20日後 ― ひとり(ニコ)
王都から歩いて半日もかからない森の中で、ニコはひとりでしゃがみ込んでいた。
木の根元に生えた草を指先で分け、葉の裏を確かめる。隣にはよく似た草が生えているが、葉の縁の切れ込みと、茎の根元に残るわずかな赤みが違う。
「よかった。まだあった」
小さなナイフを取り出し、必要な葉と茎だけを切り取る。残った株を傷つけないよう土を戻してから、採った薬草を布に包んだ。
《デルガント》を抜けてから、20日ほどが経っていた。
今日は冒険者ギルドで受けた薬草採取の依頼だ。
この20日の間には、ほかにも街道沿いに生える植物の調査など、1人でこなせる仕事をいくつか受けた。危険な魔物が出る可能性のある依頼は避けている。
冒険者を辞めたわけではない。
だからといって、新しいパーティを探しているわけでもなかった。
少なくとも、今のところは。
ニコは少し離れた場所へ移り、次の株を探した。
◇◇◇
薬草は、子供の頃から好きだった。
森の近い村で育ち、大人たちが傷に葉を当てたり、熱を出したときに煎じたものを飲んだりする姿を見ていた。同じような草でも、片方は薬になり、もう片方は腹を壊す。生える場所や時期によって、使える部分まで変わる。
知れば知るほど面白かった。
ただ、面白いと思うと止まらなかった。
誰かが少しでも興味を示せば、聞かれてもいないことまで次々と話した。楽しくて話しているうちに、いつの間にか一緒に遊ぶ子は減っていった。仲良くなったと思った相手も、気づけば別の誰かと過ごすようになっている。
どうしてなのか分からないまま、1人でいることが増えた。そして1人でいる時間が増えるほど、ますます好きなことを調べたり、考えたりする自分の世界へ深く入り込んでいった。
ある日、夢中で薬草を探しているうちに森の奥へ入り込み、魔物に遭った。
鳥の声が消えていたことにも、獣の足跡が増えていたことにも気づかなかった。
低い唸り声に顔を上げたときには、木々の間に大きな魔物がいた。
怖くて足が動かなかった。
手にしていた籠を落とし、摘んだ薬草が地面に散ったことだけは今でも覚えている。
魔物が迫ったそのとき、横から飛んできた矢がその身体に突き刺さった。
数人の冒険者だった。
剣を持った男が前へ出て、別の者が弓を射る。
戦いは長く続かず、気づいたときには魔物が地面に倒れていた。
「おい、大丈夫か? ケガは?」
「……して、ないです」
「ならよかった」
怪我がないことを確かめると、彼らはニコを村まで送り届けてくれた。
散らばった薬草を見た1人に、熱心なのはいいがこんな奥まで来てはいけないと注意された。
それでも責められることはなく、帰る途中には今日の依頼や、腹が減った、戻ったら何を食べるといった話をしていた。
命を助けたことを、大したことだと思っていないようだった。
それがニコには、不思議なくらい格好よく見えた。
強い魔物を倒したいわけでも、有名になりたいわけでもない。いつか自分も、あんなふうに誰かを助けられる人間になりたい。
その日から、冒険者になることが夢になった。
同時に、自分がなぜ危険な目に遭ったのかも知りたくなった。
まず地図を見た。村から森へ続く道や川と、覚えている景色を照らし合わせ、自分が思っていた以上に奥まで入り込んでいたことを知った。
次に、薬草を見つけた場所を地図へ記すようになった。
最初は印をつけるだけだったものが、種類ごとに分かれ、やがて自分なりの薬草分布図になった。すると、川沿いに多いもの、日陰を好むもの、岩の多い場所にしか生えないものがあることに気づいた。
なぜ違うのかを知りたくなり、水の流れや地面、岩や土、日の当たり方まで見るようになった。
自分を襲った魔物についても調べた。
どこに棲み、何を食べ、いつ気性が荒くなるのか。それを知ると、ほかの魔物についても知りたくなった。何を嫌い、どんな痕跡を残すのか。
薬草を探していただけだったはずなのに、いつしかニコは森そのものを見るようになっていた。
一方で、冒険者になるための訓練は思うようにはいかなかった。
剣を習ってもなかなか上達せず、身体を鍛えても同じ年頃の男たちより細い。
いきなり魔法が使えるようになることもなかった。
それでも20歳になると、ニコは故郷を出て王都へ向かった。家族は半ば呆れつつも温かく見送ってくれた。
冒険者ギルドへの登録はできたが、問題はその先にあった。
「前衛……は無理だな。こっちは魔術師。弓も使えないし……」
