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第10楽章

いつもの倉庫スタジオ。


亮太が

パソコンを見ていると

「おっ……来たな」


和馬

「今度はどこだ?」


亮太

少しだけ視線を上げる。

「母校」


一瞬

空気の温度が変わる。


浩平

「音大?」


ゆり子

「久しぶりね」


亮太

メールを読む。


『トラベリング・オーケストラの皆様へ


本学の学生に向けて“音楽を楽しむ”

ということを演奏を通して伝えていただけないでしょうか』


圭一

ぽつりと

「演奏会じゃないんだな」


いずみ

「授業みたい!」


駿

小さく笑う。

「難しそうだな」


亮太

「どうする?」


みんな


自然と仁を見る。


仁は

少しだけ考えて

静かに言う。

「……行こう…伝えるのは」


少し間。


「音だ」



数週間後。


久しぶりのキャンパスに

ワーゲンバスがゆっくりと止まる。


ワーゲンバスを降りる。


見慣れたはずの景色が

どこか

少し違って見えた。


そのとき——


「トラベリング・オーケストラの

皆様ですか?」


振り返る。


事務員が

少し緊張した様子で立っている。


「学長がお待ちです」


亮太

「分かりました」


事務員

「こちらへ」


キャンパスの中を歩く。


すれ違う学生たち。

どこか、よそよそしい視線。


やがて——

学長室の前で足が止まる。


事務員が軽くノックする。

「失礼します」


扉が開く。


学長

「トラベリング・オーケストラの皆様ですね。本日はお越しいただき、ありがとうございます」


穏やかな笑顔。


だが——

どこか硬い。


学長

「さっそくですが」


指を軽く組む。


「本学の学生は、技術的には優秀です」


少しの間。


「ですが」


視線がわずかに鋭くなる。


「“楽しむ”という点においては——」


言葉を選ぶ。


「やや不器用でして」


ゆり子が

わずかに眉を動かす。


駿は

小さく息を吐く。


学長

「どうか…“正しい演奏”ではなく

“伝わる音”を見せていただきたい」


静寂。


仁は

何も言わない。


ただ——

わずかに頷いた。


学長

立ち上がる。

「こちらへどうぞ、

学生たちが待っています」


廊下を歩く足音だけが響く。

扉の向こうからかすかに聞こえる音。


ドアが開く。


中にいた学生たちが

一斉にこちらを見る。


張り詰めた空気。


楽器を持つ手に、

少しだけ力が入っているのが分かる。


仁が、静かに前に出る。

学生たちを、ゆっくり見渡す。


その視線に、

ひとり、またひとりと背筋が伸びる。


仁が、指揮棒を上げる。


学生たちが、楽器を構える。


《威風堂々 第一番》


音が、鳴る。


正確な入り。

揃ったタイミング。


音は、まっすぐ進む。


でも——


どこか、遠い。


強弱はある。


けれど。

その音は——


前に進むだけの音。


演奏が終わる。


ピタリと止まる。


静寂。


誰も、何も言わない。


仁が、静かに言う。

「もう一度」


学生が戸惑う。


「今のは——」


少しだけ間。


「正しかった」


さらに一歩、近づく。


「でも」


視線が、全員に向く。


「届いてない」


仁が、もう一度指揮棒を上げる。


音が、鳴る。

揃っている。


けれど——

どこか、硬い。


仁は、何も言わない。

ただ、指揮棒を振る。


その後ろで——


トラオケのメンバーが、

静かに聴いている。


浩平

小さく口を動かす。

「うまいな」


圭一

ぼそっと続ける。

「うん。ちゃんとしてる」


ゆり子

わずかに目を細める。

「……なんか、息が詰まる」


和馬

腕を組んだまま。

「……余裕ないな」


駿が

少しだけ苦笑する。

「……力、入ってるな」


いずみが

そっと言う。

「きれい……なんだけどね」


音は、前に進む。

正しく。

まっすぐに。


でも——

通り過ぎていくだけだった。


亮太

小さくつぶやく。

「……惜しいな」


仁は、途中で指揮を止めた。


音が、途切れる。


静寂。


仁は、学生たちを見る。

「……楽しいか?」


誰も、答えない。

視線が、揺れる。


そのとき———


亮太

軽く手を上げる。

「じゃあ」


少し笑う。


「俺たちの、見てて」


空気が少しだけ緩む。


トラベリング・オーケストラが

前に出る。


空気が変わる。


今度は、

自分たちのための指揮。


指揮棒が、上がる。


同じ曲。


なのに——

最初の一音で、空気が変わった。


音が、前に出る。

まっすぐじゃない。


“誰か”に向かっている音。


駿の音が、

やわらかく歌うように——


和馬の音が、

静かにそこにある。


圭一の音が、広がる。


その上で——

音が、自由に動きはじめる。


ゆり子の音が、

すっと抜けて行く。


浩平の音が、まっすぐ響く。


いずみの音が、

全体をやさしく包む。


音と音が、ぶつからない。


無理がない。

ゆるみがある。


ほんの少しの行き違いが——

音を、生き物みたいにしていく。


さっきと同じ旋律なのに。


空気が、動く。

同じ曲なのに——


“景色”が違う。


学生たちは、

息をするのも忘れて見ている。


最後の音。


強くはない。


でも——


しっかりと、残る。


静寂。


ゆっくり振り返る。

「……もう一度」


それだけ。


学生たちが、楽器を構える。

さっきと同じはずなのに——


