3か月後 ― ラウルとの出会い(ニコ)
翌日、ニコが昨日と同じ丘へ向かうと、メリルはすでに来ていた。
ただ、今日は1人ではない。少し離れた木のそばに、見知らぬ男が立っている。
30代くらいだろうか。背が高く、髪はメリルより少し赤みの強い茶色で、肩にかかるほど長い。防具らしい防具は身につけていないが、丈夫そうな上着も靴も使い込まれていた。腰には短剣を下げている。
ニコは近づきながら、なんとなく男の足元へ目をやった。
メリルと話しているようで、周囲にも自然と目が向いている。重心の置き方も、足場の悪い場所を歩き慣れた者のそれだった。かなり経験を積んでいる冒険者なのではあるまいか。
こちらに気づいたメリルが手を振る。ニコも応じながら近づくと、メリルは隣の男を紹介した。
「こちら、兄のラウルです。いつも私がお世話になってるお礼が言いたいって、ついてきちゃって」
ラウルは気さくな笑みを浮かべて軽く会釈した。
「ラウルです。いきなりすまない。いつもコイツが世話になってるみたいで」
「いえ、そんな。僕は別に……」
メリルから、兄も冒険者だとは聞いていた。ただし聞かされていたのは、帰ってくるなり食べるものを探すとか、昔メリルの菓子を勝手に食べたとか、そんな話ばかりだった。
目の前にいる人物とは、どうにも結びつかない。
「菓子に変な草入れるのも止めてくれたんだろ?」
「変な草じゃないよ。薬になる草」
「菓子に入れたら変な草だろ」
言い返すメリルを見てラウルが笑う。その様子だけなら、確かに聞いていた通りの兄なのかもしれない。
メリルの目が手に提げていた布袋へ向いた。
「昨日言ってたの、それ?」
「あ、そうそう。家にあった材料をいくつか足してきました。昨日のより匂いが長く残ると思います」
差し出した袋をメリルが受け取った途端、少し顔を背けた。
「もう匂う気がする」
その横から、ラウルも袋を覗き込む。昨日の話を聞いていたらしく、見せてほしいと言われてニコは頷いた。
ラウルは袋を受け取ると、まず外から軽く揉み、それから紐を緩めた。
昨日と同じ草と樹皮に、乾燥させた葉と、小さく砕いた実が加わっている。実を1つ摘み上げたラウルが、鼻へ近づけた。
「これもイッカクイノシシ避け?」
「はい。少し炙ってから割ってあります。その方が匂いが強くなる気がして」
ラウルは実を指先で転がしながら確かめ、今度は乾燥した葉を取り出した。
「こっちは、なんか変な形してるな」
「太い葉脈を外してあります。残したまま潰すと別の青臭さが強くなるので」
説明を聞いていたラウルの手が止まった。
「それ、自分で試したの?」
「はい。本で読んだものやギルドの記録、ほかの冒険者から聞いた話を参考にしてます。イッカクイノシシが嫌うもの自体はいくつか知られているので、それを組み合わせて」
ラウルはもう一度袋の中へ目を落とした。思ったより長く見ているので、ニコは次第に不安になってくる。
「……何かダメでしたか?」
「いや。材料はおかしくない。ただ――」
袋を軽く揉んだ途端、立ち上った匂いにメリルが一歩離れた。
ラウルもわずかに顔をしかめる。
「これ、ちょっと濃すぎないか?」
「濃すぎる?」
「俺も仕事で何度か使ったけど、もっと薄かった。それでもイッカクイノシシは寄ってこなかったぞ」
思いもしなかった指摘だった。
ニコはラウルの手にある袋を見つめ、それからすぐに顔を上げた。
「どのくらい薄かったですか?」
「どのくらいって……そうだな。単純に比べられるか分からないけど、半分くらいでも十分だったと思う」
「半分……。それでも近づかなかったんですか? 風下でも?」
「風下?」
「使ったのは森ですか? 平地ですか? イッカクイノシシとの距離はどのくらいでした? 季節は――」
一気に口から出たところで、ニコは我に返った。
初対面の相手に、また質問を重ねてしまった。
「……すみません」
だが、ラウルは顔をしかめなかった。
少し離れた木を眺めながら記憶を探り、距離はあの木からここまでくらい、場所は森、季節は秋の終わりだったはずだと、思い出せる範囲で答えていく。
風までは覚えていないと言われても、ニコには十分だった。
すぐに鞄から帳面を取り出し、聞いたことを書き留める。場所、季節、距離。その横に、濃度は今作ったものの半分程度でも効果があったらしい、と付け加えた。
その手元を見ていたラウルが、少しおかしそうに笑った。
「忘れないように?」
「はい。条件が違うので、そのまま同じ結果になるとは限らないですけど」
書きながら考えているうちに、別のことにも気づいた。
