十一 焦燥 ②
四日後、僕は厩舎でエフタリテスがリンゴを食べるのを眺めながら、なぜあんなミスをしたのか考えていた。本来は周囲との距離だけを見るのではなく、自分の体内時計とも照らし合わせて状況判断をすべきだったのに、あそこで油断してしまった。
原因は集中力の欠如に他ならない。その根本には疲労の蓄積がある。このところは仕事以外でも方々を駆けずりまわっていた。先週、福守さんに会ったのも騎乗が終るや否や新幹線に乗って東京駅へ直行というスケジュールであり、それ以前にも似たような強行軍が何度かあった。昼間の休息は皆無に近い。首筋と肩が異様に凝り、慢性的な頭痛にも悩まされ、気を抜くと立ちくらみする状態が続いている。睡眠ですら、ここ数日は浅くなっていた。
もし苦境を打破できる兆しが見えていれば、徒労感だけでも幾らかはましになっていただろう。だが現状はそうではない。未だその糸口さえ掴めないでいる。騎乗や調教等の仕事に支障が出ないように努めていても、無理がきていた。先生からのお叱りにも言い訳のしようがない。精神面の後押しを受けたのに、僕の方でそれを裏切ってしまった。こうなっては、例の噂を払拭するための行動をセーブするという選択肢も視野に入ってくる。仮に〈文田事件〉の真相を突き止めたとしても、騎手としての信用を失ってしまっては何のために四方八方を奔走していたか分からなくなる。
目の前のエフタリテスはまた身体が大きくなっていた。放牧から帰ってきたばかりで腹回りに余裕があるが、単に太っているのとは違う気がする。身体の外側をうっすら包んでいる脂肪の内に潜む筋肉が質、量ともに向上していく前段階にあるような予感がしていた。菊花賞に向けての期待値は確実に高まっている。再登板が適わないまま当日を迎えたとしたら、僕はますます悔しさで堪らなくなってしまうだろう。
そんなことを考えていると、ズボンにしまっていたスマホが震えた。手に取ると、モニターには児玉先生の名前が表示されている。電話に出た途端、事務的な声が聞こえた。
「高井です」
「話がある。こっちまで来てくれ」
察するに芳しい内容ではない。胸騒ぎがした僕が急ぎ足で部屋へ向かい扉を開けると、奥に児玉先生が座っていた。どことなく感情を押し殺しているような顔だ。
「では、失礼します」
僕が対面に座るなり、気が進まない様子で口を開く。
「突然で悪いが、ソガビットから降りてもらうことになった」
受け入れられなかった。あの馬は十日前に僕の騎乗で四勝目を挙げたばかりだ。それも展開を利した面はあれど単勝倍率が高めの三番人気であり、前走で二番人気の五着と期待外れに終わったのを巻き返しての白星である。
「失礼を承知でお訊きしますが、理由は何ですか?」
先生は淡々とした口調でいるのに、僕は徐々に縋るように質問を続けていた。ソガビットは制御が難しい馬だ。他の騎手も意思の疎通に苦労していたらしく、成績の面でも長らく一勝クラスを彷徨っていた。新しいパートナーと一から関係を築くにしても、よほどの相性がなければ相応の時間がかかる。
「クラブの判断だ」
「そういうお話があったのですか」
「ああ。代表の横畑さんから」
「なんと仰っていました?」
「高井が八百長をしているという噂は聞いていたが、一昨日の最終レースの騎乗にどうも不審な点が見られるので決定した、という答えだった」
僕からすればまったくもって無理筋のこじつけだ。本来ああしたミスは避けるべきものだが、誰にでもあり得る。どの騎手も、キャリアのどこかであの類の誤判断はしているはずだ。そうした不確定要素も含めてのギャンブルではないのか。
ただプロとしては開き直りなど論外ではあるし、かねてから疑惑を抱いていた人間にしてみれば逆の見方ができるのも事実だ。僕が負けたのは一番人気。直前のレースでも有利な展開で勝利を逃した形になっている。あれを意図的なのか否かのグレーゾーンを利用したものと捉えられても文句は言えない。
「私は高井が八百長をしたなどとはまったく考えていない。でも強くは否定できなくて、同意せざるを得なかった」
僕は先生が「強くは」と口にしたのを聞き逃さなかった。これ以上の要求をしてはいけない。出来るのは頭を下げることのみだ。
