十二 失態 ①
俺は西日を浴びながら、石狩市のとある寺の駐車場で立ち尽くしていた。隣には高井くんもいる。札幌競馬場で午後の調教を終えたあと、助手席に乗せて連れてきたのだ。
「大賀さん、それらしい姿は見あたりませんね」
その様子が随分と不安げなのも無理からぬところである。約束の時間はとっくに過ぎている。俺も何気なく足の指を小さくばたつかせながらぼやいた。
「場所は間違いない。ここだ。まさか金だけ受けとってすっぽかしたんじゃないだろうな」
俺は先々週、別の筋からこの件のもう一人の当事者である真木豊吉、及び事件への関与が疑われた元騎手の須本が死亡していた事実と、以前に話を聞いた小久保さんの証言も正しく事件とは無関係だったことを確認していた。そこでこのまま関係者への聞き取りだけを続けても事件の解明に見通しが立たないと考え、そろそろ文田の存否を調べて現在進行形で流れている噂を否定する方向──最初に高井くんとの作戦会議で説明したサブプランへの切り替えを試みたのだ。
具体的な方法は早くから頭にあり、実行に移すと成果も出た。オフィスでの仕事がない日曜日、国立国会図書館で〈文田事件〉についての資料を漁ったところ、今は廃刊となった週刊誌に「文田は競馬界追放後に北海道に移り住み、再婚したがうまくいかず、別居した後に病没、最後はその配偶者が建てた墓に入った」旨の内容の記事が掲載されているのが見つかったのである。翌日にはさっそく会社のツテを使って執筆者の所在を辿る作業に移行し、連絡を取って今日、本人との待ち合わせをするに至った。相手は木戸という記者である。
ちなみに事件に関する記事は別の雑誌や新聞にもあったが、古すぎて執筆者の追跡はできなかった。すなわちこの線で当てにできる人物は現状、他にいないことになる。
「僕はちょっとくらい遅くなっても大丈夫です。もう少し待ってみましょう」
「ああ。だが取材料を先に半分振り込んだのはまずかったかもな」
それだけについ、木戸の要求を呑んでしまった。曰く仕事を辞めて久しく、最近一か月ほどは特に生活が苦しいのだという。結果がこの体たらくである。こちらに着いてから何度か架電しても留守番電話の案内が流れるばかりで、その合間に右手のスマホにちらちらと目をやっても折り返しが来る気配すらない。前後左右を眺めまわしても、閑散とした駐車場が広がるのみ。
「高井くんは、いつまでならここにいられる? 帰りが夜の八時九時ではまずいだろう」
俺は木戸が来るかどうかを疑いはじめていた。一口に記者といっても実態はさまざま。人のことをとやかく言える立場ではないが、公私ともに真面目な者もいればそうでない者もいる。報酬の話が出るのは当然としても、いきなり金の無心を言い出したうえ遅刻とはいかがなものか。記事が掲載されていたのも十四年前とかなり昔で、大半がゴシップ中心のかなり怪しい週刊誌だ。ならば下手に時間を浪費しない方がよい。
「札幌に戻るまで一時間はかかりますから、出来れば六時にはここを出たいのですが」
その一方で高井くんは藁にも縋る思いでいるものと見える。俺にとっては気長すぎる答えにも理解はできた。ここで確かめようとしている事柄は、文田の墓が本当にここあるのかと、墓誌に名前が刻まれているかの二つ。高井くんにしてみれば、祖父の安否が判明するかも知れないのである。かといって墓が本物である保証もどこにもない。文田が死亡しているという情報もでっち上げの可能性がある。鵜呑みにするには危うい内容だ。
「そこまで待つのか? あと三十分。それで来なかったら諦めないか?」
ところが俺がそう口にして駐車場の出入口に目をやったとき、明らかにスピードを出しすぎの赤いオンボロ車が飛びこんできた。もしこれが参拝客などで混みあっている日だったら、出入りする他の車と接触し大事故を起こしていたであろう速度でだ。
俺たちがあっけに取られているうちに、車は急減速して白線内の駐車スペースにピタリと止まる。ガタつく扉を開けて出てきたのは、茶色いソバージュヘアーの痩せた男だった。
