っ飛んでしまった。



 そうだ、誰だかわからないが、この子の心の安全基地を、俺が守りぬいてやる。それがロバート兄貴への、俺のできる唯一の償いになろう。

 たとえ誰が攻撃しようが、この俺が許しはしない。それがたとえ、メル隊長だとしても。

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