父と子
(父上、やめてください。私はこんな……)
(口を開けろクレス。それで全て終わる)
立ち並ぶ人影の視線は、玉座の二人に集中していた。青年は自分につかみかかる萎びた腕を振りほどこうともがいたが、老体のどこにそんな力が残っていたのか、炎堂はまるで動じることなく相手の顔を抑え込んでいる。
「ハアアァァァ……」
老人は依然として炎の息を青年の顔に吹きかけていた。とてつもない肺活量だが、青年は目と口をぎゅっとつむって開こうとしない。本能的な何かが、老人の言葉に屈することの危険性を訴えていた。
(怖いのか? 私に身を捧げることが。7年間共に歩んできた父をこの期に及んで拒絶するというのか?)
老人の声が、両手を通して青年の脳内に直接伝わってくる。
「あああああ!!!」
青年は叫び声を上げ、とうとう目を見開いた。そして気づく。老人を突き飛ばしていたことに。
「クレス! 貴様なんということを!」
それまで固唾をのんで見守っていたフードの人影たちが憤りの声を上げ、青年の周りを取り囲む。一方、突き飛ばされて玉座に倒れ込んだ老人はゆっくりとその身を起こしながらぶつぶつ呟いた。
「失望したよクレス。ここへきて恩を仇で返すとはな」
「も、申し訳ございません。しかしいきなりあのような……」
「お前ならば受け入れてくれると思った。誰よりも私に忠実な、お前なら」
「あんたのエゴを受け入れてくれる人間なんていねえよ」
老人と青年、それを囲うフードたちが一斉に振り向いた。視線の先の暗がりから、哲夫がゆっくりと姿を現す。
「よう、邪魔するぜ」
「貴様!」
周囲に並んだ人影が一斉に腕を突きだし、炎を放とうとする。しかし
「待て」
老人の一声が、彼らを遮った。
「驚いたよ祖倉くん。どうやって抜け出して来たのかね」
「どうやっても何もあんなぼろぼろの檻、パンチ一発で余裕だったぜ。ちなみに俺を見張ってたテュロスさんはぶち破った時の衝撃をまともに食らっておねんねしてるよ」
「ほう、ではこの三日間、わざと捕まっていたというのかね」
「まあそんなとこだ。お告げさえなけりゃとっくに逃げ出してた」
「お告げだと? あんな幻聴をまだ信じているのか」
「幻聴ねぇ。確かに邪魔くさいが、素直に従ってりゃ意外といい結果に繋がるんだ。侮れないよ」
「で、脱獄したのにのこのこ我々の前に出てきたのはどういうつもりかな。まさか神聖な儀式を邪魔してこいとでもお告げがあったのか?」
「いいや、そこまではっきりとしたお告げはない。ここへ来たのは自分の意思だ。その馬鹿げた魂の押しつけを止めるためにな」
「魂の……押しつけ?」
青年が首を傾げ、哲夫の方を見る。
「孔草五郎について調べていた時、耳にしたことがある。多くの教えの中で彼が一つだけ禁忌とした秘術があると。その術は己の魂を相手の肉体に移し、自らの新たな肉体にする。乗り移られた相手の魂は消滅し、一人の人間だけが残る。
相手の人権を無視した、一方的な寄生の術だ。まさか実在するとは思わなかったが、惇から後継者の話を聞いた時にふと思った。こいつが襲名と思っている儀式は、ひょっとするとその寄生なんじゃないかってな。孔草の弟子だったあんたなら習得していてもおかしくない。で、来てみたらドンピシャよ」
炎堂は黙って哲夫の話を聞いていたが、やがて呆れたように首を横に振った。
「これだから余所者は困る。一方的な寄生? とんでもない。彼は名実ともに敬愛する父の名を受け継ぎ、私は彼の中で生き続ける。両者WinWinの関係ではないかね」