「いやあ、遅れてしまってすみません。木戸と申します。名刺は持ちあわせていませんので、ご挨拶にて失礼します」
Tシャツと綿パンはヨレヨレ、肩にはフケが散らばっている。清潔感と呼べるものは皆無で、しばらく普通の社会生活を行っていない模様だ。くびれた肌を見るに齢は六十前後のように思われるものの、全身に漂う雰囲気はやたら浮ついている。俺がむっとしているのを気に留める素振りすらなく、どこか馬鹿にしたような態度だ。
「お電話でお話をさせていただいた大賀です」
「騎手の高井と申します」
高井くんも似たり寄ったりの印象を受けたらしく、ひどく呆気にとられた顔をしていた。にもかかわらず木戸は車の扉を閉めつつ、へらへらと軽口を叩く。
「この度はとんだ災難でしたねえ。大事にならなきゃいいんですが」
今日の仕事を依頼する際、俺からは例の噂が立っているとだけ伝え、高井くんが追いつめられていることを含め近況等は伏せていた。よってこちらの心情を察せなくとも仕方ないのだが、それでも神経を逆撫でする喋り方が妙に耳に障る。高井くんは不快の色を随所に滲ませながらも、いちおう表情は抑えていた。
「さ、行きましょう。こちらです」
俺たち二人がせめて形だけでもと思い、桶に水を汲んで先を行く木戸の後についていくと意外なほど早く足が止まった。位置は墓地エリアの中心よりわずかに外れた東側の一角。寺が中規模程度であるのを加味しても、距離は思っていたより短い。
「ここですね」
木戸に指をさされてみれば、たしかに目的のものがあった。ただ墓石はありきたりな和型で、正面に刻まれている文字も「文田家之墓」という家名だけ。ごく普通の墓だ。
「では失礼して……」
俺は詳しく確かめようと、高井くんと一緒に区画内へ足を踏み入れて墓石をしげしげと眺めた。傷み具合から察するに建てられたのは三、四十年前あたりか。これだけではどうにも判別できず、ためしに側面に回りこんでみても名前すらない。
「ダメだな。そっちはどうだ?」
墓誌を調べていた高井くんも、十秒ほどで首を横に振る。
「こっちもです。何もありません」
せめてどこかに文田猛志と名前があれば、死亡の事実を推測しうる傍証にはできた。だが、この墓はどこにも個人名が刻まれていないのである。姓の一致のみをもってその主がどこの誰だと断言するのは、さすがに無理だ。文田という姓はどちらかと言えば珍しい部類に入るが、全国に数世帯というレベルで希少なわけでもない。
「このままじゃ、何とも言えないな。ところで木戸さん、ここが文田騎手のお墓だと誰から聞いたか覚えていますか?」
木戸はいきなり俺に話しかけられたのに驚いたのか、びくっと身体を震わせた。
「すみません。連絡先でも控えておけばよかったんでしょうけど、文田さんのお住まいがあったあたりまで行ったときにご近所の方から話を聞いたんで、どなたかは分かりません」
「お墓がどこにあるかをご存じということは、それなりに親交のあった方でしょうね」
「特に密接なお付きあいではないようでしたが……お姿を目にする機会はあったようです。といっても昔の話ですから、あんまりはっきりとは憶えていませんけれども」
取材で情報を得た流れとしては自然だ。俺の問いに即答したのを見るに、出まかせではないようにも受けとれる。十数年も前であれば、詳細は忘れているだろう。今のように自信なさげな口調でも何らおかしくない。とはいえ、何らかの検証はしたかった。
「そうであれば間違いありませんね。じゃあ、と言いたいところですが」
俺はいちど辺りを見回す。近くには誰もいない。今はお盆の一週前で、いくら北海道でも夏の暑い盛りだ。特段、用もないのにこんな日陰もない墓地に立ち入っては熱中症で倒れかねない。年配の方なら命取りになる。さりとてこの墓の主について何か知っている親戚なりご近所さんなりが来てくれるのを期待して突っ立っていても、ほぼ確実に待ちぼうけに終わる。ならば動いてみるか。一昨日あたりから密かに温めていた、いわゆる墓の真贋を判定する方法をここで実行することにしたのだ。
