5か月半後 ― ブルーノ(デルガント)
その日の依頼は、予定より少し早く終わった。
王都から半日ほどの街道沿いに出た魔物の討伐で、事前に聞いていた数と大きな違いはなかった。カーティスが先行して位置を確認し、残る5人が追いついて仕留めた。帰路にも問題はなく、日が暮れる前には王都へ戻っている。
ギルドへの報告を済ませると、エルマーが真っ先にいつもの酒場の名を口にした。
ブルーノも普段なら、そのまま一緒に向かっただろう。
けれど今日は、ギルドを出ようとするジェラルドを呼び止めた。
「ジェラルド。ちょっといいか」
「何だ?」
「話がある。お前ら、先行っててくれ」
後半は他の4人へ向けた。
エルマーが「何だよ」と笑い、ロルフがブルーノとジェラルドを見比べる。それでもブルーノが何も言わないでいると、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ、いつものところな」
ロルフが片手を上げ、ネイトとカーティスも一緒に出ていく。
4人の背中が扉の向こうへ消えるまで、ブルーノはその場に立っていた。
少し前までなら、自分も何も考えずあの中にいたのだろう。
「で、何だよ」
ジェラルドに促され、ブルーノはようやく口を開いた。
「俺、今日で《デルガント》辞めるわ」
ジェラルドはすぐには意味を取れなかったらしい。聞き返しかけた口が止まり、それから顔つきが変わった。
「なんで急に」
急ではない、と思ったが、ではいつから考えていたのかと聞かれれば、ブルーノ自身にもはっきりとは答えられなかった。
ニコがいなくなった日ではなかった。あのときは悪いことをしたと思いながら、それでも残った5人で続いていくのだと思っていた。
カーティスに言われた日でもない。
ただ、あの日から、以前なら気にも留めなかったことを思い出すようになった。
ニコが話している途中で誰かが歩き出したこと。返事をされないまま口を閉じたこと。何かを渡そうとして、引っ込めた手。
どれも、その場で見ていた。
そしてつい先日には、ニコの残したノートを開いて、自分たちが野営する場所まで決め直そうとしていた。
ニコなら虫の多い場所を選ばなかった。
ニコの薬ならエルマーはかぶれなかった。
そんな話をしたあとで、薬だけ作らせればいい、細かいことだけやってもらえばいいと皆で話していた。
ブルーノもそこにいた。
何も言わなかった。
結局、自分はまた同じことをしているのではないか。
そう思ってから、いつものように皆と酒を飲んで笑っていることが、ひどく居心地の悪いものになった。
「……ニコのことか?」
ジェラルドが言った。
「それもある」
ジェラルドは大きく息を吐き、乱暴に頭を掻いた。
「俺も考えたよ。この前カーティスに言われてさ。まあ確かにさ、最後の方はちょっと悪かったかなって。話聞かなかったり、置いて先に行ったり。ああいうのは……良くなかったよな」
きっと本当にそう思っているのだろう。
だからこそ、ブルーノは何と返せばいいのか分からなかった。
「みんなのせいで辞めるわけじゃないよ」
「じゃあ、なんでだよ」
「俺の問題だ」
《デルガント》に入る前、ブルーノは別のパーティにいた。
だが金銭の管理に問題があることが分かり、パーティそのものが解散してしまったのだ。
1人になって初めて、自分が思っていた以上にパーティという居場所に頼っていたことを知った。仕事はこなせた。それでも、どこにも所属していない自分は、何だか宙ぶらりんな気がした。
そんなときに声をかけてくれたのが、ジェラルドだった。
「お前が誘ってくれたとき、俺、嬉しかったんだよ」
ジェラルドがわずかに目を見開いた。
「急に何だよ」
「いや。言ってなかったなと思って」
あれから5年。本当に楽しかった。
ジェラルドも、エルマーも、ロルフも、ネイトも、ニコも。気づけば長い付き合いになっていた。
今度こそ、この場所をなくしたくないと思っていたのかもしれない。
だからニコが何を言っても聞いてもらえなくなっていることに気づきながら、何も言わなかった。気の毒だと思った。やめさせようと思ったことも、何度もある。
それでも空気を悪くするのが怖くて、黙っていた。ニコが出ていく日でさえ、できたのはノートを受け取ることだけだった。
「俺さ、ここにしがみついてたのかもしれない。居場所なくすのが嫌だったんだろうな」
