名前
「惇さんに、そんな過去が……」
驚愕の眼差しと共に口を覆うテレス。優も身体をしっかりと哲夫の方に向け、食い入るように話を聞いていた。
「でもそのクレスって人は、結局組織を裏切ってあんたの仲間になったんだろ?」
「まぁそう結論を急ぎなさんな。まだ話の半分しか言ってない」
「まだ続くの?」
「当たり前だろ。むしろここからが大事なんだ。どうやってクレス・アリストが再び普良惇を名乗り、俺の相棒になったか……」
♦♦♦
「よう惇。今日の飯はなんだい?」
「いつまで経っても俺をそう呼ぶんだな貴様は」
哲夫が監禁されてから三日目の夜。青年はいつものように食事を鉄格子の前まで運んでくると、床からわずかに空いた穴の中に放り込んだ。
「だってお前さんが七年間そう呼ばれてきたのは事実なんだろ?」
およそ料理とはいえない残飯を頬張りながら、あっけらかんとした口調で話しかける哲夫。青年はため息を吐いた。
「まぁいい、どうせもうすぐ俺は普良惇でもクレス・アリストでも無くなる。お前とこうやって檻ごしに会話するのも今日で最後だ」
「なんだって!?」
「第三の名前を授かることに決まったんだ。父上の持つ、炎堂力という名前を」
「いわゆる襲名ってやつか?」
「おそらくそういうことだ。ここだけの話、父上はもう長くない。革命に成功し亜帝内を掌握したとしても、その玉座に座れるかどうかも解らないそうだ。数か月前からあの人の後継者は誰か、組織の中で揉めていて色々な派閥が出来つつある。しかし今日、俺は父上に直接呼び出され、その“器”だと言われた」
「良かったじゃないか。革命が終わった暁には晴れてこの国の王様ってわけだ。いや、王族の血を引いてるなら元鞘に収まると言った方が正しいのかね」
「生憎、俺はそんなものに興味は無い。いっそ他の連中にくれてやりたいくらいだ。ただ、恩人である父上の意志を継がなければならないという使命なら、俺は喜んで受け入れる。たとえ元の名前を捨てることになっても」
「なるほどね。それで俺とこうして会うのは最後だと言いにきてくれたわけだ」
「賢人よ。お前は捕虜であり、敵だ。だからお前を解放することはしない。革命が終わって王になったら真っ先に処刑してやる。覚悟しておけ」
「りょーかい」
「命乞いしないのか? 最後の最後までおかしな奴だ」
「そんなことしたって何も変わりゃしないでしょ」
青年はしばらくの間、檻の中で肩をすくめる囚人を見つめていた。が、やがて鉄格子に背を預け、静かに腰を下ろした。
「……最後に何か、言っておきたいことはないか」
「どした? 藪から棒に」
「お前は俺が生きてきた中で、父上以外に見た唯一の賢人だ。最後ぐらい何か熱弁を振るわせてやろう」
「お、優しいねえ。流石王様になるかもしれない男だ。じゃあお言葉に甘えて、俺も最後に一つとっておきの話をしてあげよう。タイトルはそうだな……ある刑事の物語、どうかな?」
「刑事の……物語? 偉そうな説法じゃないのか?」
「俺はそういうのしない主義だから。それに、今から話すことはけっこう聴きごたえのある話だと思うぜ」
「ほう、ならば聞かせてもらおう」
青年は哲夫に背を向けたまま頷いた。
「よし、じゃあ早速。あるところにとても優秀な刑事がいました。どれぐらい優秀かというと、事故として処理されそうになった事件を、独自の勘と捜査で殺人だと見抜く程度には優秀でした。
ある日、刑事の管轄する町で火事が起きました。一軒家が全焼し、そこに住む三人の命が失われました」
青年の眉がぴくりと動く。が、話を遮ることはない。哲夫は構わず話を続けた。
「火事の原因はよく分かりませんでしたが、家の中から燃え始めたことは確かでした。警察は一家心中の線で捜査を進めました。当時、町には恐ろしい疫病や賢人たちの争いがはびこっており、それにたぶらかされて破滅する者が後を絶たなかったのです。この一家も病魔に侵されたか、賢人に騙されたのを悲観して自ら命を絶ったのだろう。そう考える声が、多くありました」
「しかし検死の結果、三人の遺体は焼けるまで至って健康、聞き込みをした刑事も一家にトラブルなど無かったことを知りました。刑事は他殺の線を視野に入れるように進言しました。しかし、受け入れられることはありませんでした。一家心中で話がまとまり、捜査会議は解散しました。ニュースでもそのように報じられ、次第に人々は事件のことを忘れていきました。その刑事を除いて」