「どこが。惇は身体を乗っ取られて死ぬ。あんたは若く強い肉体に加え、亜帝内の正当な王位継承権まで手に入れる。どっちが得するか、火を見るよりも明らかじゃねえか」
「私は自分が何者なのか悩んでいたクレスに本当の血筋を教えてやった。さらには身寄りのない彼の父親代わりとして、師匠として七年間大切に育ててやったのだぞ。その恩人と一つになり、万物流転の叡智を授かろうというのだ。これ以上の名誉があるかね」
老人は何の悪びれもなく、さも当然のように言った。この男に対話は通じない。そう思った時、無意識に哲夫は拳を握りしめていた。
「身寄りがない? 違うね。こいつにはちゃんと家族がいた。あんたがその身寄りを惇から奪ったんだ。
七年間大切に育ててきた? それも大間違い。あんたはこいつを自分に都合のいい道具として、手駒として扱ってきたにすぎない。
炎堂力。お前はこいつの父親でも師匠でも、まして恩人なんかでもねえ。ただのマッチポンプ野郎だ。全ては惇の肉体を手に入れるための一人芝居。何が万物流転の叡智だ。てめえ自身の欲望のために、一人の人間の人生を滅茶苦茶にしてきただけじゃねえか」
我流拳法ホプリテスの構えをとり、相手をはたと睨みつける。その声と視線は敵意に満ちていたが、老人は動じない。
「残念だよ祖倉くん。君には生き証人として我々の革命を見届ける役目を与えてやったというのに」
彼と哲夫の間にフードの人影が立ちふさがった。
「殺せ」
老人の一声で、人影たちが一斉に炎を放つ。哲夫は一瞬で黒焦げに……なるはずもなかった。大人しくくたばるようなタマではなかった。
「アポリア!」
哲夫は叫び、腕を前に突き出した。一瞬で彼の前に虹色の結界が発生し、炎を無効化する。怯むフードたち。哲夫はその隙をついて一気に距離を詰めると、前衛の二、三人を蹴り飛ばした。
「うりゃあ!」
陣形が崩れた。さらに距離を詰め、果敢に肉弾戦を挑んでいく哲夫。対するフードたちも炎を放つことを止め、赤く熱した拳で殴りかかる。襲い来る拳を巧みにかわしながら、哲夫はさらに数人の急所に拳や蹴りを叩きこんだ。
「どうしたどうした。この程度でやられてるようじゃ革命なんて起こせないぜ」
十人目のフードをなぎ倒しながら、哲夫は老人の耳にはっきりと聞こえるように煽った。
「……クレス、もう一度チャンスをやろう。あの男を殺せ」
老人は玉座の前で立ち尽くしていた青年に声をかけた。しかし青年は動かない。
「どうしたのだクレス。父の言うことが聞けないのか」
「……本当だったのですね」
「何?」
「本当だったのですね。あなたが、私の家族を殺した」
青年の声は震えていた。拳を硬く握りしめ、うつむいている。老人はそんな青年の様子を知ってか知らずか、流暢に語り出した。
「ああそうだとも。だが感謝して欲しいね。あの愚民どもはお前の中に流れる血を無かったことにしようとしていた。その血がどれほど高貴なものか解っていながら、普通の子として生きて欲しいなどというつまらん愛情を優先したのだ。私が奴らを始末しお前を救い出そうとしていなければ、お前は一生凡人のままだったのだぞ」
青年からの返事はない。代わりに暗闇の中、重々しい音が響く。
「……何の真似だ」
老人が紙一重で飛び退いた視線の先には、太ましい腕の一撃で粉々に破壊された玉座。
「信じていた。信じていたのに……!」
青年の顔は苦悶に満ちていた。鮮やかなブルーの瞳に激しい怒りと悲しみの感情が浮かび上がる。
