託す者
「こんばんは、テレス・ニコマコス君。わしが誰か、ご存じですかな?」
盆栽や骨董品がずらりと並べられた会長室。二十五階の展望ラウンジから一瞬でこの部屋に連れて来られたテレスは、黒いソファーに腰かける老人と向かい合っていた。
「エレア社の創業者にして亜帝内経済を立て直した功労者。久世野羽蔵さんですね」
「ふぉっふぉっふぉ。功労者か。ハルマゲドニアのお客様からそこまで言ってもらえるとは。長生きはするもんじゃのう。仁」
愉快そうに笑う老人の背後に、一人の男が立っている。黒縁メガネに穏やかな笑みを浮かべ、軍服に似た黄土色のスーツを見に纏った紳士。その胸元には黄色い線と木槌の紋章が刻まれた銀色のバッジが光っている。
少年はその人物を知っていた。哲夫のレクチャーで、最も危険な相手だと警告されるよりもずっと前から知っていた。というより顔を覚えていた――列車内で乗り合わせた、あの日から。
「おっと失礼。彼の紹介がまだじゃったの。わしの後ろに控えておるこの男は」
「春目仁さん。エレア社の現社長にして、パルメニデス教団の教祖。二つの意味で、あなたの後継者にあたる方です」
「素晴らしい! 流石はハルマゲドニア随一の名門大学で留学生として選ばれた少年じゃ」
「あまり買い被らないでください。今話したことは全て哲夫先生に教えてもらったことです。僕は彼に会うまでペロポネソスはおろか首相が代替わりしていることすら知りませんでした」
「あららそれは残念じゃのう……まぁ、気にすることなかれ若人よ。ここだけの話、こやつもデマゴット・クレオのことは国家元首として認めとらん。ただのクズじゃと思うとる」
「会長。私は別にそこまで――」
「そんなことより、今夜は雨の中わざわざ素敵な贈り物をありがとうテレス君。部下の失態で祖倉哲夫に奪われ、挙句金木友朗なんぞの手に渡った時は冷や冷やしたもんじゃが、幸いにもオルギャノンは所有権を君という純粋無垢な人間に委ねてくれた。
どんな発明にも言えることじゃが、初めてその品を創った者はそれが持つ力を正しいことに使って欲しいと願うものじゃ。我々もその御多分に漏れず、オルギャノンの正当な所有者をずっと探しておった。そんな中、仁は列車の中で君と出会い、所有者としての可能性を見出したのじゃ」
少年を見つめる春目のにこやかな視線。その瞳にテレスの悲しげな目が重なった。
「春目さん。どうして……どうして教えてくれなかったんですか。あなたがパルメニデス教団の教祖だって。もしあの時教えてくれていたら、僕は……僕は――」
「テレス君。それ以上言ってはいけない。もし私があの時素性を明かしていたら、自分は今頃パルメニデス教団に入っていたかも知れないと言いたいんだろう。しかしそれは『過剰の中の無』というものだ。亜帝内に着いてからどの教団に入ろうかという君の選択肢を奪うことになる。何より君を教団の一員と認めてくれた哲夫君たちの気持ちを裏切ることにもつながるだろう?」
♦♦♦
「事情聴取という理由で店を訪れた時点でフェイク。最初からここへ連れて来るつもりだった。トンちゃん。あんたもステイン同様“駒”の一人だったってオチかい」
「すまねえな。テツ。俺はこの国に、かつての平和と秩序を取り戻したいという理想がある。だが今の俺には力がない。力なき理想はただの夢想だ。そして理想なき力は今の首相のような暴力だ。理想と力。二つのバランスが最も取れていて、ペロポネソスなんてバカ騒ぎを終局に導くことが出来るのは、今の亜帝内で一人しかいない……それが、春目仁という男だ」
「それであいつらの犬に成り下がったと」
「ああ。俺の理想を実現してくれるのなら喜んで彼の犬に、いや踏み台にでもなってやるさ。あ、そうそう惇。結局お告げに関しては、お前の推理が正しかったようだよ」
「黙れ! 裏切り者。それ以上先生に手を出して見ろ。貴様の身体を八つ裂きにしてやる」
阿修羅の如き表情で敦を睨みつける惇。一方、拳銃を突きつけられている哲夫自身は極めて落ち着いた声色で語りかけた。
「なぁ、トンちゃん。俺にはあんたの理想とやらを託してはくれないのか?」
「お前にも実現できる力はあるのかもしれない。だが時間がかかり過ぎるんだよ。テツ」
「急がば回れって言葉もあんでしょうが」
「俺はそこまで気が長くない」
「同感だね。祖倉哲夫、お前に期待するくらいなら自分から行動を起こした方がよほどマシだ。ご苦労さん警部どの。そいつの始末は俺がつける」
