最強の男
テレスの脳裏に、哲夫と交わしていた会話の断片が蘇る。パルメニデス教団の春目仁は全てにおいて自分たちを凌駕している。その言葉を聞いた時は正直なところ半信半疑だった。哲夫らしからぬ過大評価だと思っていた。しかし今、その疑惑は最悪の形で確信に変わっていた。
切り札をあっさり無効化され、呆然としていた惇の前に一瞬で詰め寄った春目は、彼の胸部にパンチを一発叩きこんだ。
一発だけ。少なくともテレスにはそう見えた。しかし攻撃を受けた惇はまるでマシンガンで銃撃を受けたように空中で何度も振動し、重々しい音を立て床に崩れ落ちた。その直後、虹色の装甲が木端微塵に砕け散り、血まみれで横たわる兄弟子の素肌を露わにした。
そんな彼の姿を見た春目は惇に敬意を表するように拍手をした。その手の隙間から赤い血が滴っている。やがて拍手を止めた春目は羽蔵に一礼すると、次元の穴へと飛び込んでいった。
♦♦♦
「テツ……」
タコ殴りにされ気を失う瀬野。戦意を喪失した相手からゆっくりと離れる哲夫。
両者の決着を、敦は呆然と見つめていた。その時、静まり返ったフロアの天井から一つの影が颯爽と降り立った。その姿を見た哲夫の顔が、にわかに険しさを増す。
「…………とうとう来ちまったか」
哲夫の言葉を聞いて振り返ったその男は、黒縁メガネをかけ穏やかな笑みを浮かべていた。彼はまず敵意の眼差しを向ける哲夫に一礼すると、動揺する敦の心を落ち着かせるように肩を叩き、深くゆったりとした声で労いの言葉をかけた。
「お勤めご苦労様です。もう本来のお仕事に戻っていただいて結構ですよ」
彼の言葉を受けて敦が踵を返した瞬間、二人に向かって哲夫が白い鞭の一撃を放つ。しかしその先端が敦の身体に絡みつくよりも前に、春目の伸ばした手がいともあっさりと弾き返した。
「その様子じゃ、うちの最強戦力をもってしても相変わらずあんたには勝てなかったってことか」
「申し訳ない。手荒な真似は避けたかったのですが、彼が本気だったのでつい、不可抗力でね」
「世間じゃ一秒間にパンチを十発以上も打ち込むことを不可抗力とは言わないんですよ、先生」
「命にかかわるような傷は負わせていないんだが、それでもダメかな?」
「春目先生。一つ教えてくれ。瀬野と戦う前、トンちゃんが言ってたんだ。あんたは亜帝内に平和と秩序を取り戻したいという理想と、それを実現できる力を持っていると。
力については確かにそうかも知れん。だが理想の方はどうなんだ? 彼はあんたが自分と同じ理想を抱いていると思っていたようだが、それはトンちゃんを利用する為の口実か? それとも……」
春目は一転して無表情になると、手を口元に当てて何やら考え込み始めた。その指先からは相変わらず血が滴っていたが、本人は全く気にしていないようだ。数分間の沈黙の末、春目は哲夫に向き合うと外の雷鳴にかき消されないような、しっかりとした口調で語り出した。
「パルメニデス教団の教祖。エレア社の代表取締役社長。久世野羽蔵の一番弟子。
そういった肩書きを全て無視した個人の見解として言わせてもらうと、デマゴット・クレオがクレイトス・ラ・ペリに勝っているところなど一つもない。九里警部に語ったことは本音ですよ。テレス君には伝えそびれてしまったのですが、元々私はベロポネソスなどに端から興味はありません。パルメニデス教団は本来この世界の真理を解き明かすため久世野会長が設立した研究機関です」
返答を受けた哲夫は意外そうな顔で固まっていたが、やがて嬉しそうに彼の下へ歩み寄った。
「いやぁ、あんたもこの戦いをそんな風に思っていたとは。また一人、同志が増えた気分だよ。ここだけの話、俺もバトルロイヤルとか関係なしにこの世界の真理を突き止めようと探究所を設立しましてね。現状、資金繰りに大変苦労しているんですが、良かったらそのぅ…………」
「私に、出資者になって欲しいのかな?」
「そうですそうです! いやぁ流石は世界的大企業エレア社の社長。お話しがわか――」
「お断りします」
哲夫の笑みが消え、足が止まる。
隣のビルに雷が落ちた。二人の亀裂を象徴するように。
「今言った通り、私はペロポネソスに否定的だ。それと無関係に世界の真理を探究する施設を立ち上げたという君の理念も素晴らしいと思う。しかし私は、一つの会社の看板と何百人もの従業員の生活を背負った経営者。勝てる見込みのない博打に、金を費やすつもりはないよ」
「要するに、俺たちに共感はしてくれるが金は出せない。やりたきゃ手前らで勝手にやれと」
「そういうこと。ごめんなさいね。解ってくれるかな?」
「いいとも~! ……その代わり、俺の仲間に手を出すな」
「勿論私も手荒な真似はしたくありません。こちらから攻撃はしませんよ。こちらからは、ね」
春目は眼鏡を外すと胸ポケットにしまい込んだ。と思った次の瞬間、眼にも留まらぬ速さで接近し、容赦ない蹴りをお見舞いする。しかし哲夫は攻撃を受ける寸前で身をひるがえし、紙一重で奇襲を回避した。不敵な笑みを浮かべて振り返った彼の中指には、一つの指輪が納まっている。
