アキレスと亀
「相変わらず哲夫君は手癖が悪いですね。しかし肝心なことを忘れているようだ」
モニターに映る二人の戦いを淡々と見守る春目。その手にはオルギャノンが握られている。彼の手中に収められた銃は変わらず青白い光を放っていた。その輝きはこれまで何度も窮地に立たされたテレス達を救ってきた希望の光だった。しかし今回は様子がおかしい。エレア社に行くという話が出た時点で光り始め、目的地に着いた今はまるでここに居ることを不安がっているかのように不規則な点滅と小刻みな振動を繰り返している。
「アリストテレス……一体どうしたんだ。ここに来たかったんじゃなかったのか」
銃に向かってぽつりと呟く少年。その一言を、オルギャノンの生みの親は聞き逃さなかった。
「ほう、触れずして銃と意思を通わすか。流石は選ばれし者。しかし残念ながら不正解じゃ。オルギャノンはここに戻って来たかったわけではない。恐れておった」
「恐れていた?」
「ああ。私たちの存在をね」
羽蔵の回答に春目が補足を入れた時だった。床に人一人がすっぽり入れるだけの円が生まれ、ガラスが割れるような音と共に内側から強化装甲を纏った戦士が飛び出して来た。
「惇さん!」
壁に飾られていたトロフィーや盾に虹色の光が反射し、その場にいた人々の目を眩ませる。惇の攻撃から羽蔵と仁を庇おうとするメリッサ。しかし肝心の二人は彼女を制した。
「貴様ら! テレスに何をした!」
「何も。ただちょっとお話をしながら、うちが創った品を返してもらっていただけさ」
「ふざけるなっ!」
虹の戦士は怒りの叫びとともに両手の甲から鋭い刃を伸ばし、春目仁に襲いかかった。
♦♦♦
「うおおらぁ! くそったれ。なんで当たんねえんだよ」
武器を奪って反撃に出る哲夫。しかし何度ハンマーを振るい今度こそ仕留めたと確信しても、瀬野は何事もなかったかのように振り下ろした場所から一歩下がった位置に立っている。
「はっはっは! 俺達が開発していた切り札は、オルギャノンだけじゃないんだぜ?」
高笑いしながら哲夫の攻撃を避け続ける瀬野は、右手のグローブを外すと中指にはめた金色の指輪を見せびらかした。その石座には緑色の光を放つ、謎の宝石が埋め込まれている。
「リング・オブ・パラドックス。世界最先端の科学力を使い、我がパルメニデス教団の弁闘術を一点の指輪に込めた特注品だ。こいつがある限りお前は俺に指一本触れることすらできない」
「お前達の弁闘術を込めた指輪だと?」
「俺がはめている指輪は試作品ナンバー一号機『アキレトータス』。
前方に一人、後方にそれを追いかけようとする者が一人いるとする。両者が同時に前進を始めた場合、後方の者が最初に前方の者がいた地点に辿り着いた時、当然相手はそこにおらず、更に前方にいる。
この主張を具現化したテレポーテーションは春目先生とメリッサ様しか使えなかった弁闘術だが、リングのおかげでまだ完全に習得出来ていない俺や他の信者たちも使うことが出来るというわけだ。
祖倉、勘の良い貴様なら気づいていると思うが、テレスを拉致したのもこいつの効果だ。このフロアの床に、この指輪にはまった宝石と同じ素材が埋め込まれていたんだよ。このリングが実用化された暁には、我が教団のベロポネソス優勝に王手がかかることだろう!」
「ああそうかい。ならハンマーより射程の長い、鞭ならどうだ!」
金槌を投げ捨て、知の鞭を目一杯伸ばす哲夫。しかしその先端部分も届かない。
「勘違いしてもらっては困るなぁ祖倉くん。武器の問題じゃないんだよ。アキレトータスの効果は後ろから追いつこうという意思そのものに作用する。お前の鞭が何メートル伸びようと、前にいる俺には決してたどり着けない。決してな」
「畜生! 卑怯だぞ!」
「ハハハ! 悔しいか祖倉。悔しいって気持ちがどんなもんか、よーく味わうこったな!」
ぽっかり空いた穴の下で勝利の喜びに満ちた笑い声を轟かせる瀬野。哲夫は膝を着き、相手を悔しそうに睨みつけていた。
「さあ! そろそろフィナーレといこうか! 哲夫坊ちゃんよ」
笑うのを止めた瀬野は再び敵意に満ちた面構えに戻り、哲夫が投げ捨てたハンマーを手元へ取り戻した。柄を両手で握りしめ、膝を着いたままの敵に向かって真正面から振り下ろす。
