第五章 覚醒 第六節 夜行さん 第一話:静かなる血の誓約
第五章 覚醒 第六節 夜行さん 第一話:静かなる血の誓約
1. 家族の食卓と不穏な影
重苦しい沈黙が、夕食後のリビングを支配していた。
父・蒼真が、家族全員を見渡しながら、いつになく厳粛な口調で口を開く。
「今から、緊急の家族会議を開く。全員、手を止めてこちらに注目してくれ」
食卓に並んでいた湯呑みを置き、蒼真はまっすぐに家族の顔を見つめた。その眼差しには、父親としての温かさよりも、討魔庁の幹部としての鋭い決意が宿っている。
数日前、蒼也がその類まれなる感性と勇気で見事、「山彦」の捕縛に成功したことは記憶に新しい。あの日、蒼也が上げた戦果は、討魔庁でも高く評価されていた。蒼真は、息子の肩に手を置き、誇らしげに告げた。
「蒼也、先日の山彦討伐、実に見事だった。お前の機転には、父親の私ですら舌を巻く思いだ」
父からのストレートな賞賛に、蒼也は少し照れくさそうに、しかし誇らしげに微笑んだ。だが、その微笑みは次の瞬間、蒼真が取り出したタブレット端末によって塗り替えられた。
「だが、祝杯を挙げている暇はない。……類似の事件が発生した」
2. 影なき殺人者
蒼真はタブレットを家族の中央に置いた。画面には、夜の街角を歩く一人の女性の姿が映し出されている。周囲は人気もなく、街灯が寂しく道路を照らしているだけだ。しかし、映像の時間が進むにつれ、その平和な風景は崩壊した。
女性の周囲には、誰もいない。影すらも伸びていない。それなのに、次の瞬間、女性は弾かれたように吹き飛び、その細い首元から鮮血が噴き出したのだ。まるで、目に見えない何かに切り裂かれたかのように。
「見ての通りだ。前回、蒼也は犯人の『影』から警察官の『影』へ移動する瞬間を捉え、違和感を検知して確保に成功した。だが、今回は違う。犯人は影を持たず、実体すらも定かではない」
蒼真の言葉に、部屋の空気が凍りつく。
討魔庁では、過去に発生した七件の未解決事件との共通点を分析した結果、「夜行さん」の可能性が九割を超えると結論づけた。影なき殺人者。気配を消し、物理的な接触を避けながら命を刈り取る悪霊だ。これに立ち向かうには、物理的な防御や火力では無意味だ。唯一の対抗手段は、奴が放つ極めて微細な妖力を、感知することだけだ」
蒼真は、部屋の隅で静かに佇んでいた葛の葉へと視線を向けた。
「葛の葉、我が家の中で、最も妖力の感知に長けているのはお前だ。どうか、この戦いに力を貸してくれないか」
葛の葉は、優雅に一礼した。その仕草には、長年この家族を見守ってきた気品と、揺るぎない覚悟が感じられた。
「蒼真様。私のような妖の力でお役に立てるのであれば、喜んで協力させていただきます。この街の平穏のため、全力を尽くしましょう」
3. 血の契約
しかし、蒼真の要件はそれだけではなかった。彼は一度言葉を切り、少し言い淀んだ後に、さらに重要な提案を口にした。
「……もう一点、葛の葉に頼みがある。今、蒼也とテレパシーで意思疎通を行っていると聞いているが、この能力に、私も介入できないだろうか」
「介入、ですか?」
「今回の捜査は、徹底した隠密行動を求める。無用な会話は敵を呼び寄せることになりかねない。現場で言葉を交わさず、意思を疎通させたい。それができれば、死角からの不意打ちも防げる」
葛の葉は少し考え込み、やがて静かに答えた。
「可能です。しかし、テレパシーを人間と共有するには、私という妖との間に『血の契約』が必要になります。この契約を結ぶことは、単に思考を共有するだけではありません。私を緊急時に即座に召喚できるようになりますが、召喚は一日一回という制約が伴います。……それでも、よろしいでしょうか?」
蒼真は即答した。躊躇はない。
「望むところだ。その契約、結んでくれ」
二人は向かい合い、互いの指先を軽く合わせる。蒼真の指先から一滴の鮮血が浮かび上がり、葛の葉の指先に吸い込まれる。紅い光が二人の周囲を包み込み、刻印が蒼真の掌に焼き付いた。
葛の葉が古い祝詞を唱え始める。
部屋の空気が震え、蒼真の掌に九尾を象った紋章が浮かび上がった。
「契約、完了しました。これで三人で会話が可能です。試しに、蒼也様に向けて念を送ってみてください」
蒼真は目を閉じ、意識を集中させた。脳内に直接、蒼也の姿が浮かぶ。
『蒼也、父さんだ。聞こえるか?』
心の中に響いた声に、蒼也は目を丸くし、それから力強く頷いた。
「うん、聞こえるよ、父さん!」
4. 対策本部への道
家族会議は終わりを告げた。
三人には、次の任務が待っている。警察庁と討魔庁が共同で立ち上げた対策本部へ向かい、詳細な情報の擦り合わせを行わなければならない。
「行くぞ。準備はいいな」
蒼真の号令に、蒼也は鞄を背負い、葛の葉は静かに微笑んで彼の隣に立った。
玄関を開けると、深夜の冷たい風が吹き込む。その風の中に、確かに「何か」の気配が混じっているような気がした。
対策本部へ向かう車の中で、三人は言葉を交わすことはなかった。しかし、彼らの脳内では、蒼真の指揮と、葛の葉の感知、そして蒼也の直感という三者の神経が一本の線で結ばれていた。
現場に残されたわずかな遺留品、鑑識が弾き出した不可解なデータ、そして夜の街に潜む「夜行さん」の正体。それらを繋ぎ合わせ、今夜、狩りが始まる。
無言のまま、三人の意識はシンクロし、その眼光は闇の向こう側に潜む「見えざる敵」を射抜こうとしていた。
夜はまだ始まったばかりである。
ビルの屋上。
誰もいないはずの暗闇で、一人の黒い影が静かに笑った。
「...契約を結んだか。」
赤く細い瞳だけが闇に浮かぶ。
「ならば、今夜から狩りを始めよう。」




