2か月後 ― メリルとの出会い(ニコ)
《デルガント》を抜けてから、50日ほどが経っていた。
ニコは相変わらず、1人で仕事をしていた。
薬草の採取や街道沿いの植物の調査、小動物の痕跡調べ。冒険者ギルドには魔物を倒すもの以外にも、1人でこなせる依頼がいくらでもある。
報酬はパーティで受ける仕事より少ないが、暮らしていく分には困らなかった。
このままでもいいのかもしれない、と考えることもある。
薬草を採ることは嫌いではない。それも冒険者の仕事だ。
けれど、子供の頃に憧れた冒険者とは少し違う気もしていた。
これから自分が何をすればいいのかは、まだ分からなかった。
◇◇◇
その日ニコは、王都からそれほど離れていない森へ来ていた。
街道に近いこの辺りは人の出入りも多く、薪を拾う者や木の実を採る者の姿も珍しくない。
依頼された薬草を集め終え、そろそろ戻ろうと目をやると、少し先の斜面に若い女性がしゃがんでいるのが見えた。
足元の籠には、摘んだばかりらしい草がかなりの量入っている。
近くの住民だろうとそのまま通り過ぎかけたのだが、籠の中に見えたものが気になった。
数歩進んでから振り返ると、女性はまた同じ草を摘もうとしている。
「……あの、すみません」
意を決して声をかけると、女性が顔を上げた。
「その草は……何に使うんですか?」
「これ?」
新たに摘んだ草を持ち上げながら、少し怪訝な表情をする。
「え、クッキーに入れようと思って。前にお店で食べたのがおいしかったから、自分でも作ってみようかなって」
ニコは改めて、女性の手元と籠の中の草に目を凝らす。
「……多分、違うものだと思います。それ、かなり苦いので」
「え?」
身体を壊すものではないが、焼き菓子に使う香草によく似た別の種類だった。
「薬の材料にはなるんです。食べすぎて腹が重いときなんかに、乾かした葉を少しだけ煎じて飲みます」
「へえ。じゃあ身体にはいいんだ」
「はい。ただ、使うのはこれくらいです」
親指と人差し指で、ほんのわずかな量を示した。
女性はその指先を見てから、それらが山盛りに入った自分の籠を見た。
「……私、これ全部入れようとしてたんだけど」
ニコも籠を見る。
「……かなり苦いクッキーになるかと思います」
「危なかった……」
心の底から漏れたような声だった。
「お菓子に使う方なら、もう少し日当たりのいい場所に生えます。この斜面より、向こう側の方が見つけやすいですよ」
「本当? どれ?」
頼まれるまま案内すると、目当ての香草はすぐに見つかった。
2種類を並べて葉や茎の違いを見せ、それぞれ軽く揉んで渡してみる。
正しい方の香りを嗅いだ女性の顔が明るくなった。次に間違えていた方を嗅ぐと、ゆっくり顔をしかめる。
「なんで私、これをクッキーに入れようと思ったんだろう」
「似てますから。知らなければ間違えると思います」
慰めるつもりで言ったのだが、女性は楽しそうに笑った。
「あなた優しいのね。教えてくれてありがとう」
「いえ。ちょっと量が多かったので気になって。余計なお世話でなくてよかったです」
女性はメリルと名乗った。
ニコも名前を告げると、腰の短剣や採取袋を見て冒険者だと気づいたらしい。
そこから、先ほどの香草の話になった。
クッキー以外にも使えるのかと聞かれ、お茶や料理にも使えると答える。乾燥させるなら日向を避けた方が香りが残りやすく、料理なら育ちすぎていない葉の方が扱いやすい。
そこまで説明したところで、ニコは我に返った。
「……すみません。また聞かれてないことまで」
「え、聞きたいんだけど」
思いがけない返事に、メリルを見る。
「だって私、何も知らないもの。乾かす方法って分かる?」
本当に続きを待っている。
それなら、とニコはまた話し始めた。
◇
それきりになるかと思ったが、数日後、同じ森でメリルと再会した。
今度は向こうが先にニコを見つけ、丘の上から手を振ってきた。
先日の香草で作ったクッキーは、家族にも好評だったという。その報告だけかと思えば、今度は別の葉を取り出して、お茶に使えるかと尋ねられた。
それからも、ときどき森で顔を合わせた。
