十二 失態 ②
「参ったな。一気に問題解決できるかと思ったんだが」
かたや高井くんは落胆しつつも気を取り直そうとしていた。
「これで良かったんですよ。祖父が生きているかも知れないんですから」
俺は何と返せばいいか迷っていた。いかに見知らぬ相手といえど、血の繋がった親族への感情としては今しがた口にした言葉が本音であり、あるべき姿なのは間違いない。逆に死亡の事実が判明していたら、より複雑な気持ちになっていたのではないか。たとえ結果的に騎手として首が繋がるとしてもだ。高井くんも自分自身をどうにか納得させるべくそれを声に出したように聞こえた。その証拠に、いつの間にか先に駐車場へと歩いていっている。
俺は後をついていきながら、今後の方針を練った。
おそらく文田は生きてはいない。存命なら今年で八十三歳になる。普通の人生を歩んでいれば自宅や施設で生活している可能性はあるが、騎手を辞めた後は楽ではなかったはずだ。かなりの無理もしただろう。そんな環境で病気もせず元気でいられるとは考えにくい。そもそも仮に生存しているとしたら、過去に死亡説が流れた時点で何かのアクションがあって然るべきところなのに無反応だったのだ。しかし、だからといって中途半端に記事にして憶測を垂れ流すのも悪手だ。いたずらに事態をややこしくするだけなのは目に見えている。
何にせよ、残された方法は現実的にはただ一つ。今までどおり関係者の話を聞き、可能であれば決定的証拠を掴んで〈文田事件〉が冤罪だったことを白日の下に晒すしかない。噂を流した張本人を突きとめるのは無理だ。今から動いても手がかりすら掴めないだろう。
そんな風に考えを巡らせるうちに車に辿りつく。ドアロックを外すと、高井くんは助手席に腰を下ろして大きく息を吐く。俺は運転席でエンジンをふかしつつ、横目にその様子を見やった。
心身両面でくたびれている。ここに来る途中で先週何があったかは聞いた。注意力不足で勝てるはずのレースを落としたらしい。高井くんは詳細を語っていないものの、騎乗ミスの原因は明らかだった。のみならずそれが引き金となって、別のお手馬まで降ろされたのだという。墓地を歩いて乗車するまでの間も、心なしか肩が落ちこんでいた。
俺は駐車場から公道へ出、信号でいったん車を停めたタイミングで話を切りだす。
「高井くん、来週は俺ひとりで行くよ」
来週、というのは有村厩舎の関係者との面会である。
「北原さんのところ、という意味ですか?」
名前は北原研蔵、文田より八歳上の元厩務員だ。乾さんが約束どおり、かつての伝手を辿って話をつけてくれたのである。他は亡くなっているか連絡手段が途切れており、手紙を出してもなしのつぶてだったそうだ。Eメールにその旨が書かれていたのだと、行きの車中で高井くんが言っていた。
「そうだ。北海道でのレースが今週で最後ならまだしも、しばらく続くんだろ? さすがに無理があるんじゃないか」
北原さんは現在九十一歳。仙台市内の病院に入院している。他の曜日は高井くんが動けないため、面会は月曜にせざるを得なかった。したがって自ずとレース終了後に札幌を出、その日のうちに仙台で一泊して翌日に病院へ行き、札幌まで戻るというハードスケジュールを強いられることになる。いかに目的地の病院がアクセスに恵まれている場所にあるといっても、週に唯一の休日をほとんど移動に費やすのだ。体力面も含めて福守さんのときよりはるかにきつい。
対して俺の方は火曜まで休みで身体を休める余裕があり、水曜のオフィス出勤に間に合うよう東京へ帰る行程を少し変えて仙台に寄るだけで済む。本気でそちらの方がいいと提案してみたのだ。
だが次には高井くんの声に力が入る。
「乾さんの連絡を受けて直にお願いしたのは僕です──話をした初めの頃は娘さんに窓口になっていただいたわけですけど。でも都合で日にちを指定させてもらいましたし、祖父の件でお会いできる方がもう他にいないんです」
俺は信号が青に変わるのを確かめて車を発進させた。それからしばらく黙り、交差点で車を停車させたのちにまた口を開く。
「そうは言っても顔を見たこともない相手だし、行くのが一人でも二人でも話の中身は同じだと思うが。実際のやりとりは録音して、当日のうちに音源を送るようにしとく。会いにいって問題が解決する保証はないんだ。あんまりムチャすると冗談抜きで倒れるぞ」