「またもご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
これに対する先生の具体的な答えはない。だが謝罪を拒絶するといった雰囲気とも違っている。どちらかと言えば、ソガビットについては一区切りしたような空気を醸しだしていた。
「次に誰を乗せるかは私が決める。今日は後のことはいいから、ゆっくり休みなさい」
「ありがとうございます」
僕は最後にもういちど頭を下げ、部屋を後にする。
この件はこちらとしても踏ん切りがついた。オーナーサイドの決定は覆らない。デビューから一貫してコンビを組んでいるならともかく、ソガビットは何度かの乗り替わりを経て僕のところに来た。愛着はあっても、徹底的に粘って抗弁する気にはならなかった。
しかし、このままではかなりの確率でまた同じような事が起こる。今の時点ですでに疑いの目を向けられているのである。他の要因で不満足な結果に終わった場合でも、八百長と判断されて降板となる恐れがあった。今回こそ規模の小さなクラブが相手で厩舎の損害も比較的小さく抑えられたが、もっと多くの馬を所有しているオーナーの委託も受けている。例の噂は想像以上の早さで広まっており、競馬関係者全員の耳に入るのも時間の問題といってよい。そうなれば当然、僕を乗せようというオーナーは誰もいなくなり、さらなる迷惑が厩舎にかかる。先生も今のところは僕を処分するつもりがなくても、時間が経てばどうなるか分からない。厩舎経営者の立場上、八百長疑惑のある騎手を置いているなどと囁かれれば、どこかの時点で除籍の判断を下す必要に迫られるのは確実だった。
新しい所属先を探そうにも、いわくつきの人間を引き取ろうという調教師はまずいない。菅沼や三畑が噂を把握している以上、情報は少なくとも関東の厩舎には知れ渡っている。たとえフリーになってエージェントを通じ仕事を探すにしても同じだ。そもそも八百長疑惑のある騎手などオーナーが真っ先に起用を拒否するだろう。中央を辞めて地方へ移ったとしても、運営が違うだけで人馬ともに交流は盛んに行われている。本当に風評被害から逃れるなら海外移籍しかない。個人で何とか足掻こうとしても、どうしようもない形で外堀が埋まっていく。まるで真綿で首を絞められているような感覚だ。
仕事が終わっても鬱々とした気分の抜けない僕は、自分自身のことから目を逸らすべく寮へ戻るなりウェブ上にアップロードされている昔のレース映像を視聴してみた。選んだのは五つ、いずれも祖父が勝ったクラシック競走である。カメラが引きのうえ画像が粗いせいで顔つきは分からなかったが、たしかに乾さんが言っていたとおりフォームが周囲とは明確に違う。激しく揺れる馬上で長めの手足をサスペンションのように使い、見事に胴を低く倒した姿勢を保っている。技術が洗練された現在の騎手と一緒に走っても違和感ないほど綺麗な乗り方だ。当時、このレベルまで到達できたのは血の滲む努力を続けていたために違いない。
僕は会ったことのない祖父にだんだんと尊敬の念を抱きはじめるとともに、ここまで競馬に真摯に向きあっていたからには八百長をはたらくはずがないと強く信じるようになっていた。だとすれば、祖父は冤罪で社会を追われたことになる。そして僕もまた似たような形で競馬界を去らなければならないのか。
それは嫌だ。もう僕には競馬しか残っていないんだ。
突如として怒りが湧きあがり、感情を抑えきれえずに手元の枕、クッション、目覚まし時計を床に投げすて、本棚を倒して中身をぶちまけ、拳を固く握り力いっぱいに壁を殴りつけた。少し経って我に返ると、わずか一分足らずの間にひどく部屋が荒れていた。自分の中にこんなに激しい暴力性があったのかと驚いたほどだ。
次いで闘志に再び火がついた。あんな根も葉もない噂でこんな目に遭わされるのは絶対におかしい。文田猛志が祖父であるのは事実でも、僕自身は完全に潔白なのだ。追われるのはむしろ、嘘を撒きちらした側でなければならない。
少なくともまだ風評を払拭する努力はすべきだ。手を止めるなどもってのほか。レースに支障が出ないよう、いっそう集中するまで。まったくの精神論と笑われようが、道はこれしかない。出来なければ僕は騎手を続けられなくなる。最終的に辞めるにしても、いま頑張れなければ一生後悔する。
