対決
握りしめた拳の先で鋭い光を放つ刃が、相手に向かって空を切る。紙一重でその動きをかわした標的は、がら空きとなった彼の腹部に強烈な一撃を食らわせた。
炎に包まれた、黒光りするナックルダスターを。
「ごはァ!?」
最初の一撃を避けられ、強力なカウンターをお見舞いされた惇は思わずその場に膝を着いた。その様子を失望したような眼差しで見つめるかつての師――炎堂力。
「ああクレス。かつて俺の名を継ぐ“子”に誰よりも相応しいと言われた男が、祖倉哲夫などという小物に唆されたばかりに、何と無様な有様よ。今のお前には『ロゴスの子』最強の暗殺者として恐れられた在りし日の面影など欠片もない。弱く、醜く衰えた」
両足を踏ん張り何とか立ち上がった惇は、怒りに満ちた眼差しで炎堂を睨みつける。
「私を、その名で呼ぶなっっ!」
叫びと共に彼の口から血が数滴ばら撒かれた。その様子を見て突然笑い出す炎堂。
「ハハハ! これは面白い。自分の本当の名前を呼んで欲しくないと言うのかね?」
炎堂が再びナックルダスターに炎をまとわせ、強力な右ストレートをお見舞いしようとする。しかし今度はその勢いを上手く利用した惇が反撃に出た。彼の腕は正面から飛んでくる相手の右腕に蛇のように絡みつくと、そのまま懐に飛び込んで強烈な蹴りを食らわせた。前のめりに屈みこむ炎堂。
惇はすかさず背後に回り込み、その首を右腕で締め上げると左腕で一心不乱に炎堂の頭を殴り続けた。
一連の動作における彼の手の動きはまるで、師匠の哲夫が振るう鞭のようにしなやかで無駄が無い。敵の首をぐいぐいと締めつける太ましい右腕。もしもテレスがこの場に居合わせていれば、間違いなく昨夜の哲夫とライオンの戦いを連想していただろう。
一方、炎堂の頭を滅茶苦茶に殴りつける左腕の先端には鋭い三角形が突き出ていた。しかし万太郎と戦った時ほど長く伸びてはいない。今回の三角形は剣と切り結ぶための刃というより、パンチの威力を上げる手甲のような役割を果たしていた。
硬く、幅の広い三角形がただでさえ強力な啍の拳骨にダイヤモンド並の硬さ、コンクリート並の重さを上乗せしている。その威力の凄まじさは、殴り続けられている炎堂の額から流れる血が物語っていた。
しかし対する炎堂もとんでもない耐久力だ。これほどの一撃を食らい続け血を流していても、その表情はむしろ戦いを楽しんでいるようにさえ見える。その顔に苛立った惇が更なる一撃を食らわせようとした瞬間、突然炎堂の頭が燃え上がり口から火を吹いた。
「くっ!」
予想外の反撃に一瞬だけ動揺し、渾身の力で締め付けていた右腕がわずかに緩む。その隙を待っていたかのように、顔を燃やした炎堂は首を締め付けていた右腕を掴むと、ありったけの力を込めて投げ飛ばした。優の部屋とは反対側、肖像画が立ち並ぶ壁に惇の巨体が激突する。
「かはぁ!」
紅のカーペットが続く廊下に瓦礫と土煙が蔓延する。投げ飛ばされた衝撃で壁にめり込んだ身体を引っ張り出そうと懸命に踏ん張る惇。しかしその身体が起き上がるよりも先に、砂塵の間から伸びてきた拳が彼の喉を締め上げた。
「クウゥッ!」
惇の視界がぼやけ、呼吸が荒くなる。彼の喉元を掴んでいる拳は直前まで炎を発していたためか、尋常ではない熱を放っていた。じゅうじゅうと肉を焼く鉄板のような音をたて、惇の体内から酸素を奪っていく。
「聞かせてもらおう。お前は俺に、自分のことを何と呼んで欲しいんだ? ん?」
炎に包まれた悪魔のような顔が、不釣り合いなほど穏やかな猫なで声で惇を煽る。
「……!」
♦♦♦
「お前、普良惇か」
青年が拳を振りかざした瞬間、組み伏せられていた哲夫は青い瞳をまっすぐ見つめて呟いた。一瞬だけ自分を締め殺そうとしていた力が弱まる。その隙を逃さず哲夫は脚を曲げると、青年の胸元目がけて蹴り上げた。巨体が大きく反り返り、身体を押さえつけていた腕が離れる。
「クレス! この大馬鹿者!」
テュロスが叱りつけた時には既に遅し。哲夫は蹴りの反動で立ち上がると、相手の顎に向かってアッパーを繰り出した。青年はガードしようと両腕で顔を覆おうとしたが、紙一重で間に合わず攻撃をまともに食らってしまった。
「ぐぅ……! 貴様何故その名を」
顎を押さえ、若干ふらつきながら哲夫を睨みつける青年。一方、相手のグラップリングから解放され、意気揚々と態勢を整えながら哲夫は言った。
