五、砲手でシェフのレーベ・フラム
調理場で新作菓子を焼き終わり、後ろの銀卓をくるりと向いたレーベ・フラムは驚いた。美白の肌に垂れ気味の目をした、一見フランス人形のようなきれいな顔立ちで、豊富な金色の髪をサイドおさげにして右肩の前に垂らしているが、その先端が驚きでしばらく揺れが続いたほどだ。しかしそれでも、その持ち前のおっとりお姉さんの雰囲気は、ほとんど崩れなかった。
彼女はその美麗な外見に似合う柔い声とやさしい口調で、とりあえず聞いた。
「あなた、どこから来たの?」
だが、この突然目の前に現れた相手は、レーベ・フラムの質問に答える暇がまるでなかった。銀卓に置かれた大皿のクッキーを、犬のごとくガツガツむさぼりまくっていたからだ。背後は壁で、でかい通気口のサッシが外され、奥にのびる暗い通路がのぞいている。これはどう見ても、そこを通ってここまで這ってきたのだ。さぞ汚かったろう、とレーベは思った。
普通なら、作ったばかりの菓子を勝手に食われたら怒ったろうが、そんな気にはならなかった。その十歳くらいの少女は、実際はかわいい顔だちだろうが、ほこりだらけの黒ずんだ顔と服のせいで、汚さよりはむしろ、哀れさがにじみ出ていた。だが、ガツガツ食う行為自体は、子供らしい必死さで、かわいく見えた。
最初は少々固まったレーベも、見るうちに顔が自然にほころび、垂れた目じりがいっそう下がった。
そこでふと、ついさっき電話で知らされたことを思い出した。エスパー少女が逃げ出して基地内にいるから、見つけたら直ちに報告し、絶対に手出しせぬように、みたいな。クッキーを焼いている最中で、「なにそれ」と思いつつ生返事で済ませたので、重大な事態と言われようが、ろくに覚えていなかった。
だが、そうか、これか。
これが、そのお尋ね者のエスパー少女か。
「あなた、かわいいわね。お名前は?」
やっと食べ終わった少女に、レーベは微笑して聞いたが、少女は座り込んだまま、悲し気に目の前の大皿に目を落とすだけだった。
それで、さらにやさしく言ってやった。
「だいじょうぶよ、たくさんあるから。もっと欲しい?」
少女の顔がぱっと明るくなったので、なんかうれしくなったレーベは、ケーキ用の板チョコを数枚持ってきて、大皿に入れた。「どうぞ、遠慮なく食べ――」と言いかけたときには、もう相手は理性もなく飛びついてバクバクかじっていたので、おかしくなって、くすくす笑った。
だが、すぐ真顔になった。どんな事情があろうと、こんな育ち盛りの子供をここまで飢えさせるなんて、許されることではない。爆撃後の町で見た子供たちの哀れな顔が浮かんだ。隊に内緒でパンをわけてやったが、これと全く同じ反応だった。
「ま、マトゥーシュカ……」
食べながら、少女は不意に言った。
「それがあなたの名前? かわいいわね」
言って頭をなでてやりながら、さっきの質問を覚えていたのか、と感心した。気遣いのできるいい子だ。
「私はレーベ・フラム」とレーベ。「メル隊の砲手でシェフよ。部隊の食事は、みんな私が作ってるの。普通はコックって呼ばれるけど、私は好きじゃなくて……」
そのとき、ドアの向こうからバタバタと足音が近づいてきてドアがバタンとひらき、いかつい軍人が二人入ってきた。ストーク少佐と、その部下である。あまり会いたくない相手だった。
少佐は少女とレーベを見ると、つい笑った。しかし、あまりうれしそうではなく、ゆがんだ苦い感じの笑いだった。
「これはレーベシェフ、お手柄だな。あとは俺たちにまかせて、料理の続きでもしてくれ」
言って近づこうとしたが、レーベは手で制した。
「私が連れていきます。少佐はお帰りを」
「そいつは凶悪犯だぞ!」と、ぎょろ目をむく男。「下手に手を出すと殺されかねん。悪いことは言わん、こっちにわたせ」
「こんなにおびえています。これ以上興奮させたら、少佐のほうがやられますよ?」
気を使ったのだが、逆に取られた。ますますキレるストーク少佐。
「手柄を独り占めか?! コックなんぞが出世しても、意味なかろうが!」と近くに盛ってあるクッキーを何枚か取り、床に投げつけて、靴でぐりぐり踏みにじった。「だいたい、上官に逆らうとはなんだっ! おい、こいつを押さえろ!」
だが、命じられた部下が動く前に、レーベは男の右手首をつかんでいた。
ぐきっ。
「ぎゃあああー! か、関節があああー!」
ストークは叫んでしゃがみ込み、涙目で右手首をおさえてうめいた。彼女の握力の半端なさと、料理への過剰な執着心を忘れていた彼の敗北であった。
「戦場では、食べ物は命」
冷徹に言い、仁王立ちで見下ろすレーベ。
「それを粗末にする奴に、生きる資格はない」
「ぐ、ぐう、おのれええ!」と部下に怒鳴る男。「ぼさっとしとらんで、早くガキを捕らえろ!」
だが、この間に十秒以上はとうに経っていた。マトゥーシュカは念力を使い、一瞬で背後の通気口の穴に消えた。
穴に向かって、愉快そうに叫ぶレーベ。
「マトゥーシュカちゃーん! また、いつでも来てねー! ごちそうするわよー!」




