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冤罪  作者: 新宮義騎
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二 取材 ②

 実はこの薬物騒動には、続きがある。

 美浦での混乱をある程度のレベルに抑えた俺の行動は厩舎関係者に賞賛されたが、社内では真逆の反応を得る結果になった。折悪しく俺が岩園厩舎へ足を運んでいる間に件の公表があり、一人だけ記事の作成が間に合わず、ウェブ版に掲載できたのもスポーツ紙でいちばん最後になってしまったのである。トレセン内では競馬記者がお互い日常的に顔を合わせるため、情報発信の内容、タイミングともに半ば各社横並び状態であり、報道はスピード第一という風潮も以前と比べれば相当薄れているとはいえ、各方面にマイナスの印象を与えたのは間違いない。

 とりわけこれに激しく憤ったのが編集長だ。こうしていても当時の様子が鮮明に記憶に蘇る。俺がトレセン当番から東京の本社に戻るや、小学校の先公が気まぐれにかます公開処刑よろしく自分の席まで呼びつけ、鬼婆という言葉がぴったりなツラで酒灼けした声を部屋に響かせたのだ。

「あたしに恥かかせやがって、何でウチがビリ、ドンケツなんだよ!」

 また次の当番がフォローのつもりか、後になって俺の善行を社に広めたのがいけなかった。編集長は言動が悪い意味で丸っきり昭和の男なのである。現代に求められる管理職の規範意識はどこへやら遠慮なく罵声を浴びせてくるうえ、「ニュースは速さを競ってなんぼ」という前時代的な価値観を堅持しているのである。当然、翌週にそれを耳にするや再び俺を呼びつけての叱責となった。

「人助けしてるヒマがあったら、一刻も早く記事を書け! それが出来なきゃ特ダネの一つでも拾ってこい!」

 俺としては取材対象との良好な互恵関係を維持すべく行動したのだが、到底理解されないだろうと判断してその場にされるがまま突っ立っていた。以来、俺は編集長の無駄にデカい鼻の穴を明かしてやろうとネタを探しつづけている。それもスケールは出来るだけ大きい方がいい。

 たとえば十九世紀に起こった競馬史最大の替え玉事件。英国ダービー馬ベンドアは存命中に別馬と入れ替わっているとの告発を受け、当時は調査の末いったん本物と認められたものの、二十一世紀になって遺骨をDNA鑑定にかけると疑惑が事実であったことが判明し、専門家やファンの間で子孫の血統表を書き換えるか否かの論争にもなった。あるいは二十世紀後半、引退して間もなく誘拐された種牡馬の行方など。

 だが、そんな話が都合よく近くに転がっていたら苦労はしない。名前の知れた事件はあらかた誰かが手をつけている。そもそも日本の競馬の歴史は浅く、そこまで耳目を集めるレベルの謎を探す方が難しい。やはり一発逆転で上をギャフンと言わせるのはムリなのか。諦め加減に軽く伸びをして何気なく首を左右に回してみた。

 その俺の視界に、厩舎の軒先で立ち話をしている二人の騎手の姿が入る。誰かは少し近づくと分かった。

 菅沼展明と三畑智久。二人ともデビュー以来好成績をあげている若手騎手で、どちらも週末土曜のGⅡ鳴尾記念に騎乗予定だ。注目度は日曜のGⅠ安田記念ほどでないにせよ、記事の材料にはなる。乗り運動や曳き運動、馬の世話をしているわけでもないのを見るに、休憩中か仕事終わりのようだ。

「おーい、ちょっと」

 俺が声をかけるや否や、二人がほぼ同時にこちらを振り向く。

 本来、取材対象である菅沼と三畑には敬語を使うべきではあるが、二人とも俺より歳が下ということもあって半ば後輩のような距離感で接していた。向こうもそれを自然に受けとめ、他の関係者と同様、互いに携帯電話の番号を教えあう仲になっている。特に菅沼はオープンな性格で、この日も三畑より先に挨拶を返してきた。

「今週が当番だったんですね」

「少し話を聞かせてもらえないか」

 質問に対する反応も、ほとんどの場面で好意的だ。俺はメモ帳を手に取る。

「どうぞ。大丈夫ですよ」

「じゃあ、今度の鳴尾記念についてだけど」

「ライノニンジャのことですか?」

 ライノとは冠号だ。オーナーは崔博治。自分の苗字から同じ読みである動物のサイを連想し、その英語名をほぼ全ての所有馬につけている。実際に恰好のいい名前かどうかはともかく、日本を代表するアイコンであるニンジャが馬名に入っているあたり購入時に将来性を見込んでいたのだろう。馬も期待に応えてここまでのレースに出られるようになったのだから大したものである。

「ああ。崔さん、一昨年あたりから持ち馬増やしてるよね。ここらが頑張り時じゃないかと思って」

「それ、他の人にも言われましたよ。うちの先生からは尻を叩かれました」

 調教師にとって、オーナーの評価は重要だ。管理馬が好成績をあげれば委託も増え、逆に期待外れの結果が続けば馬を預けられなくなってしまう。事業が好調らしい崔さんはこの先、より多くの所有馬を抱える可能性が高い。所属騎手に奮起を促したくもなる。