「ほう。オルギャノンに続きアキレトータスまで瀬野から盗んだというわけですか」
「流石エレア社の技術の粋を込めて造られた品だ。こいつがなきゃ今の一撃でお陀仏でしたよ」
「返して頂けませんか?」
「お断りします」
先程ぴしゃりと言われた言葉をそのままお返しする哲夫。例によって戦闘中に相手を煽る、彼の癖だ。終始穏やかな笑みを浮かべていた春目も流石に許容範囲を超えたらしい。
「私もそう……君もそう……みんなそう。ペロポネソスの参加者は賢人である以前にどいつもこいつもクズばかり。議論を放棄し、殺し合いで解決する。そんな提案に乗った時点で賢人を名乗る資格などない。バトルロイヤルを続ける限り我々は所詮、口が上手いだけの剣奴ですよ」
「口が上手い剣奴か……言い得て妙です、な!」
哲夫が瀬野から奪ったハンマーを全力で投げつけた。しかし春目は顔色一つ変えることなく、片手で巨大なコンクリートの打撃部分を受け止める。瀬野はおろか哲夫すら両手でないと持ち上げられなかった代物。それを軽々と受け止める彼の仕草には、かつて優が投げつけた辞書を予備動作なしにキャッチした哲夫の姿を彷彿とさせた。
しかし当然、紙の本とコンクリートの塊では重さも硬さもまるで違う。にもかかわらず、春目は受け止めた際の衝撃も反動も存在しないかのように棒立ちのまま
鋼鉄の槌を片手で粉々に握りつぶした。
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「先生えええ!!」
会長室にテレスの絶叫が響く。モニターに映し出された凄惨な映像を前に、金縛りの苦しみも忘れて叫ぶ少年。彼の見つめる画面の中では、知の鞭を春目の腕に絡ませた哲夫が、鞭ごとぶんぶん振り回され床に、壁に、窓ガラスに散々叩きつけられて血まみれになっていた。
そんな少年の叫びに呼応するように、オルギャノンは発光と振動を増していく。
「おおお! 素晴らしいィ!」
目を爛々と輝かせ、机上のオルギャノンを手に取ろうとする羽蔵。だが次の瞬間、銃口から放たれた光が老体を弾き飛ばした。慌てて駆け寄るメリッサを尻目に、金縛りから解放されたテレスは暴れるオルギャノンを握りしめ、惇の開けた穴へ春目と同じように飛び込んだ。
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紳士の仮面を捨てた春目は、血みどろの哲夫の喉元をさらに容赦なく締め上げていた。
「さっき、俺の仲間に手を出すなと言っていましたね。冗談じゃない。瀬野を傷つけておいてよくそんな台詞が吐けたものだ。彼だって君にとっての惇君やテレス君と同じく、私の大事な仲間なんですよ。そちらから手を出した以上、こちらも反撃に出させてもらいます」
「ゴッ……はぁアアア!!」
アキレトータスをはめた腕にありったけの力を込め、春目の腹部を殴りつける哲夫。渾身の一撃と指輪の効果が相まって、何とか自分の首元から敵を引き離すことに成功した。
「ぜぇ……ぜぇ……春目先生、あんたの言う通りだ。瀬野を倒した俺を攻撃する権利はそちらに充分すぎるほどありますよ。ただ一つ、誤解してらっしゃる……俺が言っている手を出して欲しくない仲間ってのは、惇やテレスだけじゃない――オルギャノンのことでもある」
「…………はい?」
哲夫の一言があまりに意外だったのか、起き上がった春目の顔から殺気が消え、首を傾げる。
「意味が分からない。確かにあれはただの銃ではないが、それでも人間と同等に扱うなんて」
理解に苦しむとばかりに首を横に振る春目。その時、背後の穴から新たな人影が降り立った。
「テレス? お前、一体どうやって……」
駆け寄ろうとする師匠を制し、テレスは春目に銃口を向けた。全身に悪寒が走り、冷や汗が止まらない。しかし目だけは研ぎ澄まされた刃のように鋭く相手を睨みつけている。
「ごめんなさい春目さん。やっぱりあなた達にこの子は渡せません」
「渡してもらわなくても結構。その銃が君を選ぶなら一緒に来てもらうだけです……から!!!」
春目の瞳孔が般若のようにかっと見開いたその瞬間、心臓を鷲掴みにされるような苦しみがテレスを襲う。春目仁という男が持つ力の片鱗をもろに味わい、床にばったりと倒れる少年。
「春目ええええ!」
フロア中に轟く怒声と共に哲夫はなりふり構わず血の鞭を取り出した。床に叩きつけられた九つの先端部から伸びる血界が彼の怒りを代弁するかの如く、激しいうねりと共に迫りくる。
「やれやれ、困った子だ。目上の人に話しかける時は――」
襲い来る無数の触手。だが敵はそれを上回る速さで血界の合間を潜り抜けると、真正面から持ち主の顔面に拳を叩きつけた。吹き飛ばされる寸前、哲夫の耳に冷たい囁きがこだまする。
「――さんをつけろよ。デコ助野郎」