空気が違う。


ほんの少しだけ、力が抜けている。

それぞれが、前を見ている。


指揮棒が上がる。


音が、始まる。


今度は——


少しだけ、“届く音”になっていた。


トラオケのメンバーが、

静かに聴いている。


浩平

小さく笑う。

「……来たな」


圭一

ゆっくり頷く。

「うん」


ゆり子

目を細める。

「さっきより、いい」


和馬

腕を組んだまま。

「……悪くない」


駿

わずかに口元を緩める。

「やっと、いい顔してる」


いずみ

そっと言う。

「音、あったかいね」


亮太

小さく息を吐く。

「……届いてる」


音はまだ、完成じゃない。

不安定なまま。


それでも——

今度は、ちゃんと前を向いている。


仁は何も言わない。


ただ——


ほんの少しだけ頷く。

それだけで十分だった。


学生の一人が前に出る。

「どうすれば——」


少し迷って言い直す。


「どうしたら…もっと楽しめますか」


仁は、少しだけその学生を見る。

「……聴け」


一瞬、間。


「自分の音じゃない」


視線が、全体に向く。


「隣の音を」


空気が、少しやわらぐ。


浩平

前に出る。

「難しく考えすぎ」


圭一

のんびり続ける。

「ミスってもいいからさ」


ゆり子

腕を組んだまま。

「感じたまま、出して」


和馬

短く。

「止まるな」


駿

やわらかく笑う。

「一人でやろうとするな」


いずみ

そっと言う。

「楽しいってね」


少しだけ考えて。


「あとからついてくるよ」


亮太

軽く手を上げる。


「あとさ」


少し笑う。


「隣、見てみ?」


学生たちが、少し戸惑う。


亮太は続ける。


「ずっと楽譜見てるだろ?」


少しだけ間。


「一緒にやってんの、

そこにいるやつだから」


学生たちが、はっとする。


仁が、もう一度だけ言う。

「音は——」


ほんの少し、間。


「一人じゃ届かない」


それから——


誰も時間を気にしなかった。

最初の空気は、もう…どこにもない。


笑い声、間違い、何度もやり直して

音はどんどん良くなっていった。


学生たちは汗だくで


でも

楽しそうに笑っている。


仁は

指揮棒を持ったまま静かに見ていた。

「……今日はここまで」


誰かがその場に座り込む。


「疲れた……!」

「でも楽しい……!」


その言葉にトラオケのメンバーが

少しだけ笑う。


学生たちも顔を見合わせ笑う。


窓の外で夕方の光が

ゆっくりと沈んでいく。


そのとき⸻


学長が、ゆっくりと口を開いた。

「……いい顔をしていますね」


学生たち少しだけ、笑う


学長は、そのまま仁の方を見る。

「……見事でした」


ほんのわずかに、頭を下げる。


「技術は、十分にありました」


少し間。


「ですが——」


視線が、学生たちへ向く。


「今日、初めて“音楽”に

なったように思います」


静かな言葉。


仁は、何も言わない。

ただ、わずかに頷いた。


学長はトラベリング・オーケストラの

メンバーへ向き直る。


「本日は、貴重な時間をありがとうございました」

深く、頭を下げる。


亮太が、少し慌てて手を振る。

「いやいや、こちらこそ!」


浩平

小さく笑う。

「楽しかったっす」


いずみが、やわらかく頷く。



校舎の外。

ワーゲンバスの前。


オレンジ色の空の下、

楽器を積み込む音がする。


亮太が、ドアを開けながら言う。

「じゃ、次いくか」


ふと見ると——

校門の前に学生たちが立っている。


手を振る者。

黙って頭を下げる者。

楽器を抱えたまま見送る者。


その中に——


最初に拳を握っていた学生がいる。

まっすぐこちらを見ている。


バスがゆっくりと動き出す。


低く、エンジンが唸る。


少しだけ沈黙。


そのあと——


いずみが、くるっと振り向く。


「ねえねえ!」ぱっと、笑う。


「今日さ、めっちゃ良くなかった!?」


浩平

「最後のあいつらな」


圭一

「別人だったな」


ゆり子

「顔が違った」


和馬

「音もな」


仁は

窓の外を見たまま小さく言う。

「……あれでいい」


その一言で全部伝わる。


駿は

シートに体を預けて窓の外を見てる。


まだ

さっきの音が残っている気がした。



倉庫スタジオ。


亮太

「お疲れー!!」


「乾杯!」


缶がぶつかる音。


一気に空気がゆるむ。


いずみ

「いや〜今日は濃かった!」


浩平

「5時間はやりすぎだろ」


ゆり子

「でも止まらなかったでしょ」


圭一

「楽しかったな」


和馬

「いい依頼だった」


亮太

「だな!

たまにはこういうのもアリだな」


少し間。


仁がぽつり

「……教えるってのも…悪くないな」


みんな

一瞬だけ静かになる。


そして——


いずみ

「なにそれ!先生っぽい!」


浩平

「似合わねー!」


笑いが起きる。


仁は少しだけ苦笑する。


いずみ

「あっ!仁が笑ってる!」


「顔の筋肉を少し緩めただけだ」


全員笑う。


笑い声がまだ残る中——

夜はゆっくりと更けていった。


その片隅で。


駿は、

缶を持ったまま、少しだけ手を止める。

視線は、どこにも向いていない。


ほんの一瞬だけ——

遠くを見るように、目を細めた。


それから。


何もなかったみたいに、

また笑い声の中へ戻る。


つづく…

お読みいただきありがとうございます。

——第11楽章へ。

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