メリルは王都の外れにある実家で暮らし、洋裁店から預かった縫い物を家で仕上げる仕事をしていた。父親は大工、母親は王都の飲食店で働いており、日中に家にいることの多いメリルが家事を引き受けている。そのため料理に使える香草にも興味を持ったらしい。
森には子供の頃から兄と遊びに来ていたので土地には詳しい。そのくせ植物については驚くほど大雑把で、似た葉を見つけてはニコに見せた。
違いを説明すれば、なぜ違うのかと尋ねる。そこから生える場所や季節の話になり、薬草なら使い方にまで話が広がった。
初めのうち、ニコはなるべく簡潔に答えようとしていた。
話しすぎないように。余計なことまで言わないように。
けれど途中で切り上げれば、メリルの方から続きを尋ねてくる。分からなければ聞き直し、面白ければ別のことまで知りたがった。
少しずつ、ニコも言葉を選びすぎなくなっていった。
◇◇◇
「何だそれ?」
ある日の夕方、実家へ戻っていたメリルの兄、ラウルが尋ねた。
メリルが夕食の鍋へ何かを加えたところだった。
「香草。この前ニコさんに教えてもらったの。煮込むより最後に入れた方が香りが残るんだって」
またその名前か、とラウルは思った。
最初に聞いたのは、妹のメリルがクッキーにとんでもなく苦い草を入れようとしていた話だった。そりゃ薬の材料だろ、というと、知ってるのかと驚かれた。妹の無知さと大雑把さに呆れ、教えてくれた相手に感謝すれども、数日たてばほとんど忘れるくらいだった。
ところが、それから実家へ戻るたびに、ニコという名前を聞くようになった。
お茶の葉を教えてもらった。料理に使える香草を教えてもらった。森で会って話した。
どうやら同じ男らしい。
ラウルは手にしていた皿を卓へ置いた。
「なあ。そのニコって奴、大丈夫なのか?」
メリルが振り返り、すぐに吹き出した。
「やだお兄ちゃん、心配してるの?」
「するだろ。帰ってくるたびに、知らねえ男の名前が妹の口から出てくるんだから」
「大丈夫だって。会ったら多分びっくりするよ、想像と全然違うから。なんていうか……守ってあげたくなっちゃう感じ」
「男なんだよな?」
「うん、背も私より高いよ。でも、たぶん私の方が強そう」
冒険者だと聞いていたはずなのだが。
ラウルが眉を寄せると、メリルはますます笑った。
「普通にしてると静かな人なんだけどね。薬草とか森の話になると、急にすごく楽しそうになるの。いっぱい喋ったあとで我に返って、『すみません、長くなりました』って謝るし」
少なくとも、嫌な相手と無理に付き合っているようには見えない。
森で薬草に詳しい妙な冒険者と知り合い、妹がそれを面白がっている。
今のところは、それだけの話らしい。
ほどなく父親が帰宅し、遅れて母親も仕事から戻った。4人揃った食卓では別の話が始まり、ラウルもニコという名前をひとまず頭の隅へ追いやった。
◇
何日か経った頃、ニコは森の開けた丘でメリルに呼び止められた。
以前教えられた葉を乾燥させたので、出来を見てほしいという。
色も悪くなく、しっかり乾いている。問題ないと伝えると、メリルは満足そうに頷いた。
保存するときには細かくしすぎない方が香りが残ること、湿気を避けた方がいいことを話しているうちに、摘む時期による違いの話になった。
「じゃあ今度、違う時期も探してみる」
「この辺なら、丘をもう少し東へ行ったところにありますよ」
「分からなかったらまた聞いていい? 教えてくれる?」
あっさり言われ、ニコは少し言葉に詰まった。
「……もちろん」
「よかった。じゃあ、またね」
「はい。また」
メリルは籠を持って丘を下りていった。
ニコも反対方向へ歩き出したが、しばらくして足を止めた。
あれ、と首を傾げる。
採取した薬草も、道具も持っている。
少し考えて、ようやく気づいた。
メリルと話す機会が増えてから、自分は「話が長くなってすみません」と言っていない。
いつから言わなくなったのかも、よく覚えていなかった。
ニコは振り返った。
丘の向こうに、メリルの姿はもう見えない。
「……まあ、いいか」
なぜか少しだけおかしくなって、ニコはまた王都へ向かって歩き出した。