「薄汚ねえ脳汁ぶちまけてくたばりやがれ!」
渾身の一撃が、哲夫の脳天目がけて繰り出される。あわや直撃、と思われた瞬間
「……へへっ」
哲夫が顔を上げた。不敵な笑みを浮かべ、今まさに自分を叩き潰さんとしている瀬野の身体に組みつく。
「なっ!?」
「うおおおおお!!」
後ろに押し倒された瀬野は、その時初めて気づいた。哲夫はただ諦めて膝を着いていたのではない。クラウチングスタートの要領で、両脚に力を込めていたのだ。全てはこの一瞬、自分を背後から追うのではなく、真正面から捕えるための戦法として。
「ぐはぁ!」
瀬野はコンクリートの床に後頭部を打ち付けた。そんな彼の上に馬乗りになった哲夫は、ようやく捕まえた敵を誇らしげに見降ろしている。
「アキレトータス。後ろから追いかけようとしたものの攻撃は絶対に当たらない。確かに恐ろしい代物だ。だが所詮は試作品。自分から、真ん前に向かって攻撃した場合、相手のカウンターまで回避できるようなレベルではないらしいな。大人しく逃げ回ってりゃ確実に勝機はあったろうに。自分から捕まりに行くなんて流石だね瀬野ちゃん」
「て、てめえ。まさかわざと……」
「そういうこと。今度はこっちから行くぜ!」
哲夫は両腕の拳に力を込めると、瀬野の顔面目がけて振り下ろした。
♦♦♦
「私の、仲間に、手を出すな!」
哲夫が瀬野に反撃を始めていた頃、会長室では虹色の強化装甲に身を包んだ惇が春目と死闘を繰り広げていた。手の甲から突き出た鋭い三角形の刃が春目の肌を切り裂こうと振り回される。しかしどれだけ刃を伸ばしても、間合いを詰めても傷一つつけられない。春目はアキレトータスと同じテレポーテーションを使い、惇の攻撃をことごとく回避し続けていた。
「何度も言わせないでくださいよ。我々はテレス君に指一本触れていません」
にこやかな笑みを崩すことなく、汗一つ流すことなく春目は言った。美術品やソファーに囲まれた決して広いとは言えない空間。その中を自在に動き回り、惇を翻弄する。
「壺や絵の一つや二つ壊しても構わんが、テレス君とオルギャノンだけには触るでないぞ」
メリッサと共に部屋の隅に退避していた羽蔵がのほほんとした口調で言う。惇は春目から目を離すことなく吠えた。
「貴様に言われる筋合いなどない!」
「惇くん。目上の人にそういう口の利き方は良くないよ」
俊敏に動き回っていた春目が突如惇の前に現れると、足を突き出した。全力で春目を追っていた惇は咄嗟に出された足に対処できずにつまずき、勢い余って床に転がった。
「惇さん!」
テレスは叫んだ。しかしやはりソファーから離れることができない。
「はあ……はあ……大丈夫だテレス。これぐらい何ともない」
そう言って立ち上がった惇は、肩で息をしながら春目に向かってファイティングポーズをとった。
「まだやる気かい?」
「当たり前だ。たとえ貴様が相手だろうと、仲間を取り返すまでは絶対に引かない」
惇は目に不屈の闘志を浮かべ、相手を睨みつけた。。
「流石はソクラテス教団。ならば私も正々堂々、真剣に戦いましょう。逃げてばかりいては君の決意を侮辱するようなものですからね」
春目は立ち止まり、相手の真正面に向き直った。同時に惇が右腕を真っ直ぐ突き出し、三角形の先を春目の心臓に向けた。
「おや、もう切り札を使うのですか?」
「貴様相手に遠慮など……いらん!」
次の瞬間、手の甲から鋭く突き出た三角形が勢いよく発射された。風を切って一直線に飛んでいく刃。テレスは次に起こる残酷な結果を想像して思わず目を閉じた。しかし春目は避ける素振り一つせず、黙って迫りくる三角形を見つめている。
「こんな言葉を知っていますか? 飛んでいる矢は」
鋭い先端が肉体を貫こうとしたその時。それまでミサイルのように猛スピードで飛んでいた三角形が、突如空中で静止した。一瞬、時が止まったのかと錯覚する惇。しかし春目たちは普通の速度で動いていた。発射された三角形だけが、ギリギリのところで
「止まっている」
愕然とする彼の眼前で、春目は静止した三角形を掴んでポトリと床に投げ捨てた。