半分で足りるのなら、今までより材料を節約できる。人間にとっても不快感が少なくなるし、同じ量を持ち歩くなら長く使える。
「長持ちさせることばかり考えてました。匂いは仕方ないと思ってて……」
「自分でこれ使ったことないの?」
ニコは鉛筆を止めた。
「ありますよ」
「じゃあ、なんで必要な濃さが分からないんだ?」
「効かなかったら困るので、少なくして試したことはないです」
今度はラウルが黙った。
ニコとしては当然のことだった。魔物避けが必要な場所で、効果があるか分からない薄さを試すわけにはいかない。
しばらくして、ラウルが納得したように頷いた。
「……なるほど。そりゃ濃くなるわ」
その口元には笑いが浮かんでいたが、馬鹿にされている感じはしなかった。
むしろラウルは、もう一度袋の中へ手を入れ、炙った実を取り出した。
「でも、これを炙るのは知らなかった。葉脈を外すってのも。面白いやり方だな」
「本当ですか?」
「ああ。俺は普通に乾かして潰してただけだから」
今度はニコの方がラウルの言葉に食いついた。
処理を変えたものを同じ量で用意して比べれば、どの工程がどの程度影響しているか分かるかもしれない。帳面へ書き足しながらそう口にすると、ラウルがまた笑った。
「まだやるのか?」
「気になるので」
考えるより先に答えていた。
横で聞いていたメリルが笑い、ラウルもとうとう声を上げる。
「兄さん、何笑ってるの」
「いや。お前が面白がるの、ちょっと分かった」
「でしょ?」
なぜメリルが得意そうなのか分からないが。
ひとまず袋の中身は半分ほど取り分けることにした。もっとも、薄くしたからといって必ず同じように効くとは限らない。メリルには昨日と同じように、これを持っているからといって安全ではないことだけは念を押しておく。
すると今度はメリルの方から、奥へ行かないこと、1人で近づかないことを指折り並べ始めた。
ちゃんと覚えていたらしい。
ふとラウルが尋ねた。
「普段もこういう仕事してるの?」
「こういう仕事?」
「魔物の痕跡見つけたり、避け方考えたり」
「ああ……今は採取とか、調査の依頼が多いです」
「パーティーには入ってない?」
その問いに、ニコの手がわずかに止まった。
「あ……はい」
以前は探索を担当していた。
そう言いかけたが、結局口にはしなかった。
かなり経験を積んでいるらしいラウルを前に、自分もパーティーで探索を任されていたのだと言うのは、なぜか少し気が引けた。
結局、自分は仲間に必要ないと言われたのだから。
ラウルは一瞬だけニコを見たが、それ以上は何も聞かなかった。
メリルへ渡す袋の中身を調整し終えると、ニコは残りを自分の鞄へしまった。
場所も季節も違う。ラウルの経験がそのまま今回にも当てはまるとは限らない。それでも、実際に使ったことのある冒険者から聞けた話は貴重だった。
試してみたいことが、いくつもできた。
◇
ニコと別れたあと、メリルとラウルは並んで王都へ向かった。
しばらく歩いてから、ラウルは一度だけ後ろを振り返った。もうニコの姿は木々の向こうに隠れている。
「面白いヤツだな」
「でしょ?」
すぐに返ってきた言葉に、ラウルは笑った。
妹から何度も名前を聞いていたが、確かに会ってみると想像していた人物とは少し違った。
自分の知っていることを話すときでさえ、どこか自信がない。そのくせ、知らないことを見つけた途端、さっきまでの遠慮が嘘のように質問が増えた。
少々度が過ぎている気はする。
だが、自分のやり方が過剰だと言われても反発せず、使えそうな話ならその場で帳面に書き込む。その一方で、ラウルの知らない工夫もいくつか持っていた。
「……なあ、あいつってさ」
「何?」
なんで1人でいるんだろうな。
そう聞きかけて、ラウルはやめた。
パーティーのことを尋ねたときだけ、ニコの手が止まったのを思い出したからだ。
「いや、なんでもない」
「何それ」
会ったばかりの自分が詮索することでもない。
ラウルが前へ向き直ったところで、隣を歩くメリルが籠を身体から遠ざけた。
「ねえ、兄さん」
「ん?」
「これ、本当に半分になってる?」
言われてみれば、さっきから鼻につく匂いはほとんど弱くなっていない。
ラウルも顔をしかめた。
「……なってるけどな」
「性能良すぎない?」
「その半分でもいいのかもな」
「このままだと人も寄ってこなくなりそう」
それにはラウルも吹き出した。
確かに中身は半分になったはずなのに、ニコの魔物避けは王都へ着くまでしっかり匂い続けていた。




