五 後輩 ①
大賀さんとああいう風に話をしてみて本当によかった。人柄も大柄な身体と押しの強い顔に反してフランクだった。何より一時はそのまま記事を書かれてしまうのではないかと心配になり、提案も最初は迂遠なやり方だと思ったが、実に頼りになることが早くも分かった。あの予測が見事に当たっていたのだ。
僕が記憶していた場所に行くと『引退騎手名簿』が埃にまみれて置かれていたのが見つかり、中をめくってみたところ電話番号と現役時代の所属厩舎が記されていたのである。その後さっそく禁帯出などの注意書きがないのを確認し、寮に持ちかえって文田猛志、及び彼が饗応したとされる真木豊吉がおのおの籍を置いていた厩舎の同僚へ次々と電話をかけた。
結果、一人と連絡がついた。有村厩舎所属の元騎手、乾哲太。現役時代はクラシック制覇こそならなかったものの、安田記念にマイルチャンピオンシップ、スプリンターズステークスと現在GⅠに格付けされている短距離レースを一度ずつ制し、引退後は調教師となり五年前まで美浦のトレセンに厩舎を構えていた人物だ。その乾さんの自宅を目指し、僕はこうして大賀さんと茨城県阿見町の住宅街を歩いている。
しかしあまり喜んでもいられなかった。
「高井くん、このあいだ聞いた以外で連絡が取れた人はいるかい?」
「いいえ。前にお伝えしたとおり今からお会いする乾さんと、来週トレセンまで来てくださる小久保重房さんだけです。大半は名簿にあった電話は使われてなくて、繋がってもお話ができる状態ではなかったり、亡くなった方もいて」
そう、他はまったく本人とのコンタクトがとれなかったのである。そこで僕は急いで調査対象の拡大を検討し、八百長とされているあのレースに乗っていた人物に当たってはどうかと思いつき、着順表を眺めてあるポイントに目をつけ連絡を入れたのが小久保さんだった。ただ、それを含めてもたったの二人。事件後処分を受けた文田、真木の両名は抹消扱いのため名簿への記載自体がなく、後者に関しては厩舎内で最年少だったこともあってか、その同僚に架電を試みるも悉く応答なしに終わっている。心許なく思っているのが顔に出ていたのか、大賀さんからちょっとした慰めの言葉があった。
「しょうがないよ。騎手を引退して何十年も経ってるんだ。引っ越しもしてるだろう。この足で俺も一緒にそっちへ行くから、念のため俺の方でも確かめさせてもらうよ。あと乾さんはどんな感じだった?」
「声を聞いたかぎりでは優しそうでした。事情を説明してもこちらを怪しむような雰囲気はありませんでしたし、大賀さんが同席するのにも快諾してくださいました」
「手ごたえは上々ってとこか。少なくとも悪くはないよな」
それに今しがた指摘されたようにポジティブな要素もあり、不安一辺倒というわけでもなかった。僕が置かれている状況はかなり特異だ。いきなりあんな話をされれば嘘か狂言かを疑うのが普通。なのに連絡を入れて十日少々で都合をつけて下さったのには、何か理由があるのではないかと期待せざるを得ない。
そうやって色々と話をしているうちに目的地に着いた。立派な洋風の一戸建てだ。僕が先頭に立ってインターホンを鳴らすと、スピーカー越しに電話で耳にした声で「どうぞ」と聞こえ、玄関の前まで進んだあたりでドアが開いた。
姿を現したのは小柄な年配の男性だった。背筋がしゃんと伸びており、顔の皺も比較的少ない。ふさふさとした黒い髪もあってか、七十四歳という年齢のわりに若く見える。
「はじめまして。私が乾、乾哲太です」
「先日はお電話で失礼いたしました。私が高井、こちらが大賀です」
僕の挨拶に続いて、大賀さんもお辞儀をして名刺を差しだす。
「〈スポーツ東都〉の大賀慶介と申します。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。ではお上がりください」
乾さんはやはり穏やかな雰囲気で物腰も柔らかい。大賀さんもまた好印象をもったようで、僕に目くばせをしてくる。二人してスリッパに履きかえ、リビングまで進むと同じくらいの歳の奥さまのご挨拶があった。
「ようこそいらっしゃいました」
