幕間 黒の偵察
——正教国 特殊騎士団詰所 夜
イルマが——天幕に入った時。
セラフィアは——鎧を纏っていた。
黒い鎧だった。
大神官の装束ではなかった。
「……師匠の——装備ですね。」
イルマが言った。
「はい。」
「……久しぶりに——見ました。」
「そうですね。」
セラフィアが——静かに長剣を確認した。
イルマは——その鎧を見た。
古い傷が——いくつかあった。
師匠が——現役だった頃の傷だった。
「……あの頃の装備を——また纏うのですか。」
「はい。」
「……理由を——聞いていいですか。」
「聞いてください。」
◆ ◆ ◆
「威力偵察です。」
セラフィアが言った。
「……どこへ。」
「魔族の領域に。」
「……一人でですか。」
「はい。」
イルマが——少し止まった。
「……グラウ様に——報告しましたか。」
「していません。」
「……なぜですか。」
「……グラウが——止めるからです。」
「……止めるべきでは。」
「情報が必要です。グラウの計算に——正確な変数を入れるために。」
「……それは——グラウ・ルナ様が判断することです。」
セラフィアが——イルマを見た。
「……あなたは——止めますか。」
イルマが——少し間を置いた。
「……止める権限が——私にありますか。」
「ありません。」
「……そうですね。」
◆ ◆ ◆
「……師匠。」
イルマが——静かに言った。
「はい。」
「……私が弟子として入った時——師匠はもう大神官でした。」
「はい。」
「……でも——「正教の殺戮姫」という名前を——先輩たちから聞いていました。」
「……そうですか。」
「「単独で敵陣に入って——必ず戻ってくる者がいた」と。」
「……昔の話です。」
「……今から——その者が——また動くのですね。」
◆ ◆ ◆
「……身体は——衰えています。」
「……でも——」
「でも——」
「……まだ動けます。」
イルマが——少し間を置いた。
「……私が師匠と——本気でやり合えば。」
「はい。」
「……引き分けが——精一杯です。」
「……そうですか。」
「……師匠は——全力ではないでしょう。」
セラフィアが——何も言わなかった。
「……それが——「正教の殺戮姫」ということですね。」
「……大げさです。」
「……先輩たちが——「一騎当千」と言っていました。」
「……昔の話です。」
「……今夜——また証明するのですね。」
「……だから——止めません。」
◆ ◆ ◆
「一つだけ——聞かせてください。」
イルマが言った。
「はい。」
「……師匠が現役だった頃——怖かったことはありますか。」
セラフィアが——少し止まった。
「……なぜそれを聞きますか。」
「……私は——特殊騎士団の団長として——怖いと思うことがあります。でも——師匠がそういう顔をしているのを——見たことがない。」
「……そうですか。」
セラフィアが——静かに言った。
「……怖かったことは——あります。」
「……いつですか。」
「……グラウを——孤児院で拾った時。」
「……それが——怖かったのですか。」
「……この子が——どういう存在になるか。」
「……私に——守りきれるか。」
「……それが——怖かった。」
イルマが——少し黙った。
「……敵陣よりも——ですか。」
「……敵陣は——計算できます。グラウは——計算できませんでした。」
「……今は——計算できますか。」
「……まだ——できません。」
「……でも——」
「でも——」
「……一緒に動けます。それで——十分です。」
◆ ◆ ◆
「投げナイフと短剣——確認しました。」
セラフィアが言った。
「針と毒も——持ちます。」
「……現役時代の標準装備ですね。」
「はい。あなたも——知っているでしょう。」
「……先輩たちから——聞いていました。「大神官様の装備は尋常ではない」と。」
「……大げさです。」
「……先輩たちの顔が——本気でした。」
セラフィアが——少し笑った。
「……長剣も持ちます。」
「根源律が染みついた——師匠の長剣ですね。」
「はい。」
「……封印解放の時に——触れさせましたね。」
セラフィアが——少し止まった。
「……気づいていましたか。」
「……はい。あの時——師匠が意図的に剣を当てていた。」
「……グラウがいつか戦いに出ると——思っていました。」
「……備えていたのですね。」
「はい。」
「……魔族に通じるか——試したことはありませんでした。」
「……今夜——試す。」
「はい。」
◆ ◆ ◆
「イルマ。」
セラフィアが——扉に向かいながら言った。
「はい。」
「……グラウを——守ってください。」
「はい。師匠から——ずっと言われてきた言葉です。」
「……そうですね。」
「……任務でもあり——私自身の意志でもあります。」
セラフィアが——頷いた。
「……あなたに——預けます。」
「……承知しました。」
「……行ってきます。」
「……お気をつけて。」
「……久しぶりに——言われましたね。その言葉。」
「……師匠が現役の頃——毎回言っていたそうです。先輩たちから聞きました。」
「……そうでしたか。」
セラフィアが——静かに笑った。
黒い鎧が——夜の中に消えた。
◆ ◆ ◆
イルマは——一人残った。
天幕の中に——黒地に銀糸の大神官の装束が残っていた。
「……師匠が——単独で魔族領に入った。」
静かに言った。
「……情報が——返ってくる。」
「……必ず返ってくる。」
「それが——師匠だ。」
少し間を置いた。
「……私が入門した時——師匠はすでに大神官だった。」
「でも——」
「……今夜見た師匠は——あの装備を——当然のように纏っていた。」
「……私はまだ——あの領域には届かない。」
「……でも——」
「師匠の弟子として——恥じない動きをする。」
「それだけだ。」
夜の正教国に——静寂が広がっていた。
黒い影が——魔族の領域に向かっていた。
一人で。
音もなく。
師匠が——また動いていた。