「それだけでは不安ですから、お寺に訊いてみましょう」
「何をお訊きになるつもりで?」
この提案に木戸が素早く反応し、おそらく俺の真意には気づいていないであろう高井くんが相槌を打つや、またも慌てて口を差しはさむ。
「本当にここに祖父が眠っているか、ですよね」
「でも今ご住職がいるかは分かりませんよ」
「裏手にご自宅がありましたし、受付の案内表示も出ていたのでどなたかはいるはずです。事務の方と名刺交換しておいて、後で電話かメールを入れるつもりです」
俺が話の主導権を元に戻して背を向けると、木戸が一歩前に出た。
「逆に事務員なんかだと個人情報とかで難しいんじゃないでしょうかね」
「ですからご住職がご不在であれば、事務の方にお訊きしたいことがあるとだけ伝えておくつもりです」
「ただ、やっぱり檀家さんの情報を漏らすのはまずいのでは」
「まずいことをさせるのは分かっていますが、それを私が外部に出さなければ大きな問題にはなりません。場合によっては、同時にお墓を建てた方もお訊きする必要があるかも知れませんけれども。とにかく、ご住職に判断を仰いでみたいと思います。公務員とは勝手が違うので何とかなりそうですし、もしダメだったとしてもそこまでやれば私も諦めがつきます。逆にうまく情報を引きだせたら、木戸さんへの残りの報酬に成果分を上乗せしてお支払いさせていただくつもりです」
隣では高井くんが怪訝そうな目を前方に向けている。俺はその視線の先にある木戸の顔が曇っていくのを見逃さなかった。
「ガセですね」
「何を根拠に」
「あなたは生活が苦しいという話だった。本来なら報酬が増えると聞いて喜ぶところです。なのに今、ずいぶん困っているようじゃありませんか。その理由は一つしかない。あなたの話がデタラメだからだ」
木戸もこれ以上、誤魔化すのは無駄だと判断したのだろう。数秒ほど口元をもごもご言わせた後、すぐに目尻を吊りあげこちらを罵りはじめた。
「年寄りわざわざ連れまわして何だその言いぐさは」
図星だ。単にウラ取りなしでこれを文田猛志の墓と思いこんでいたのなら、俺の行動を喜びこそすれ怒りはしない。
「前金はお支払いいたしました」
おまけに車で移動するのにかかると申告のあったガソリン代も含めてだ。拘束時間に対して相当割がいい金額を貰っておきながらとんでもない態度である。
「札束で顔ひっぱたくとはさすが大手の記者だな」
ここまでは所作の端々が鼻についても、あちらの方が歳上ということもあって目を瞑ってきた。だが目当ての情報が得られないと分かればその必要はない。見切りをつけた俺は、今度はこちらから攻める意思を表して一歩前に出る。
「言いたいことはそれだけか?」
木戸と俺では体格に大きな差があった。傍には高井くんもいる。二対一ではどうにもできないのは理解できたのか顔を醜く歪ませ、バタついた足取りで駐車場の方へと走り、捨てゼリフを吐きざまオンボロ車で去っていった。
「三面記事を真に受ける方が悪いんだよ、マヌケ野郎」
ムカついた俺は自戒を込めて呟いた。
「あんなガセネタに飛びついたのは迂闊だった」
結局は掲載誌のレベル通りだったのだ。救いがあったとすれば、木戸が墓は本物と言い張らなかった点だ。もし俺の指摘こそ単なる思いこみだと反論されていたら、こちらの方が何も言えず残りの報酬を払わされるハメになっていただろう。木戸の我慢が悪かった、頭が足りていなかったのに助けられた部分はある。ただし例の噂が事実無根であるのを証明するための選択肢は一つ失われた。それなりに時間と労力を割いたサブプランは早々に失敗が確定してしまったのである。
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