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第9楽章

いつもの倉庫スタジオ。


みんなが、

思い思いに過ごしていると


亮太のパソコンにメールが届く。


亮太が

パソコンを見ている。

「……ん?」


駿

「どうした?」


亮太

画面を見ながら言う。

「ちょっと珍しい依頼」


浩平

「飯?」


ゆり子

ため息をつきながら

「違うでしょ」


亮太

読み上げる。


「フルール植物園です」


圭一

「植物園?」


いずみ

「行きたい!」


亮太

少し首をかしげて読み上げる。


『トラベリング・オーケストラの皆様へ

ぜひ当園の温室で演奏していただきたく、ご連絡いたしました』


浩平

「へぇ」


亮太

続きを読む。


「そして——」


少し止まる。


「可能であれば、

フルートの曽我ゆり子さんに」


ゆり子

「……え?」


亮太

もう一度読む。


「曽我ゆり子さんに、ぜひ演奏していただきたいと思っています」


スタジオが静かになる。


駿、ゆり子を見る。

「指名?」


圭一

「スターじゃん」


ゆり子、腕を組む。

「ちょっと待って、なんで私指定?」


いずみ

「ファンじゃない?」


浩平

のんびり言う。

「植物好きとか」


駿、笑う。

「フルートは風っぽいし」


ゆり子

ため息。

「理由になってない」


亮太

メールをスクロールする。


「あ、続きある」


亮太

「理由としまして——

以前、偶然拝見した演奏の中で

曽我様のフルートの音が

まるで“風が植物の間を通り抜けるように”感じられました」


ゆり子

「……は?」


亮太

続ける。


「当園では日々、植物の変化を観察しておりますがその音を思い出したとき、この空間で聴いてみたいと強く思いました」


圭一

小さく言う。

「……いい理由だな」


駿

ふっと笑う。

「詩人かよ」


ゆり子

少しだけ黙る。


和馬

「ちゃんと理由あった」


浩平

「しかも褒めてる」


いずみ

「すごいね!」


ゆり子

少し照れながら言う。

「……大げさよ」


駿

ニヤッとする。

「顔赤いぞ」


ゆり子

「赤くない」


仁が

静かに言う。

「行こう」


みんな見る。


淡々と。

「植物園」


亮太

笑う。

「決まり!トラオケ…次のステージは

…植物園だ!」


いずみ

「温室楽しみ!」


浩平

「売店あるかな」


ゆり子

小さくつぶやく。

「……なんで私なのよ」


でも、その声は

少しだけ嬉しそうだった。



数週間後。


倉庫スタジオの前。


ワーゲンバスの後ろのドアが

大きく開いている。


楽器ケースが並んでいた。


亮太

「よし!積み込み完了!」


浩平

トランペットケースを置きながら言う。

「植物園って売店ある?」


駿

「まずそれか」


浩平

ポケットを探りながらお菓子を出す。

「腹減るだろ」


ゆり子

冷たい視線。

「まだ出発もしてないのに」


圭一

チェロケースを持ちながら言う。

「植物園って静かそうだな」


いずみ

嬉しそうに

「お花いっぱいかな〜」


駿

ゆり子を見る。

「で?」


少し間。


「指名されたスター様の気分は?」


ゆり子

腕を組む。

「だから…なんで私なのよ」


亮太

運転席に乗りながら言う。

「フルートの音が植物園に合うんだって」


和馬

「風みたいだから?」


いずみ

「葉っぱ揺れる感じ?」


ゆり子

ため息。

「適当すぎる」


仁が

静かに言う。

「いいじゃないか」


みんな見る。


少し笑う。

「音楽を聴きたい場所がある」


少し間。


「それだけで十分だ」


ゆり子は

少し黙る。


駿

ニヤッとする。

「いいこと言うな指揮者」


亮太

エンジンをかける。

ワーゲンバスがゆっくり動き出す。


浩平

「遠いの?」


亮太

「3時間ほど」


和馬

「割とあるな」


浩平

「3時間か……」


少し考える。


「その間に腹減るな」


ゆり子

「さっき食べてたでしょ」


いずみ

窓の外を見ながら

「遠い方が楽しみ増えるよ」


圭一

小さく頷く。

「景色も変わるしな」


ワーゲンバスは

ゆっくりと街を抜けていく。


ビルの影が低くなり

空が広がる。


やがて——

道路の両側に緑が増えていく。


いずみ

「わぁ…!緑いっぱい!」


和馬

「ほんとだな」