毎日ギルドに足を運び、掲示板に並ぶ募集を端から見ても、自分に当てはまりそうなものがない。
経験者募集。剣士募集。攻撃魔術が使える者。斥候経験者。
「……やっぱり難しいなあ」
「――お前、もしかして北部の出身か?」
突然後ろから声をかけられ、ニコは振り返った。
そこにいたのが、後に《デルガント》のリーダーになる30歳のジェラルドだった。
村の名前を答えると、ジェラルドは嬉しそうにニコの肩を叩いた。
「マジかよ。俺、その隣町の出身」
「えっ?」
「独り言の訛りが懐かしくてさ。つい話しかけちゃった」
自分では直していたつもりだったニコが口元を押さえると、ジェラルドが笑った。
「それで、お前って何ができるの?」
「ええと……薬草には詳しいです」
「薬草?」
思わず吹き出したジェラルドは、すぐに悪いと謝った。
「剣とか魔法とか言うのかと思ったら、いきなり薬草って言うからさ」
「剣は……あまり使えません。魔法もできないです」
「え? マジか」
それでもジェラルドは話を終わらせなかった。
「あの田舎から1人でここまで出てきたんだろ? まだ若いし、ここで習えば剣だって身につくかもしれないしさ。よかったら、俺と一緒にやらないか?」
「……僕がですか?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「でも、パーティのほかの皆さんに反対されたら……」
「あ、それは大丈夫」
ジェラルドはあっさり言った。
「俺、これから自分のパーティを立ち上げようとしてるんだ。だから、まだ俺しかいない」
そして笑った。
「どうする?」
嬉しかった。
募集の紙を見れば見るほど、自分には何もできないような気がしていた。
それでも冒険者になりたかった自分を、初めて仲間に入れてくれたのがジェラルドだった。
だから、役に立ちたかった。
毎朝走り、身体を鍛え、剣の稽古も続けた。自分の身を守る程度には短剣を扱えるようになり、以前より長く走れるようにもなった。
けれど、努力したからといって誰もが同じように強くなれるわけではない。
仲間が増えていくほど、その差ははっきりした。
エルマーの魔法は強くなり、ロルフの剣も鋭くなった。ブルーノは持ち前の力で前衛を支え、ネイトの治癒術は何度も仲間を助けた。
ならば、自分にできることで役に立とうと思った。
薬草の知識を増やし、傷薬の作り方を覚えた。毒草や、魔物が嫌う植物、逆に引き寄せる植物についても調べた。
地図に書き込むものも増えた。薬草の場所だけでなく、魔物の目撃地点や種類、季節による生息域の変化、雨のあとの川や道の状態。依頼を受ければギルドの最近の報告にも目を通し、戻ってきた冒険者から話を聞いた。
森へ入れば、鳥の声や草の倒れ方、獣の通った跡を見る。
子供の頃の自分は、何ひとつ気づかなかった。
だから今度は、気づきたかった。
分からなければ調べ、覚え、次の依頼で確かめた。
そうしているうちに、いつの間にか《デルガント》で探索を任されるようになった。
剣でも魔法でも仲間を助けられない。
それでも、危険に出会う前に気づくことならできるかもしれない。誰かが怪我をしてから助けるのではなく、怪我をしない道を選ぶこともできるかもしれない。
自分を助けてくれた冒険者たちと同じ方法ではなくても、誰かを助けられる。
そう思っていた。
◇◇◇
「……あった」
少し離れた木陰に、探していた薬草がもう1株生えている。
そちらへ移り、必要な部分だけを丁寧に切り取った。
昔より、知っていることも、できることも増えた。
けれど《デルガント》にいた頃を思い返すと、浮かんでくるのは仲間たちの困ったような顔だった。
話している途中で逸らされる視線。呆れたようなため息。まだ続くのかと言いたげな表情。
自分が話しすぎることも、心配しすぎることも分かっていた。仲間との距離が以前より開いていることにも気づいていた。
それでも、自分が何かを見落としたせいで誰かが怪我をすることだけは嫌だった。
何も起きないなら、それが一番いい。
だから気になることは確かめ、危険があると思えば伝え、必要だと思うものは準備した。
けれど最後にジェラルドから言われたのは、もう少し戦える人間を入れたい、という言葉だった。
ニコは手の中の薬草を見つめた。
昔より知っていることも、できることも増えたと思っていた。
それでも、仲間の役には立てなかったらしい。
「……ダメだなあ、僕は」




