第5楽章
幻のセッションから
数日後。
夜の道を
ワーゲンバスが
ゆっくりと坂を上っていく。
ヘッドライトの先に
大きな門が見えた。
看板には
「ナイトズー開催中」
亮太
口笛を吹く。
駿
窓の外を見ながら
「夜の動物園ってこんな感じなんだな」
昼間とはまるで違う空気。
静かで、少しひんやりしていて——
音が遠くまで届きそうな夜だった。
いずみ
「ちょっとワクワクする」
ゆり子
「動物は寝てないの?」
浩平
笑いながら
「夜行性いるだろ」
ワーゲンバスが止まる。
「着いたぞ」
ドアが開く。
ライトに照らされた道。
外の空気は少し涼しい。
遠くから子どもたちの声。
屋台の灯り、イベントのざわめき。
そして小さな特設ステージ。
圭一
周囲を見渡しながら
「普通にお祭りだ」
その周りには、まばらな観客。
家族連れ、カップル。
そして——
檻の向こうの動物たち。
遠くでフクロウの鳴き声が響く。
その時。
遠くから
「先生ー!」
声が飛んできた。
振り向くと
制服姿の集団。
桐生東高等学校吹奏楽部。
その先頭に顧問の木村が
大きく手を振っている。
「待ってました!みなさん!」
駿
小声で
「顧問テンション高っ!」
吹奏楽部の生徒たちが
ざわざわしている。
「本物だ」
「トラオケだ…」
トラベリング・オーケストラの
メンバーが並ぶ。
その少し後ろ——
生徒たちの間から、紗智子が出てくる。
トランペットケースを肩にかけている。
一瞬の静けさ
和馬
小さく息を吐く。
「いい雰囲気だな」
浩平
目を細める。
「……お客さん、人だけじゃないね」
駿
前を見る。
「シビアな審査員がいっぱいいるな」
ゆり子
静かに周囲を見る。
「……逃げ場がない音になるわね」
紗智子
前を見たまま言う。
「望むところです」
その声に、少しだけ力が入っている
——でも。
前より、少しだけ違っていた。
ライトアップされた動物園。
亮太は周りを見た。
「よし」
手を叩く。
「トラベリング・オーケストラ」
吹奏楽部を見る。
「合同ライブだ」
夜の動物園に音楽が始まろうとしている。
ステージの前には
たくさんの人が集まっていた。
子どもや家族、カップル。
屋台の店員まで手を止めて見ている。
象舎の方からは——
ゆっくりと鼻を振る象の姿も見えた。
和馬
小さく笑う。
「客、多いな」
駿
笑いながら
「動物もいるしな」
亮太が前に出る。
「今日は」
吹奏楽部を見る。
「桐生東高校吹奏楽部との」
少し間を置く。
「合同演奏です!」
観客から
「おおーーー!」
と声が上がる。
紗智子がトランペットを握る。
仁が前に出る。
静かに、全体を見渡す。
そして。
「最初は、自由でいい」
紗智子と浩平を見る。
「好きにやれ」
指揮棒を上げた。
——始まる。
《トランペットの休日》
最初の音が、夜に溶けた。
やわらかく、遠くへ伸びていく。
もう一つの音が重なる。
会話みたいに、追いかけていく。
気づけば、
音は一つじゃなかった。
響き合いながら広がって、
夜、そのものを満たしていく。
檻の向こうで、何かが動く気配。
小さなざわめき。
観客たちは、声を出さない。
ただ、見ている。
動物たちも、どこか静かになる。
音が夜に溶けていく。
いつの間にか、音楽になっていた。
紗智子の耳に周りの音が入ってくる。
浩平の音。
フルート。
ヴァイオリン
全部。
紗智子は、目を閉じた。
そして——
音が、ひとつになった。
仁の指揮棒が、大きく弧を描く。
クライマックス。
全員の音が重なる。
夜の動物園に、
ひとつの音楽が生まれる。
指揮棒が止まる。
静寂。
そして——
拍手。
ゆっくりと、でも確かに広がる拍手。
遠くで、動物の鳴き声。
紗智子はトランペットを下ろした。
息が少し上がっている。
でも
顔は、さっきと違っていた。
浩平を見る。
浩平は、何も言わずに笑った。
紗智子は、少しだけ考えて——
小さく言う。
「……楽しかったです」
「だろ」
紗智子は少しだけ悔しそうに笑う。
トランペットを軽く持ち上げる。
「でも……まだ負けてないです」
浩平は一瞬止まって——
吹き出した。
「だから勝負じゃねぇって」
そのやり取りを見て、
亮太
笑う。
「いいねぇー、ちゃんと音楽してる」
仁は静かに頷く。
紗智子は夜空を見上げる。
さっきまでより少しだけ近く感じた。
トランペットを見つめる。
ぽつりと呟く。
「……こういうことか」
誰にも聞こえないくらいの声。
でも——
その音は、確かに変わっていた。
拍手が、まだ続いている。
夜の動物園に残る余韻。
静かで、やわらかい空気。
——その中で。
亮太が、ぱんっと手を叩いた。
「よし!」
みんながそっちを見る。
亮太
ニヤッと笑う。
「せっかくだしさ」
観客の方を見る。
「もう一曲、いこうか」
ざわっと空気が動く。
駿が笑う。
「出たな、亮太のノリ」
圭一がニヤッっとする。
「でも嫌いじゃない」
浩平がトランペットをくるっと回す。
準備は万端。
亮太は指を鳴らす。
「これしかないっしょ!」
その瞬間。
亮太が前に出る。
観客に向かって声を張る。
「次の曲は——」
一拍置いて。
「一緒にやってもらいます!」
「え?」
亮太は手を叩く。
パン!パン!