「で、感触はどうだい?」

「体調は上々ですよ。休み明け二戦目ですし、調教も相当いい方じゃないですか」

「放牧でしっかりリフレッシュできた、と」

「身体だけでなく、メンタル面での立て直しもうまくいっていると思います。去年の今頃の勢いが戻ってきてる気がしますね。ただメンバーが今までと違いますから。輸送にはだいぶ慣れてはいますけど、影響はゼロじゃないんで。あとは当日、どれだけ雨が降ってくれるか……」

 他の陣営が予定どおりに有力馬を出走させてきた場合、ライノニンジャは六番人気くらいになると思われる。重馬場が得意のため、現在五〇%の確率で予想されている金曜夜から土曜にかけての降雨があればもっと有利か。それでもオッズで上位とは差があり四番人気までだろう。もちろん菅沼が言うように、美浦から阪神への前日輸送が滞りなく済むのが大前提である。まあ、一般的なコメントだ。俺は適当なところで質問を終え、今度は隣に目をやった。

「ありがとう。じゃ、次は三畑くん。トライマイアームだったね」

「はい」

「こっちはどうかな?」

「仕上がりは上々です」

 三畑は口数が少なく、常に控えめで大人しい。先ほど呼びかけたときもぺこりと頭を下げるのみで、その後は話に交じる気配もなく、ここでやっと口を開いたといった感じだ。

「前走からの疲れは?」

「ありません。あまり消耗せずに済みました」

 おまけに表情の変化も乏しく、他厩舎への営業はどうしているのかと心配になるほどよそよそしい。菅沼の一つ下の後輩だというのにひどく素っ気ないのだ。俺としてはもう少し先輩を見習って、サービス精神を身につけてもらいたいところである。

「輸送は?」

「慣れてますので、たぶん大丈夫です」

 もっとも、これは馬とその所有者が違うせいもあった。今度のレースでトライマイアームの馬券を買うファンはお世辞にも多いとはいえない。人気は下から数えた方が早いだろう。また三畑が今回、乗るのはいわゆる〝クラブ馬〟。所有者が個人ではなく、多数の出資者による資金で成立している法人なのだ。同クラブは保有頭数が多いだけに、極端なヘマをやらかしたり調教師による個別の判断があった場合は別にして、仮に出資者の一人が成績に不満も抱いたとしても即座に降板させられる可能性は低いという事情がある。ましてや元が安値の馬であり、大した文句が出るとは考えにくい。早い話がコメントできるポジティブな要素もプレッシャーも少ないのだ。

「馬場は気になる?」

「なります。菅沼さんには申し訳ないんですけど、雨は降らないでもらえると助かります」

 笑顔を見せたのも質問を三つ、四つ重ねた後の遅いタイミングだが、それをもって今さら嫌味や文句を言う気にはならない。三畑は愛想を使うのが下手で、積極的にコミュニケーションを取ろうとする性格でないのは何度も取材をして分かっている。ちょっとは外面を繕ってもらえればありがたい程度である。

 俺はメモ帳に話の概要を悪筆で走り書きして閉じた。

 大体が取材などしなくても想像できる内容だ。こうした傾向は騎手に留まらない。生産者や調教師と話をしたとしても本音が聞ける保証は皆無どころか、ほとんどはブラフを疑った方がいいレベルだと俺は認識している。しかし、それこそが記者の仕事だとも思うのだ。大部分が徒労に終わる中で、ごく一握りでも価値がある情報が手に入れば御の字。そのために四方八方を奔走し、千歳さんのような人とコネクションを築く。たとえ個人としてはちっぽけに感じていても、読者や世間が求めていると思われる内容であればだ。

「二人とも、ありがとう。鳴尾記念についてはこれで終わりだけど」

 よってここで取材を切りあげようとするも、俺は半ば無意識に次の一言を口にしていた。

「他に何か面白い話ない?」

 どうして二人に質問を追加したかは、後になっても思い出せない。もしかしたら一つでもネタを掴もうとしていたのかも知れないし、深層心理であの編集長への反抗心がはたらいたのかも知れない。とにかく反射的に声が出ていたのは確かだ。自分でも何を言っているのだろうと戸惑いを覚え、すぐに今しがたの質問を打ち消そうとした。

「いや、なければいいんだ」

 だが俺がメモをしまおうとするや二人は顔を見合わせ、菅沼がおもむろにこちらへ顔を向ける。

「あの、あくまで噂ですけど、児玉厩舎の高井が八百長をしてるらしいんです」

「何だって?」

 高井光。特段に目立つトピックは最近ない。強いて言えば交際していた彼女と別れたとの情報が二か月ほど前に流れた程度であり、仕事はきわめて真面目だと聞いている。割と物静かな印象で、騎手としての腕もよく目の前にいる二人と同じ有望株の一人だ。俺がコンタクトをとる機会も似たり寄ったり。

 その高井が八百長? きっかけは? どこの誰と組んでいるのか? もし事実なら重大な不正行為だ。ただしこの手の告発はほとんど根拠の曖昧な憶測に終わっている。俺が記者をはじめてから大々的に取りあげられた例はひとつもない。それだけに自ずと慎重になる。ひょっとすると期せずして大きなネタが転がりこんできたのか? いや、喜ぶのはまだ早い。俺は迷いつつも再びメモ帳を開き、右手のボールペンを紙の上に押しあてた。

「ひとまず詳しく聞かせてくれないか」

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