窓を少し開ける。


風が車内に流れ込んだ。

その風はどこかやわらかくて

少し湿っていて土の匂いがした。


圭一

小さく言う。

「……いいな」


ゆり子は

その風を静かに受ける。

髪が少しだけ揺れる。


駿

横から声

「風、来てるぞ」


「何が」


ニヤッとした気配。


「主役の出番」


「うるさい」


でも

ほんの少しだけ口元が緩んだ。


亮太

前を見たまま言う。

「温室ってさ、

外と違って空気が閉じてるんだよな」


和馬

「逃げないってことか」


静かに言う。

「音も同じだ」


そして続ける。


「閉じた空間ほどわずかな違いが響く」


和馬

「繊細だな」


ゆり子は

窓の外を見る。

揺れる葉は光を受けてきらきらと動く緑。


その中に


ふと

自分の音を重ねる、まだ吹いていないのに音がそこにある気がした。


ゆり子

小さく。

「……変なの」


圭一

「何が?」


「なんでもない」


ワーゲンバスは

さらに奥へと進んでいく。


やがて——


大きなガラスの建物が見えてきた。


陽の光を受けてきらりと輝く。


いずみ

「わぁ……!温室だ!」


亮太

少し笑う。

「到着だな」


ワーゲンバスは

ゆっくりと植物園の前に止まった。


入口の前に

ひとりの男性が立っていた。


年配の穏やかな男性。

「ようこそ、

フルール植物園へ」


亮太

「トラベリング・オーケストラです!」


男性は

深く頭を下げた。

「園長の高梨です」


駿

「園長直々」


浩平

「VIP扱い」


園長はゆり子を見る。

そしてやわらかく微笑んだ。

「曽我ゆり子さんですね」


ゆり子

少し驚く。

「はい」


園長

「今日は本当にありがとうございます」


ゆり子

少し戸惑う。

「いえ…」


浩平

小声。

「やっぱスターだ」


ゆり子、肘で軽く突く。


園長は、温室の方を指した。

「演奏はあちらで」


ガラスの扉が開く。

中には、たくさんの植物。


いずみ

「きれい〜!」


圭一

「空気が違う」


ゆり子は

フルートケースを握る。

少しだけ緊張した顔。


そのとき——


園長がそっと奥を振り返った。


温室の奥。

ベンチの横に車椅子の女性がいる。

女性は静かに緑を見ていた。


園長は

小さく言う。

「今日は……いい日になりますよ」


——


温室の中。


ガラス越しの光が

葉の間から差し込んでいる。

空気は少し暖かくて花の匂いがした。


小さく言う。

「いい場所だな」


音を立てることすら

少しだけためらうような空間。


ゆり子は

フルートを持つ指先が

ほんの少しだけ慎重になる。


和馬

小声で。

「珍しいな」


「何が」


「ちょっと緊張してる」


「してない」


でも——

否定の声は少しだけやわらかかった。


——


温室の中に椅子が並び

小さな客席が

静かにその時を待っていた。


観客は、それほど多くない。


ベンチに座る人たち。

花を見に来た人たち。


その中に一人の女性。

車椅子に座り静かに温室を見ている。


仁が指揮棒をあげる。


ゆり子は、

静かにフルートを構える。


ほんの一瞬だけ、

目を閉じる。


仁の指揮棒が

ゆっくり下りる。


最初の音。


やわらかく

ゆっくりとした旋律。


《シチリアーノ》


音は、

花びらみたいに落ちる。


ひとつ。

また、ひとつ。

温室の空気が、少しだけ変わる。


そして——


やわらかな音が、そっと乗った。

空気に溶けるように広がっていく。


いずみ

小さく。

「……すごい」


音は

葉の間をすり抜けて奥へと流れていく。


その先——


車椅子の女性が

ゆっくりと顔を上げた。


音の方を見る。


その表情がほんの少しだけ

やわらいだ。


ゆり子は、気づかない。

ただ、目の前の花に向けて

音を重ねていく。


温室の光が、

やわらかく肩に落ちる。


さっきまでの“風景”が、

“記憶”に変わる。


——あの頃の、やわらかな光。


小さな手で、

ゆり子はフルートを吹いていた。


その隣で、

母がやさしく頭を撫でる。

「ゆり子、上手ね」

「風みたいな音」


ぱちぱちと、

うれしそうに拍手する。


ゆり子は、少し照れながら、

もう一度フルートを吹いた。


そのときの光が、

胸の奥に、そっと蘇る。


車椅子の女性が、ふと顔を上げる。

懐かしいものに触れたみたいに。

その目が、わずかに揺れた。


