第四十九話 亡命
——魔法学院 中庭 朝
イルマ・クロースが来たのは——朝だった。
黒地に銀糸の装束。
「グラウ・ルナ様。」
「はい。」
「進言があります。」
「聞きます。」
◆ ◆ ◆
「エルミラ・カルヴァーン第一王女を——正教国に亡命させるべきです。」
イルマが言った。
「理由を教えてください。」
「カルヴァーン軍が動き始めました。戦端が開かれれば——第一王女は人質になる可能性があります。あるいは——評議会の駒として利用される。」
「評議会がエルミラを利用するとすれば——どういう形ですか。」
「ラエティア王国への投降を促す切り札として。あるいは——正教国への圧力として。」
私は少し考えた。
「……エルミラが評議会の父の元に戻れば——そのリスクがある。」
「はい。」
「正教国に亡命すれば——そのリスクは減る。」
「はい。」
「でも——エルミラの意志を確認せずに動くことはできません。」
「……承知しています。だから——進言しました。判断はルナ様が。」
◆ ◆ ◆
「なぜ私に進言するのですか。」
「あなたがエルミラ王女と話せる立場にいるからです。我々が直接動けば——王女は警戒する。」
「……論理的ですね。」
「はい。」
「一つ確認させてください。」
「何でしょうか。」
「正教国への亡命は——エルミラにとって父を捨てることになります。それをあなたは考慮しましたか。」
イルマが少し止まった。
「……考慮しました。」
「どう評価しましたか。」
「王女の命の方が——優先されるべきだと判断しました。」
「父と命を天秤にかけた。」
「はい。」
「……その判断は——エルミラ自身がするものです。私ではなく。あなたでもなく。」
「……承知しました。」
◆ ◆ ◆
「進言を受け入れます。エルミラに——話します。」
「ありがとうございます。」
「でも——返事を急かしません。」
「……承知しました。」
「それと——」
私はイルマを見た。
「エルミラが断った場合——どうしますか。」
イルマが少し間を置いた。
「……その場合は——学院内での護衛を強化します。」
「強制的に連れて行くことは。」
「……しません。」
「なぜですか。」
「ルナ様がそれを望まないと——判断したからです。」
「私がそう言ったからではなく——論理として正しいかどうかで判断してください。」
イルマが——静かに言った。
「……論理としても——正しいと判断します。強制した場合、王女の信頼を失う。正教国への亡命は信頼があってこそ意味を持ちます。」
「……そうです。」
◆ ◆ ◆
その日の午後——エルミラを探した。
中庭の端にいた。
一人で——空を見ていた。
「エルミラさん。」
「……グラウさん。」
「少し話せますか。」
「はい。」
◆ ◆ ◆
「カルヴァーン軍が——動き始めていることを知っていますか。」
私は言った。
エルミラが——少し止まった。
「……知りませんでした。」
「昨日、情報が入りました。国境方面に部隊が集結しています。」
「……そうですか。」
「あなたに——提案があります。」
「何ですか。」
「正教国に——亡命してください。」
◆ ◆ ◆
部屋が——いや、中庭が静かになった。
エルミラは——しばらく何も言わなかった。
「……亡命。」
「はい。」
「正教国に。」
「はい。」
「……それは——」
エルミラが少し声を詰まらせた。
「父を——捨てることになりますか。」
「あなたがどう解釈するかによります。でも——父の国から離れることには、なります。」
「……父は——評議会員だと言いましたね。」
「はい。」
「父は——戦争を起こそうとしている。」
「そう見えます。」
「……父が——そういう人だったとは。」
エルミラが——少し目を伏せた。
◆ ◆ ◆
「提案する理由を聞いていいですか。」
エルミラが言った。
「あなたが——評議会の駒として利用される可能性があるからです。カルヴァーン軍が動けば——あなたは人質になるかもしれない。」
「……誰かのために使われる。」
「はい。あなたの意志とは関係なく。」
「……それは——嫌です。」
「私もそう思います。」
「でも——」
エルミラが少し止まった。
「父が——それをするとは、思いたくない。」
「……そうですか。」
「父が——私を駒として使うとは。」
「分かりません。あなたの父がどういう人かは——私には判断できません。でも——評議会という組織は、そういう判断をする可能性があります。」
「……父と評議会は——別ですか。」
「別かもしれません。同じかもしれません。今は分かりません。」
◆ ◆ ◆
「今すぐ答えを出さなくていいです。」
私は言った。
「……いいのですか。」
「はい。考える時間が必要な問いです。」
「でも——軍が動いているなら——時間は。」
「あります。まだ。」
「……そうですか。」
エルミラが——空を見た。
「グラウさんは——私に亡命してほしいですか。」
「はい。」
「なぜ。」
「あなたが——友達だからです。」
エルミラが——少し動いた。
「……感情的な理由ですね。」
「はい。論理的な理由もあります。でも——感情的な理由も、あります。」
「……グラウさんが——そういうことを言うのですね。」
「言います。」
「……ありがとうございます。」
◆ ◆ ◆
「一つだけ聞いていいですか。」
エルミラが言った。
「はい。」
「亡命したら——もう父に会えませんか。」
私は少し考えた。
「戦争が終われば——可能性はあります。でも——今は保証できません。」
「……そうですか。」
「父を——止めたいと言っていましたね。」
「はい。」
「亡命しても——止める方法はあるかもしれません。でも——今は分かりません。」
「……正直ですね。」
「分からないことを分かると言うことは——できません。」
エルミラが——少し笑った。
重い笑い方だった。
「……少し時間をください。」
「どれくらいですか。」
「……一日。考えます。」
「分かりました。」
◆ ◆ ◆
エルミラが去った後——一人になった。
ノートを開いた。
「エルミラ・カルヴァーンへの亡命提案。返事は明日。」
書いた。
「エルミラの発言:「父を捨てることになりますか」「もう父に会えませんか」」
一行空けた。
「……父のことが引っかかっている。」
「当然だ。」
「でも——」
少し止まった。
「それを——乗り越えるかどうかは、エルミラが決める。」
「私が決めることではない。」
もう一行。
「急かさない。」
「でも——時間は——あまり残っていないかもしれない。」
ノートを閉じた。
中庭に——午後の光が差していた。
灰色の瞳が——静かに、空を見ていた。