「なんだその顔は。私が偽りの家族を殺したことが憎いとでもいうのか」
「偽物なんかじゃねえよ」
老人は振り向いた。ふと見れば、部下の大半を倒した哲夫が知の鞭を取り出し、こちらに近づいて来る。
「たしかに血のつながりはないかもしれねえ。だがこいつが赤ん坊の頃から、普良一家が愛情を持って育ててきたのは紛れもない事実だ。そんな人たちに育てられたからこそ、こいつはお前に本気で恩義を感じ、尽くすような人間になった。
わかるか腐れ外道。こいつにとって王の血なんてものはどうでもいいんだよ。ただ自分を絶望から救ってくれた恩人に報いたい。望みを叶えてやりたい。その一心で七年間尽くしてきた。お前が全ての元凶だなんて微塵も思わずにな」
背後から生き残っていたフードの人影が襲いかかる。しかし哲夫は一切振りむくことなく鞭を振り上げ、敵を一蹴した。
「革命だのなんだのは好きにやればいい。王様になりたいなら勝手にしろ。だがそのために自分を信じてついてきた人間を食い物にするってんなら、俺はお前を許さない。惇が直々に手を下すまでもねえ。てめえみたいな小物、俺一人で充分だ」
哲夫は一瞬で鞭を手繰り寄せると、空気を切り裂いてサイドスローを繰り出した。同時に老人も掌から炎の渦を放ち、鞭にぶつけた。暗闇の中、赤と白の放物線が交差し、明るく燃え上がる。
「ちぃ!」
炎の渦と真正面からぶつかったため、鞭はたちまち燃え上がった。消火しようと慌ててぶんぶん振りまわす哲夫。その隙を突き、老人がもう一方の手から炎を放つ。
「アポリア!」
鞭を握っていない方の手を前に突き出し、哲夫は再び虹色の結界を張った。炎を無力化する……かに見えたが、老人の放った炎は結界をあっさりと破壊した。
「何!?」
「残念だったな。私の炎は子供たちのそれとはわけが違う。生半可なアポリアでは防げないぞ」
間一髪。回避した哲夫の首筋を炎が通過していく。襟足が軽く焦げ、哲夫は思わず身悶えた。
「フハハ! 熱いか? そのまま燃やしてくれる!」
老人は高笑いしながら、続けざまに炎を放った。哲夫は鞭を収め、右へ左へ転がりながら炎を回避した。
「大口をたたいた割には逃げ回ってばかりだなぁ? もっと楽しませてくれよ」
嘲笑交じりに煽る老人。哲夫は思わず歯ぎしりしたが、あの炎を防ぐ手立てがないのも確かだ。
一か八か。哲夫はホプリテスの構えをとると、老人に向かって一直線に突っ込んだ。
「ウオオオオオオオ!」
「馬鹿め。自ら的になるつもりか」
老人は両手を大きく広げ、特大の炎をくれてやろうとした。が、その瞬間背後から両腕と脚をがっちりホールドされる。
「何!?」
「今だ賢人! 腹部を狙え!」
頭上から声が聞こえてきた。それを聞いた途端、老人は理解した。青年が気配を消して背後に回り込み、グラップリングを仕掛けたのだ。
「クレス貴様……!」
「クレスじゃない。俺は……俺は、普良惇だ!」
青年の太い腕と脚は四肢にがっちりと絡みついて離れない。ふと前方を見れば、拳を握りしめ突撃してくる哲夫。逃げ場などないのは明白だった。
「この、裏切り者めがアアア!」
老人が最後の抵抗とばかりに暴れ狂う。絶叫と共に口から放った炎が、向かってくる哲夫を容赦なく焼き尽くす。
「裏切ったのは、てめえだろうが!」
燃え盛る炎の中から哲夫が飛び出した。左手で顔を守り、吹きかけられた炎の渦から顔を守っていたのだ。そして溜めに溜めた右拳を勢いよく前に突き出すと
「ぐふぉあ!」
炎堂の腹部に、ありったけの一撃を叩きこんだ。