青年が顔を上げた。しかし哲夫は気にすることなく話を続ける。
「刑事の頭から、どうしても他殺の可能性は消えませんでした。事件後も焼け跡や遺体を自分一人で何度も調べ、危うく懲戒寸前までいきました。しかし、努力の甲斐あって刑事はついに、ある証拠を掴んだのです。
それは指紋でした。父親の遺体の首筋に、当初は発見できなかった何者かの指紋がわずかに残っていたのです」
青年ははっとしたように背後の牢獄を振り返った。哲夫の話は続く。
「刑事は国中に残されているデータを集め、それが一体誰の指紋なのか調べました。しかし、該当するものはありません。そんな馬鹿な。厳重に身分が管理されたこの国で身元不明の指紋などあるはずがない。刑事は悩み、捜査は振出しに戻った、かに見えました」
「そんな時、刑事はある噂を聞きつけました。民主主義派の政治家や賢人が、最近不審な火事で死んでいると。刑事の勘にピンとくるものがありました。刑事は裏社会の情報屋と取引し、噂の真相を探り始めました。そしてついに、ある組織の存在を嗅ぎつけたのです。その組織の名は……」
とうとう青年は立ち上がり、鉄格子に詰め寄った。終始冷静だったはずのその顔には汗が滲んでいる。
「貴様、まさか……」
「おいおいどうした。俺はただ、ある刑事の物語としか言ってないぜ」
檻を挟んで見つめ合う二人。青年の汗ばんだ表情に対し、哲夫の顔は実に涼しげだ。青年は錆びた鉄格子を握りしめ、哲夫に詰め寄ろうとした。その時
「見つけたぞクレス。父上がお呼びだ」
廊下の奥からテュロスが、二人の方に近づいて来た。
「どうした? 捕虜と見つめ合ったりして。こいつが何か重要なことを漏らしたか?」
「い、いえ……何でもありません」
青年は冷静さを取り戻すと、鉄格子から手を放しテュロスの方に向き直った。
「父上が、私に何の用でしょう」
「詳しい話は直接会って聞け。私はただお前を呼んで来いと言われただけだ」
「わかりました。すぐに行きます」
青年は檻に背を向け歩き出した。が、その足が一瞬止まる。
「どうかしたのか?」
不審そうに見つめるテュロス。そして檻の中からは哲夫がこちらをじっと覗いている。青年は振り返り、青い瞳でもう一度賢人の顔を見た。
「……何も」
青年はただ一言だけ言うと、牢獄とは反対側に向かって静かに歩き出した。
「――よく来た。我が子よ」
朽ちた石の玉座に座りながら、炎堂が青年を自分の元へと手招きする。周囲にはフードを被った人影が二人を囲うようにずらりと立ち並んでいた。
「はい。父上」
青年は玉座の前まで来ると、ゆっくりひざまずいた。ルビーような赤い瞳が、その様子を見降ろしている。
「顔をお上げ。これから『儀式』を行う」
老人の一言で周囲がざわついた。フードが左右に揺れ、顔を見合わせる。
「襲名の儀式ですか」
「いかにも。万物流転の掟に従い、お前は私を受け継ぐことになる」
「万物流転……」
「そう。私が常に教えてきた文言を覚えているかね」
「もちろんです。この世界、万物において時の流れはとどまることを知らず、その身は常に流転し、変化する。流転をさかのぼることはいかなる者であっても許されず、同じ川に入る者は一人として存在しえぬ。さればこそ、己が過去を流転の中に捨て、変化の源流にあるロゴスのみを絶対として崇めよ」
「素晴らしい。ではその文言に従い、お前はクレス・アリストの名を捨てることができるか?」
「……できます」
青年は首を縦に振った。
「よろしい。ではその顔をこちらに近づけよ。私の叡智をお前に……」
老人が玉座から身を乗り出すと、青年の方に身体を近づける。萎びた両腕が、ぼろぼろの衣からにゅっと出て来て頬をつかんだ。
「……移す」
サファイアがルビーを見つめ返した。
「移す?」
「はぁぁアアア!」
青年が言葉の意味を飲み込めないうちに、熱く重い風が顔面を直撃した。老人が口から炎を吹き出したのだ。
「ち、父上何を! 襲名は……」
(襲名? 私はそんなこと一言も言っていないが)
(な!? 直接脳内に……!)
(お前の肉体を貰うぞ。息子よ)




