第18 楽章
数日後。
駿は
リハーサル室の扉を開ける。
「シュン…おはよう」
「早いな」
「おはよー、シュン」
駿チラッと見る
「…おはよー」
しばらくして
指揮者のルーカスが、入ってくる。
そして団員たちを見回す。
「一つ知らせがある」
部屋が静かになる。
「来月からヨーロッパツアーに入る」
一瞬。
ざわめきが広がる。
「今年は八都市」
「移動も多い」
「忙しくなるぞ」
駿
(……ツアーか)
ほんのわずかに、
目の色が変わる。
———
ルーカス
「リハだ。
ドヴォルザーク
交響曲第九番《新世界より》」
譜面が開かれる。
手が上がる。
静寂。
振り下ろす。
音が、走る。
まだ——
揃いきらない。
それでも、止まらない。
何度目かのリハ。
繰り返しの中で——
一瞬。
わずかに、ズレる。
小さい。
それでも、
流れは揺れる。
駿は、
何も考えない。
耳が先に動く。
弓が寄り添う。
音は、
何事もなかったように
元の流れへ戻っていく。
止まらない。
誰も言わない。
だが——
何人かの視線が、動く。
一瞬だけ。
駿に。
すぐ、戻る。
音が止まる。
「……今の」
マティアス、ぽつりと漏らす。
「ズレてたよな」
フェリックス
「戻ったけどな」
軽い会話。
でも——
さっきと違う。
マティアス
駿を見る。
「シュン」
「今の、狙ってた?」
駿
肩をすくめる。
「……勝手に」
小さく、笑いが漏れる。
マティアス
「なんだそれ」
空気が、少しだけほどける。
その時——
ルーカス
「そこまで」
空気が、切り替わる。
譜面を閉じる音。
誰かが立ち上がる。
「ツアー、きつくなるぞ」
「移動ばっかだろ」
「まあ、いつも通りだ」
雑な会話。
その中で——
マティアス
「シュン!明後日出発な」
駿
短くうなずく
「ああ」
⸻
そして二日後。
空港。
ざわめき。
人の流れ。
ケースを持つ手。
歩く。
その中に——
駿もいる。
⸻
ツアー中
国が変わる。
ホールが変わる。
空気が変わる。
そのたびに——
音も、わずかに変わる。
慣れ始めた頃。
気の緩みでもない。
それでも——
ほんのわずかな“ズレ”は、起きる。
いくつ目かのステージ。
指揮棒が上がる。
静寂。
振り下ろす。
音が始まる。
《ドヴォルザーク
交響曲第九番 新世界より》
流れは、いい。
ただ——
一瞬
わずかに、揺れる。
ほんの、わずか。
普通なら——
崩れる。
だが。
駿の耳が、
先に動く。
ほんのわずかに寄せる。
合わせる。
引っ張らない。
押さない。
ただ——
流れを、途切れさせない。
(……いける)
気づけば——
全員が、乗っている。
観客は、気づかない。
だが——
団員は、知っている。
今、
あの一瞬。
オーケストラを繋いだ音が、
確かにあったことを。
そのまま——
第一部が終わる。
最後の音。
わずかに、残る。
静寂。
すぐに、拍手。
駿、動かない。
弓を下ろす。
息を吐く。
照明が、少し落ちる。
ざわめきが戻る。
「休憩だ」
誰かの声。
楽譜を閉じる音。
椅子が引かれる。
立ち上がる。
空気が、ほどける。
———
楽屋。
駿、肩の力を抜く。
ほんの少しだけ。
誰かが、水を取りに行く。
誰かがネクタイを緩める。
静かな十五分。
だが——
何人かが、
同じタイミングで駿を見る。
マティアス
口を開く。
「……助かった」
駿
首をかしげる。
「何が?」
フェリックス
笑う。
「とぼけるな」
「今のだよ」
駿
「勝手に体が動いただけ」
マティアス
苦笑する。
「またそれか」
フェリックスが、
何気なくヴァイオリンを構える。
さっきのフレーズを、
わざと外して弾く。
マティアス
吹き出す。
「それ違うだろ」
フェリックス
「分かってる」
今度はマティアスが弾く。
さらに違う。
フェリックス
「もっとひどい」
笑いが起きる。
誰かが口笛を吹く。
楽屋に、
音が広がる。
駿は、
そのやり取りを静かに見ていた。
駿、スマホを手に取る。
少しだけ、考える。
画面
送信先:蓮
駿
“上手くやってるか”
送信。
数秒後
既読。
蓮
“問題ない”
駿
(……ほんとかよ)
少しだけ、口元が緩む。
フェリックス
「シュンもやれよ」
軽いノリ。
駿、顔を上げてスマホを閉じる。
ヴァイオリンを肩に乗せて弾く。
一音。
フェリックスがすぐに返す。
マティアスも乗る。
三人の音が、
楽屋を転がる。
フェリックス
「違う違う」
マティアス
「お前だろ」
笑いが起きる。
次の瞬間。
駿、少しだけ崩す。
ほんの一瞬、音を外す。
意図的に、崩れかける和音。
フェリックス
即座に笑う。
「おい、それズルいだろ」
マティアス
「今のどこ行った?」
駿
少し笑う。
「気分」
マティアス
「雑すぎる」
笑いが起きる。
フェリックスがもう一度弾く。
今度は、わざと合わせにいかない。
マティアスもズラす。
三人の音が、
きれいに“外れていく”。
でも——
不思議と、崩れない。
むしろ楽屋の空気が軽くなる。
誰かが笑う。
フェリックスが
駿を見る。
「なぁ、シュン」
駿
顔を上げる。
「ん?」
フェリックス
少し笑いながら
「次は前で弾けよ」
軽い冗談。
マティアス
吹き出す。
「お前、ルーカスに聞かれたら怒られるぞ。」
フェリックス
「いいじゃねぇか」
「似合うと思っただけ」
駿
苦笑しながら
「断る」
また笑いが起きる。
その時、ドアの向こうから
スタッフの声
「後半5分前です!」
立ち上がる。
身だしなみを整えドアへ向かう。
廊下。
団員たちが、それぞれ舞台へ向かう
駿も、歩き出す。
つづく…
お読みいただきありがとうございます。
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