僕はスマホの待ち受け表示で日付を確かめてみた。今日は八月二日。タイムリミットまであと三十四日。
****
雪が窓に激しく打ちつけられ、ガラスにへばりつく。また吹雪だ。外に広がるのは一面の白、雪原。春までこの風景が続くのにも慣れた。
ここは北海道。素性を隠して生活するには都合がいい土地だ。他人との接触も、この仕事であれば最低限度で済まされる。暇があればこのように小屋でひとり空気の流れに揺らぐストーブの炎を眺めて、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていればいいのだから。
もっとも、それも一度中断となるらしい。背後で戸が開く音がする。振り返れば先輩が立っていた。
「武田さん、悪いが南の牛舎を見てきてくれないか」
「はい。すぐに行きます」
私はもう、文田猛志ではない。武田文夫だ。親から貰った名前を一部残して、まったくの別人に扮している。
「頼んだよ」
戸が閉められたあとで、私は重い腰を上げた。
体力的に厳しいが、四の五の言ってはいられない。よそで本名を名乗ったところ揃って採用を断られ、最後に流れついたのがこの牧場なのだ。社長夫妻には感謝している。正体を明かしてもさほど嫌な顔はせず、事実はどうであれ司法によって前科者となった私を拾ってくださった。周囲にはここに来るまで少し違った業種に就いていたことにしておくのにも同意いただき、おかげで同僚にも前歴を覚られずに済んでいる。幸い仕事のコツを掴むのも早いうちに成功し、職場でもある程度の信頼を獲得できている。
厚手のジャンパーにこれまた分厚い手袋、耳当てと防寒具を身に着けて外に出ると心臓が震えた。特に最近は寒さが堪える。身体の芯にまで沁みいってくるようだ。
裁判で懲役一年の判決が下された私には同時に二年の執行猶予が与えられ、その間に罪は犯さなかったため刑には服していない。
しかしあの事件で私は全てを失った。家族も信頼も、生きる糧をも一度すべて手放した。有罪が確定するや親類には縁を切られ、妻とも離婚する羽目になった。競馬界で積み重ねた実績は水泡に帰したのみならず、逆に負の遺産となってしまった。
有村先生にかけていただいたご恩に報いることもできなかった。あんなとんでもない騎手を雇っていた、見抜けなかったナマクラなどと非難の声を浴びせられ、私の騎乗馬で挙げた勝利も、稽古や指示がよかったからではなく八百長の賜物なのではないかと疑われたという。これも取り調べで拷問に屈し、自供してしまったせいだ。励ましてくださった先生を裏切った挙げ句、顔に泥を塗る結果となってしまった。
釈放後も、先生にはお会いできなかった。時間的な余裕はあり、何度も頭を下げようとしたが恥ずかしさで足が動かず、そうこうしているうちに先生は亡くなってしまった。一年ほど前、新聞紙面に小さく掲載されていた「名伯楽、逝く」の見出しが忘れられない。あれを目にしたときは全身に衝撃が走った。しばらく枯れていた感情も望ましくない形で蘇った。結局、私は先生にかけられた汚名も雪げなかったのである。
私は長らく悔恨の日々を過ごしている。自責の念が確実に心身を蝕み、衰えを加速させていた。それは容姿にもはっきりと表れており、いつしか鏡を見ないようになった。あの事件から今に至るまでの月日以上に年齢を重ねている気がした。
ただ、それも長くは続かないであろうと予感している。ここのところ体調が悪い。病院には行っていない。職場の皆への相談もしていない。病気であっても治療はせず、むしろ自然の成り行きに任せて生涯を終えたいとさえ思っている。もしその願いが叶うのであれば、どれだけ楽なことだろう。いま苛まれている苦痛から解放されるのであれば、どんな形であっても幸せに受けとめられるはずだ。
そう胸の中で呟いた私の身体が、途端に重くなる。まるで四肢が鉛になったようだ。続いて先ほど震えた心臓の動きが鈍くなり、一気に鼓動の回数が減っていく。
ついにそのときが来たのか。全身から力が抜け、私は雪の中に膝をつき、頽れる。先生に、妻に、親兄弟に犯した罪への罰ならこれでいい。倒れた私の上にとめどもなく雪が降りそそいでいった。
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