彼らの背後から、勝ち誇った声と共に一つの影が姿を現した。トレンチコートに身を包み、葉巻を咥えた男。その眼はかつて自分からオルギャノンを奪った宿敵を睨みつけている。
「よう。いつ以来だ」
「え~と……一月は余裕で超えてるよね。元気だったかい瀬野ちゃん」
「元気? んなわけないだろ。誰かさんにオルギャノンを奪われて以来、その失態を周囲からねちねち責められ続けて胃薬必須だったわ」
「あらま~。ご愁傷様です。今回の作戦はそのリベンジってことかな? ステインを利用し、フェイクで俺たちをおびき寄せ、案内役まで用意する。まるでここ一ヶ月俺たちが戦ってきた連中の作戦をパクっているかのようなやり口だ。流石はパルメニデス教団一の汚れ役」
「黙れ!」
瀬野はコートを脱ぎ捨て鍛え上げられた肉体を晒すと同時に、隠し持っていた鉄の棒を床に突き刺した。そのまま勢いよく引き抜かれた棒の先には、えぐり取られたコンクリートの床が巨大な長方形へと姿を変えていた。パルメニデス教団のバッジに描かれた紋章。瀬野はそれと全く同じ形状のハンマーを携え、哲夫に向かって振り下ろした。
「死ねぇ!」
轟音と共に叩きつけられる巨大な金槌。しかしその攻撃は的を外していた。哲夫が敦を蹴り飛ばした反動で、ハンマーの凶暴な一撃を飛び越えていたからだ。
「おっそ! 最近フィロやオルフェウス教と戦ったせいか、お前の攻撃が止まって見えるぜ」
執拗な攻撃をひらりひらりと交わし、哲夫は瀬野を煽り続けた。二人の戦いの全貌を惇、敦、アンディ、そして会長室のモニターでテレスや春目たちが固唾をのんで見守っている。
♦♦♦
「先生! ……お願いです久世野さん。あの人を止めてください」
「心配するでない。今の瀬野の力では君の師匠を倒すことなどできんよ。じゃが、どうしてもあの不毛な争いを終わらせたいというなら、オルギャノンと共にこちら側に付いてくれぬか?」
「え?」
「オルギャノンを持ったまま、パルメニデス教団に鞍替えをして欲しい。そういう意味だよ」
羽蔵の言葉をフォローするように春目が言った。その声は穏やかだが、目は笑っていない。
「我々にはどうしてもこの銃と君が必要なんだ。力を貸してくれないか」
「……嫌だと言ったら?」
警戒心に満ちた顔で眼前の二人を交互に見つめるテレス。そんな彼の背後から、メリッサの抑揚のない声が耳に入ってきた。
「残念ですが、あなたに拒否権はありません。その拘束が何よりの証拠です」
彼女の言葉が何を指しているのか、テレスには当然解っていた。いや、感じていた。ここへ連れてこられた時から。この黒くて大きなソファーに座らされた時から、雷に打たれたように全身が痺れ、口と目以外まともに動かすことが出来ない。彼は今、金縛りに遭っている。
「ミスターニコマコス。わしらの異名を、知っておるかな?」
テレスを見つめ、にやつく羽蔵。その顔には年甲斐もなく相手をからかう色が浮かんでいた。
「パルメニデス教団。またの名を、不動の教団……」
その言葉を最後に、少年は唯一自由に動く口すら閉ざしてしまった。彼の精神を締めつける緊迫感は、その場にいる全員が黙り込んだことで更に強まっていく。そんな沈黙を破るように隠しカメラを見据えた哲夫が、瀬野の攻撃を受け流しつつ画面の中から声をかけてくる。
♦♦♦
「テレス! そこにいるんだろ? 心配するな、今すぐ助けてやる……惇!」
二人の決闘に目を奪われていた兄弟子がはっと我に返り、師匠の意図を理解する。
「先生、もう少しだけ頑張っていてください。必ず彼を連れて戻ります。うおおおおお!」
「お前ら! やつを止めろ!」
天井に向かって跳躍し、そのまま次元の壁を突き破ってワープしようとする惇。瀬野の指示を受けたアンディが飛びかかるが簡単に蹴り飛ばされ、床に叩きつけられて意識を失う。続けて敦が所持していた拳銃を発砲するが、装甲の前にはただの銃弾など豆鉄砲も同然だった。
「銃で駄目ならハンマーはどうだ? 普良!」
次元の狭間に飛び込もうとする啍に向かって、瀬野は自身の持つ金槌を全力で投げつけた。だがその一撃が惇に届く寸前、白い知の鞭が柄の部分に絡みつき強引に引きずり下ろす。
「貴様アアア!」
ハンマーが床に落ちるのと、惇の姿が穴の中に消えていくのは同じタイミングだった。ビーチフラッグスの旗を取るように槌に向かってスライディングする瀬野。だがその柄には鞭が絡みついている。あと一歩というところで愛用の鈍器は無情にも宿敵の手に渡ってしまった。
「へへっ。悪いね」
哲夫は奪い取ったハンマーを両手に持ち、本来の持ち主に振りかざした。
確実に仕留めた。はずだった。
「……あら?」