「こうやって!」
子どもが真似する。
パン!パン!
少しずつ広がる。
「いけるいける!」
ニヤッと笑う。
仁と目が合う。
仁は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
——指揮棒を上げる。
亮太
「せーの!」
一瞬の間。
仁の指揮棒が振り下ろされる。
《ラデツキー行進曲》
軽快なリズムが、弾ける。
パン!パン!
観客の手拍子が、重なる。
最初は、ばらばら。
でも——
すぐに揃っていく。
パン!パン!パン!
音と、手が、
ぴたりと重なる。
誰かが笑う。
つられて、また一人。
気づけば、
あちこちで笑い声が弾けていた。
子どもが体を揺らす。
大人も、肩を揺らす。
夜の静けさが、やわらかくなる。
空気も明るくなっていく。
その場にいる全員が、
同じリズムを刻んでいた。
すべての音が——
“楽しい”を連れてくる。
亮太は、観客の中にいた。
一緒に手を叩いている。
でも——
一番、音を広げている。
仁の指揮が、少しだけ大きくなる。
もっと、いける。
そんな合図。
パン!パン!
パン!パン!
夜の動物園にリズムが響く。
檻の向こうで
動物が静かにこちらを見る。
まるで——
聴いているみたいに。
最後のフレーズ。
一気に!
パン!パン!
ジャーン!
音が止まる。
——一拍。
そして。
大きな拍手と、笑い声。
夜が、少しだけ明るくなった気がした。
亮太が、満足そうに笑う。
「な?」
紗智子は、ふっと笑った。
こんな演奏、初めてだった。
勝つとか、負けるとかじゃない。
ただ——
楽しい。
隣を見る。
浩平が、こっちを見てニヤッとしている。
紗智子も、少しだけ笑い返す。
そして、ぽつりと呟く。
「……これが、音楽か」
その声は、今度ははっきりしていた。
浩平
手を差し出す。
「いい演奏だったな」
紗智子は
少し驚いた顔をして
「負けてませんけどね」
パシッ!
二人は握手した。
その後ろで——
「本当にありがとうございましたぁぁ!」
顧問の木村が
亮太の手を両手で握っていた。
「うちの生徒たちにこんな…こんな経験を…!」
目が真っ赤である。
というか泣いている。
「人生変わりますこれは!」
「本当に!本当に!」
「いや…そんな大げさな…」
「いえ本当に!」
後ろで
駿
小声で言う。
「めちゃ泣いてる」
ゆり子
呆れたように
「引くほど泣いてる」
いずみ
くすっと笑う。
「顧問が一番ファンじゃない?」
和馬は何も言わず
静かに楽器を片付けている。
仁
静かに空を見る。
「ちゃんと、咲いたな」
亮太
隣に来る。
「あぁ…」
紗智子はその言葉を聞いて、
少しだけ首をかしげる。
「咲いた?」
亮太は笑う。
「音ってさ」
ぐるっと、夜の動物園を指さす。
「こういう場所で咲くんだよ」
紗智子は、もう一度トランペットを見る。
その音の余韻が
まだ残っている気がした。
⸻
やがて
ワーゲンバスの前。
楽器を積み込む。
亮太が
ドアに手をかける。
振り返る。
そこに
紗智子が立っていた。
亮太が言う。
「なあ」
親指でバスを指す。
「卒業したら…ウチ来いよ」
紗智子は
一瞬きょとんとする。
それから
トランペットケースを
肩にかけ直す。
ニヤッと笑った。
「私…」
少し顎を上げる。
「こんなところで埋もれませんから」
「おー怖い怖い」
「世界行きます」
浩平が横から
「いいじゃん…世界」
「当然です」
亮太は笑った。
ワーゲンバスに乗り込みながら
「じゃあ!世界で会おうぜ!」
紗智子は
少しだけ驚いた顔をして
それから、ふっと笑った。
ワーゲンバスのエンジンがかかる。
ブロロロ……
トラベリング・オーケストラは
夜の動物園を後にした。
ワーゲンバスが遠ざかる。
その背中を見送りながら紗智子は
トランペットを少しだけ握り直した。
夜の空気が、静かに戻ってくる。
つづく…
お読みいただきありがとうございます。
——第6楽章へ。