そのあとで僕たちは椅子に座る。乾さんは向かい側に腰を下ろして奥さまに席を外すよう小さな声で伝え、三人きりになるのを待って口を開いた。
「いやあ、文田さんのお孫さんから電話がかかってきて驚きましたよ。しかも最近、なかなかの騎乗をしている注目株の一人だったわけですからね」
「えっ、僕……私の騎乗を見てくださっていたんですか」
「もちろん。とはいっても競馬の世界はあなたと入れ違いですし、毎週、競馬場に行けるわけではありませんので主に画面越しにですが、他に予定がないときはいつもここで競馬中継を観ていますよ」
引退した騎手の多くは調教師や調教助手など競馬関連の仕事に就くため、そうした方とは僕もかなりの頻度で顔を合わせている。だがそれらも辞めた後となると、メディアの取材を受けたり予想屋の広告に出たりしているごく一握りの人間を除いて動向はほとんど分からない。中には競馬に全く関与しなくなる方もいるという。
乾さんはそのセカンドキャリアも退いて五年が経っている。にもかかわらず、まだまだ未熟な僕に関心を寄せてくれていると直に言われると嬉しい。今よりタイトル数が少ない時代に大レースを三つも勝った関東の先輩であればなおさらだ。気づいたときには、僕は頭を下げていた。
「光栄です」
「まあまあ、畏まらないで」
乾さんはそんな僕に顔を上げるよう手で促し、お茶を飲みながらまずはトレセンの近況について色々と訊いてくる。児玉先生のこともご存じのようで、僕が事細かに答えるとその度に小さく頷いていた。そしてひととおり質問を終えると、感慨深げに息を漏らす。
「それにしても嬉しいですよ。あの文田さんのお孫さんが同じ騎手をしているというだけで巡りあわせを感じます。そう言えば、顔もどことなく似ていますね」
当然ながら僕は祖父の顔など知らない。ネット上で事件を紹介しているページは幾つかあっても、本来肝心かなめであるはずの当事者の顔写真はどこにも掲載されていなかった。
「本当ですか」
「嘘じゃありませんよ。髪は文田さんの方がずっと短かったし、顔の輪郭なんかは今どきの若い子らしいけど、目から鼻筋にかけてはよく似ています。あと手足が長いところなんかも。たぶん身長も同じくらいじゃなかったでしょうか。なんか変ですねえ、こうしてると妙に懐かしい気持ちになりますよ」
僕は複雑な心境だった。乾さんがにこにこと笑顔を浮かべ、同じ厩舎にいた先輩の孫として親しみを覚えてくれているのはありがたい反面、文田猛志は世間的には八百長をはたらいた犯罪者として認識されている。その人物との縁に加え、容姿の共通点まで指摘されると素直に喜べない。そんな胸の内を推し測ったのか、乾さんは少し顔を引きしめて声のトーンを落とす。
「まあ、そう言われてもあなたは困りますよね。何しろお祖父さんがあの事件の当事者ということになってるんですから」
僕は余計に気を遣わせてしまったのを申し訳なく思いつつ、次のように乾さんが続けると自然と上半身を前のめりに乗りだしていた。
「でも安心してください。他の人はともかく、私は文田さんを疑っていません。確証はないわけですけれども」
少なくとも目の前に一人、その手がかりを述べようとしている証人がいる。いちいち言葉尻を捉えてナーバスになっている場合ではない。
「その件について、詳しくお聞かせください」
僕が首を縦に振り、じっと真正面から目を見つめると乾さんは口を開いた。
初めに断っておきますと、あまり期待はしないでください。私が有村先生のところに入門したのは一九六七年の春で一緒の厩舎にいたのは三年と少し、しかもあの頃は騎手課程を終えたあと一年間は下積みの時期があって実質二年強しかなかったんですから。一般的にはそれくらいの期間があれば十分と言われるでしょうけど、もうそのときには文田さんはクラシックを勝っていた厩舎のエースだったんです。
いや、そんなレベルではありません。ご存じかどうか分かりませんのでお話ししますと、昔は今日のような東西で美浦、栗東の各一か所に馬を集約して調教する体制ではありませんでした。中央四場の競馬場に厩舎があったんですが、現在もなお手狭な中山は場所が確保できず、今は白井の馬事公苑になっているところに調教場の分場があって、文田さんはその中でなら間違いなく一番の腕前だったんです。中堅以下の騎手にとっては雲の上の存在でしたね。
