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第五章 覚醒 第六節 夜行さん 第二話:池袋の不穏な予兆

第五章 覚醒 第六節 夜行さん 第二話:池袋の不穏な予兆


池袋駅周辺の喧騒は、夜の帳が下りるにつれて一層混迷を深めていた。妖(あやかし)の気配を追う蒼真(そうま)は、愛用の式神である葛の葉(くずのは)に指示を飛ばし、周囲の警戒を強めていた。しかし、葛の葉はその気配を完全に消し去り、これもまた、彼女の卓越した能力の一端であった。


「油断するな、葛の葉」


蒼真は心の中でそう呟く。隣を歩く相棒の蒼也(そうや)もまた、神経を尖らせていた。先日のヌエとの激戦。あの時、縄張り争いで生じた無用な摩擦が、二人の心に深く影を落としていた。だからこそ、今は余計な波風を立てず、慎重に任務を遂行する必要があった。


二人が中央改札を通過しようとした、その時だった。


「これは、これは。神代さん、はじめまして」


背後から掛けられた、あまりにも馴れ馴れしい声。振り返ると、そこには見知らぬ男が立っていた。男の目は笑っているようで、しかしその奥には底知れぬ冷たさが宿っている。


「式神に、あの九尾を連れているとは、噂通りすごいですね。しかも、姿を消させている。……羨ましい限りです」


男は流れるような所作で言葉を続けた。


「今回は、賞金首目当てではありませんのでご安心を。お互い情報交換でもしつつ、仲良くやりましょう。その方が、色々と効率がいいでしょう?」


蒼也は男の纏う空気に嫌悪感を抱いた。彼はすぐさま蒼真にテレパシーを送った。


『蒼真、早くここを離れよう。この男……関わってはいけないタイプだ』


蒼真も同様の直感を抱いていた。彼は無表情のまま男を一瞥し、短く言い放った。


「失礼するよ」


二人がその場を立ち去ろうと背を向けた直後、男は背後から追撃するように、だが楽しげな声でこう告げた。


「今から一時間後、池袋東口公園で『事件』が起きますよ。せいぜい、お気を付けて」


歩きながら、蒼真と蒼也は顔を見合わせた。半信半疑、いや、むしろ強い疑念しかなかった。しかし、無視して万が一の事態を見過ごすわけにもいかない。二人は重い足取りで東口公園へと向かった。


公園には、騒がしく酒を酌み交わす若者たちのグループがいた。一見すると、どこにでもいる平和な光景だ。


蒼真は念のため、意識を葛の葉に集中させた。


『葛の葉、周囲に怪しい気配はあるか?』


『いいえ、主様。私の感知範囲には、妖の気配は微塵も感じられません』


葛の葉の確信に満ちた返答に、蒼真は安堵しかけた。やはり、先ほどの男の戯言だったか。そう結論付けようとした、その時だった。


――異音は、一瞬だった。


若者たちのグループの中心にいた女性が、何の前触れもなくその場に倒れ込んだ。彼女の首筋からは、真紅の血飛沫が噴水のように舞い上がった。


「っ!」


蒼真と蒼也は咄嗟に駆け寄った。しかし、女性の周りには誰もいない。鋭利な刃物で切り裂かれたような傷口。蒼真は即座に周囲の妖気を探ったが、そこには夜行(やぎょう)の者たちを彷彿とさせるような妖の気配は一切なかった。


どうやって切りつけたのか? 犯人はどこへ消えた?


状況を理解する前に、女性はすでに絶命していた。圧倒的な不可解さと、忍び寄る得体の知れない恐怖が、公園の空気を凍りつかせた。


すぐさま対策本部へ戻った二人は、例の男がまだ改札付近に留まっているのを見つけ、詰め寄った。


「何故だ。何故、事件が起きると分かった?」


蒼真の鋭い問いかけに対し、男は肩をすくめて見せた。


「私は、未来の妖の行動が分かるのです。九尾の式神を連れているあなた、自分の未来も占って差し上げましょうか?」


「結構だ。……我々の作戦を邪魔しないでくれ」


「ふふ、聞いておくだけでも、未来は変えられるというのに。勿体ないですね」


男はそれだけ言うと、薄気味の悪い笑みを浮かべて人混みに消えていった。


「あいつが犯人じゃないか?」


蒼也が蒼真に問う。その表情は憤りで満ちていた。


「可能性は高い。だが、動機が分からない。自分たちの首を絞めるような真似をして、彼に何のメリットがある?」


蒼真には、男の目的が全く見えなかった。ただ一つ確かなのは、池袋に潜む「何か」が動き出し、自分たちがその巨大な盤上に乗せられたということだけだ。


一方、その様子を離れた場所から眺めていた影があった。


駅ビルの屋上。誰もいないはずの暗闇の中で、一人の人影が音もなく佇んでいる。月明かりに照らされたその表情は、不気味に歪んでいた。


「……作戦通りだ」


影は誰に聞かせるでもなく呟くと、獲物を見定める猛獣のような視線を地上へと向けた。


「さて、狩りを始めようか」


池袋の夜は、まだ始まったばかりであった。この事件が、やがて来る破滅の序章であることに、蒼真たちはまだ気づいていなかった。

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