「研ちゃんに何度か見せてもらった写真に、昔のお前さんが写ってたんでな。七年前に起きた『普良一家焼死事件』唯一の生き残りで、施設に入居してから数日後に失踪。当時世間じゃそれなりに騒がれてたんだぜ? まさか七年の間にテロリストになってるとは思わなかったが」
「テロリストではない。これは革命だ」
「革命? 笑わせるなよ。世間に訴えて先導することもせず、ただ気に入らない奴をこそこそ殺してるだけじゃねえか」
二人は再び睨み合い、拳を構えた。互いを食い殺そうとする二匹の狼のようにじりじりと間合いを詰め、相手の出方を伺う。既に部屋は全焼に近い状態となり、二人を見守るテュロスも苛立ちを隠せないようだったが、両者ともに周りの状況は気にならなくなっていた。
沈黙を破ったのは、部屋の外から聞こえて来るサイレンだった。
「ち、これ以上は……もういいクレス。帰るぞ」
「……はい」
青年が哲夫から距離を取ると、くるりと踵を返し、ぽっかりと空いた大穴に向かって駆け出した。
「待て!」
慌てて後を追う哲夫。しかしテュロスの放った炎が眼前で境界線を敷き、その足を留めた。
「さらばだ祖倉哲夫。次に会う時、亜帝内は崩壊していることだろう」
勝ち誇った笑みを浮かべ、穴の中に飛び込むテュロス。青年がその後に続こうとしたが、ふと立ち止まり、もう一度哲夫の方を振り返った。
「……貴様」
青年は自分の右腕と、哲夫を交互に見比べた。太くたくましいその腕には、白い輝きを放つ、細い糸状の物体が絡みついている。
「お前が組みついた時に張らせてもらった。このまま勝ち逃げなんてさせるかよ」
左手の平から伸びる白い糸を見せつける哲夫。同時に窓の外から、サイレンに混じって人々のざわめく声が聞こえて来た。消防隊が部屋に入ってくるまでそれほど時間はない。
「…………いいだろう。ここで見逃すよりあちらで始末した方が得策だ」
青年はそう言うと、糸を腕に巻きつけたまま穴の中に飛び込んだ。直後、哲夫の左手が勢いよく引っ張られ、炎の境界線を突破して穴の前まで引きずられる。
「連れてってもらうぜ。『ロゴスの子』のアジトにな」
哲夫は左手をぐっと握りしめると、踏ん張っていた足で床を蹴り、穴の中へ飛び込んだ。
♦♦♦
「……最後の最後までだんまりか。実にお前らしい末路だよ。クレス」
喉元を容赦なく締めつけながら、流石の惇もこれで最期だとでも思ったのか、わざと名残惜しそうな口調で呟く炎堂。
「反抗期の“子”は最期まで答えを教えてくれないようだが、心優しい“父”はそんなお前に一つだけ教えてやろう。この肉体はお前のかつての兄弟子、テュロスのものだ。お前たちが盛大に暴れまわってくれたおかげで、生き残っていた者の中から消去法で選ぶしか無かった。はっきり言ってコイツの身体は鈍重すぎて扱いづらい」
炎堂が攻撃の手を緩め、流暢に話を始める瞬間。酸欠状態で生死の境を彷徨いながらも惇はその一瞬に全てを賭けた。
「うお!?」
首を絞めていた炎堂の腕。その手首を惇は唐突に握りしめ、全力で自分の方へ引っ張った。炎堂は予想外の反応に対処が遅れ、そのまま惇の方へ前屈みになって顔を突き出す。反撃の射程範囲内に入った顔面目がけて続けざまに放たれる、渾身のひじ打ちと頭突きの二段攻撃。
どちらも顔に直撃する寸前、手の甲と同じく三角形を生やしていた。エルボーで右目を切り付けられた挙句、散々痛めつけられた頭蓋骨にトリケラトプス級の一撃がクリーンヒットしたことで流石の炎堂も意識が飛んだ。完全に力の抜けた腕を乱暴にどかした惇は、とどめの一撃とばかりにパンクラチオンの必殺技、フロントキックを敵の腹部にお見舞いする。
そのつま先にも鋭い三角形が虹色の光を放っていた。額、右目、腹から血を流しながら、ヘラクレイトス教団の教祖は仰向けに倒れ込んだ。赤いカーペットには彼の血飛沫が飛び、黒い染みが出来ている。意識を失ったかつての師を見降ろしながら、惇は誰に言うでもなく呟いた。
「貴様たちのおかげで私の家族は破滅させられた。貴様たちのおかげで私は七年もの歳月を人殺しに費やす羽目になった……だが貴様たちのおかげで、先生と出会うことができた。あの人と出会わなければ、私は貴様の言う通りクレス・アリスト、いや、炎堂力だった」