なので新人が話をする機会は限られていました。そのうえ文田さんは同僚や同業者から何を考えてるか分からないと言われるくらい、口数も少なかったんです。私などはしばらくひたすらああなりたい、少しでも早く追いつきたいと遠目からそこかしこを真似るだけでした。
しかし、そうした関係が変わるきっかけになった出来事がありました。
騎手デビューして一年が経とうとしていたある日、私はレースで頭が真っ白になってしまったんです。連勝中で安定した差し脚が武器の圧倒的一番人気に乗ってスタートは完璧、あまり行きすぎないよう中団あたりにつけて最終コーナーを迎えたあたりまでは良かったんですが、直線に入っても思うように伸びない。焦って手綱をしごいても先頭には追いつけず、むしろ差は広がるばかりで結果は四着。ゴール板を通過した直後から外れ馬券が宙に舞って、ひどい罵声が飛んできました。
「乾、このヘタクソ!」
「てめえなんか騎手やめちまえ!」
「ぶっ殺すぞ!」
まあこういう反応や風景は今も同じでしょう。ただ、当時の競馬は今みたいに陽の当たる明るいスポーツじゃありません。日陰のギャンブルとしての側面が強かったので、殺気が違いました。おまけにレースはその日の最終競走です。多くのお客さんは当たり前のようにメインでの負けを取りかえそうとしていて、馬券でご飯を食べている人などは血眼でした。そのせいか罵詈雑言が一段とひどく、ここまで抜けた一番人気を飛ばしたのはキャリアが浅い私にとって初めてだったこともあって本当に怖い思いをしました。しばらく震えが止まらなかったほどです。
理由は分かっていました。本来はここまでいい馬に乗せてもらえる腕じゃなかったのに、本来手綱を取るはずだった先輩騎手が他の馬とブッキングして急遽代打が回ってきたんです。早い話が前走、前々走と勝てていたのは先輩の腕が良かったからで、私は馬を手の内に入れられていなかったんですね。とはいえ、そんなのは言い訳になりません。お客さんはこちらの事情になんか気を回してくれません。その義務もありません。ましてや一番人気です。当然のように一着を期待しています。
ですので馬場を引きあげ、内心命からがらで検量室へ入ったあともなかなか平常心に戻りません。皆いつもどおり動いているのに、茫然とするあまり辺りに響く蹄の音なんかがものすごく遠くで鳴っているように聞こえていました。その状態が多少、ましになったのは私が下馬して馬から鞍が外された後でした。
「乾、早く検量室へ」
有村先生は優しい人でした。怒るのは調教で手を抜いた場合だけで──そういうプロにあるまじき怠慢をはたらいた際には決まって体罰が課されましたが──たとえ本番で着順が奮わなくても、真面目に仕事をしていれば叱責を飛ばすようなことはしませんでした。このときもそうです。かけられた短い言葉に私を慮る暖かさがありました。
少しだけ気分の落ち着いた私は、どうにか検量を受けました。他の騎手と一緒に順番で重量計に足を載せ、裁定委員から重量違反なしと告げられる段になると、ようやく周りの状況を認識できるようになってきました。
ただし、代わりとばかりに次には悔しさがこみ上げてきます。せっかくのチャンスを逃してしまったと。もしこのレースでいい騎乗ができていたら馬主さんへのアピールになりましたし、仮に鞍上が元に戻るとしても別の馬を任される機会は増えたはずです。他の馬主さんも目をつけてくれるかも知れません。有力馬に乗せてくれた有村先生の期待にも応えられず、逆に厩舎の信用を損なう形になってしまったことに対しても申し訳ない気持ちが強くなっていきました。
すると情けなさと不甲斐なさで一杯になり、一人になった途端に涙が溢れてきてしまいました。私はその顔を人に見られたくなくて更衣室にも戻れなかったんです。どうせさっきのが最終レースだったから急ぐ必要もないと思い、最初はトイレで、少しして人の気配がなくなったのを見計らい再び廊下へ出て柱の陰に隠れて泣いていました。
そこでふと声がしたんです。
「乾」
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