ゆり子の視線が客席へ向く。


そこには——


車椅子の女性。


ゆり子の母だった。


一瞬

息が止まる。


でも


フルートの音は

止めない。


母は

静かに笑っていた。


フルートがもう一度歌う。

母の目に涙が浮かんでいた。


仁の指揮が

ゆっくり止まる。


最後の音。

消えそうで、消えない。


花の奥に、そっと残る。

温室の静けさ。


そして

大きな拍手。


いずみ

「すごい…」


和馬

小さく言う。

「今日のゆり子、いつもよりいい」


浩平

うなずく。

「めちゃ綺麗だった」


ゆり子はフルートを下ろす。


そして

客席へ歩いて行く。

車椅子の前で止まる。


母は微笑んだ。

「ゆり子いい音だった」


ゆり子は少しだけ笑う。

「……来てたの」


「園長さんが呼んでくれたの」


ゆり子

小さくため息。

「ずるい」


でも


その声は

少し震えていた。


温室の中にまた穏やかな空気が戻った。

葉が揺れる光がガラス越しに差し込む。


ゆり子は

まだフルートを持ったまま

母の前に立っていた。


少し離れた場所で

和馬が小さく言う。

「……あれ」


いずみ

「お母さん?」


仁は

ゆり子を見てから言った。

「外に出よう」


亮太

「そうだな」


いずみ

小声。

「お花見てこよう」


駿

「気ぃ使ってるな俺ら」


圭一

「たまにはな」


みんな

静かに温室の出口へ歩いていく。

ガラスの扉が静かに閉まる。


温室には

ゆり子と母だけが残った。


少し沈黙。


母が言う。

「久しぶりね」


「……うん」


「元気だった?」


ゆり子

小さくうなずく。

「まあね」


母はゆり子のフルートを見る。

「ちゃんと、届いてる」


ゆり子少し照れたように笑う。


母が続ける。

「いい音だった」


ゆり子は少し視線を落とす。

「……来てるって知らなかった」


「驚いた?」


「ちょっと」


母は温室の花を見た。

「ねぇ、覚えてる?」


「何を?」


「小さい頃、風が入ると、

フルート吹いてたでしょ」


ゆり子は少し笑う。

「覚えてる」


「今日の音、その頃と同じだった」


ゆり子驚いて顔を上げる。


母は優しく笑っていた。

「風みたいな音」


ゆり子は少しだけ黙った。


「……そう」


母は、小さくうなずく。

「うん」


外から、みんなの聞こえた。

「亮太!迷った!」


「売店どこだ!」


「こっちじゃない?」


ゆり子小さく笑う。


母が、やわらかく言う。

「にぎやかな仲間ね」


「……うるさいだけだよ」


少し間。


ゆり子は母を見る。

「……また、会いに行くね」


母は少しだけ笑って、うなずいた。


温室の光が

やわらかく差し込んでいた。



温室の外。


ワーゲンバスの横で

みんなが

ゆり子を待っていた。


亮太は

腕を組んで温室を見る。


そのとき

ガラスの扉が開いた。

ゆり子が外へ出てくる。


駿

ニヤッとする。

「スター様」


ゆり子

「やめて」


浩平

「サインください」


ゆり子

「帰るわよ」


みんな笑う。


仁が

静かに言う。

「いい演奏だった」


ゆり子は少し驚く。


仁はそれ以上何も言わない。


亮太、手を叩く。


「よし!トラオケ撤収!」


楽器を積み込む。


チェロケース。

ヴァイオリン。

トランペット。


そして——


フルート。


ワーゲンバスのドアが閉まる。


エンジンがかかる。

ゆっくり植物園を出る。


窓の外。


ガラスの温室が

夕方の光を受けていた。


駿

後ろの席で言う。

「今日のゆり子よかったな」


浩平

「うん」


圭一

「いつもより柔らかかった」


いずみ

「お花のせいかな?」


ゆり子

前の席から言う。

「聞こえてる」


圭一

笑う。

「褒めてるんだよ」


亮太

運転しながら言う。


「フルートと植物園、最高だったな」


仁は、窓の外を見ていた。

小さく言う。

「風だった」


ゆり子

「え?」


「音」

仁、それだけ言う。


ゆり子は少し黙る。

それから窓の外を見る。

夕方の風が木の葉を揺らしていた。


ワーゲンバスはゆっくり走る。


トラベリング・オーケストラの

旅はまだ続く。


つづく…

お読みいただきありがとうございます。

——第10楽章へ。

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