事情を説明すれば理解は得られるのではないか。高井くんからは、北原さん本人は電話口でのわずかな会話にすら難儀していたと聞いている。年齢と健康状態を考え合わせると、昔のことをどこまで憶えているか疑わしい。今日と同じように無駄足になってはさらに疲弊が溜まってしまう。
それでも高井くんは首を縦には振らない。
「疲れているからこそですよ。そうでもしないと持たない気がしてしょうがないんです。騎乗ミスをしないようにしなくちゃいけない、でも一刻も早く噂を否定しなきゃいけない。両方やるのには気力が要るんです。だからじっとしている方が嫌で、疲れも抜けなくて……」
焦りだ。刻一刻とタイムリミットが迫っている。菊花賞まで二か月半しかない。できればトライアル前に鞍上に復帰したいだろうから、それを考えると残された時間は一か月程度。噂の出所は未だ霧の中であり、〈文田事件〉の真相を究明しようにも半世紀以上放置されていた謎を解き明かすのは至難の業だ。当人としては後悔のないよう全力を尽くそうとしている。であれば、その意思を尊重する以外に何ができるだろう。
「分かった。一緒に行こう。ただし無駄な力は使うな。代わりが務まる部分は俺や他の誰かに任せておくんだ。仕事の方は力加減が難しいかも知れないけど」
高井くんがこちらを向いて頷くのを見やり、俺は少し車を走らせてコンビニに入る。
「ここらで休むか。あんまり遅くならなそうだし。飲み物でも買おう」
緊張が和らいだためか、こっちも木戸とやりあった気疲れが遅れてどっと出た。夏の暑さもあるだろう。座席を降り、一直線に店内の奥まで突きすすんだ。
「どれがいい?」
俺は冷蔵庫のドアを開けて訊ねた。
「僕も買いますよ」
「いいんだ。今日のは俺が判断を間違えた」
「じゃあ、これにします」
高井くんが手に取ったのは麦茶だった。
「俺もそれにしよう」
レジで会計を済ませ、車に戻って思いきりエアコンをきかせながら揃って三分の一くらいまで飲む。
「大賀さん、ありがとうございます」
「なに、喉が渇いてたし、ドジ踏んでこんなとこまで連れまわしちまったからな」
出しぬけに礼を言われ、最初はてっきりこの飲み物を指していると思った俺は、すかさず対象が違うとの指摘を受ける。
「いいえ。今日のことだけじゃありません。何でここまで協力してくれるんですか? 本当にスケールの大きい記事を書きたいだけですか?」
高井くんが澄んだ目をこちらに向けていた。
「まあデカいネタを探してたのも、編集長がムカつく奴で見返してやりたいってのもあって……」
俺はそこで息を止めた。
そうじゃない。あいつへの反骨心は〈文田事件〉に手を出すきっかけに過ぎない。それに気づいたのは、高井くんと一緒に行動するようになってからだ。
「あと俺はガキの頃から今と同じように可愛げのない顔つきでね。中学一年のとき他の生徒の財布が盗まれる事件があって、いつの間にか容疑者に仕立てあげられちまったんだよ。特に当時は態度も反抗的だったせいだろう、先公どもも怒鳴りはしなかったけどしつこい尋問をはじめて、そのうち内申書をタテに脅したりもしてきてな。ついには家にも電話してきて、親にも疑われて元からよくなかった関係もこじれちまった。犯人は後で見つかったんだが、ホントに盗んだのは俺なんじゃないかって噂されつづけて、卒業まで疑惑が晴れなかったんだよ。要は俺と似たような目に遭ってるから、何か共感したんだと思う。事の重大さは別にして」
もっと言えば親との関係は今も修復できておらず、未だにしこりが残っている。高井くんにはそうなって欲しくなかった。
だからこそこんな昔の話が口から出てきたのだ。誰にも打ち明けたことはなかったのに、教えてもいい、むしろ知ってほしい気持ちになった。むず痒さもあったが、黙っている方がフェアではないという感覚の方が勝っていた。
ちらりと隣に目をやると、高井くんが小さく呟いた。
「そんなことが、あったんですね」
先ほどまで顔に纏わりついていた強ばりが薄らいだように見える。
よかった。これで少しは身体が保つかも知れない。俺はペットボトルを置き、車のシフトレバーをドライブに切り替えた。
よろしければ評価や感想、ブックマークをお願いいたします。