「何言ってんだよ。ここはお前の居場所だろ」
ジェラルドは即座に言った。
以前なら、その言葉をもっと素直に喜べただろう。
「うん。だから、ありがたかったよ」
「だったら――」
「でも、もっと大事なことがあったんじゃないかって、今は思ってる」
ここに残れば、たぶんこれからも思い出す。
ニコが黙るたびに何も言わなかった自分を。ノートを差し出したとき、誰も受け取ろうとしない時間を作った自分を。そして今度は、そのノートを便利に使いながら、ニコの薬だけ欲しいという話を聞いても、やはり何も言わなかった自分を。
そのまま何事もなかったように、ここを自分の居場所にし続けることが、もうできなくなっていた。
「次は決まってるのか?」
「いや。何も」
ジェラルドが両手を広げた。
「だったら、なおさら今辞めることないだろ。次のパーティ見つけてからでもいいじゃないか」
それでは駄目なのだと、ブルーノは思った。
次の居場所を保証してからでなければ動けないのなら、結局また同じだった。
「少し1人でやってみるよ」
この年で何を言っているんだと思うと、少しおかしくなって笑った。
ジェラルドは怪訝な顔をしている。
「なあ、お前が抜けたら困るよ。みんなだってびっくりすると思うぞ。こんな急に」
「すまない」
「考え直せよ」
「ニコも大事な仲間だったんだよ。俺にとっては」
しばらくして、ジェラルドが小さく息を吐いた。
「そんなの……俺だってそう思ってたよ」
その顔に嘘はなかった。
「カーティスにも勘違いされてるみたいだけどさ。俺、別にニコが嫌いだったわけじゃないぞ。そもそもあいつに声かけたの俺だし。ずっと一緒にやってきたんだ」
「ああ」
「最後は確かにうまくいかなかったよ。あいつは何でも止めるし、心配ばっかりするし。俺たちも、聞かなくなってた。でもさ」
ジェラルドは一度言葉を切った。
「今なら、前よりうまくやれると思うんだよ」
ブルーノは黙って続きを待った。
「探索はカーティスがいるだろ。ニコが全部見なくてもいい。薬とか記録とか、あいつが得意なことは分かったし、俺たちだって今度はちゃんと話を聞けばいい。あいつも全部その場で言わなくたって、ノートにまとめるとかやりようはあるだろ」
先日の野営で話していたことが、ジェラルドの中ではもう1つの案になっているらしい。
ジェラルドは少し身を乗り出した。
「だから俺、ニコにまた声かけてもいいかなって思ってるんだ」
「戻ってこいって?」
「ああ。今すぐじゃなくてもさ。俺たちだって悪かったところは分かったんだし、ニコも少しやり方変えれば、前より絶対うまくやれるだろ」
ブルーノは眉を寄せた。
「それは、やめてやってくれよ」
「なんで?」
「謝るなら謝えばいい。でも、戻ってこいって言うのは違うだろ」
思わず声が強くなった。
ジェラルドがわずかに身を引く。
「何が違うんだよ。ニコだって、今1人で仕事してるんだろ。ずっと1人でいたいかなんて分からないじゃないか」
「ニコが戻りたいって言ったのか?」
「いや。会ってもないけど」
「じゃあ、やめてやれよ」
ジェラルドは傷ついたような顔をした。なぜそんな顔をするのか、ブルーノには分からなかった。自分の言葉が足りないのか、うまく説明できてないのか。
それでも今ここで何を言っても、ジェラルドとは同じところへ辿り着かないような気がした。
「……ああ、そうだ」
ジェラルドが何かを思い出したように顔を上げた。
「ニコのノート、お前が持ってるよな。あれ、俺が預かるよ」
「ああ……」
ブルーノは荷物から革のノートを取り出した。差し出しかけて、ふと手を止める。
「これ、少し写させてもらっていいか?」
「写す?」
「全部じゃない。俺が使いそうなところだけでいいから」
ジェラルドは困ったように笑って首を振った。
「いや、お前もうココ辞めるんだろ? だったら駄目だよ。これ、うちの仕事の記録もかなり入ってるし」
「……そっか。そうだな」
ブルーノはそれ以上言わず、ノートを差し出した。
ジェラルドが受け取る。
ニコが辞めた日には、誰も欲しがらなかったノートだった。誰も手を伸ばさないから、自分が受け取った。それだけだった。
今では、困ったことがあれば皆で開くものになっている。
ブルーノは空いた手を一度握ってから、下ろした。
これで話は終わった。
終わらせてもよかった。
けれど、そのまま背を向けかけて、ブルーノは足を止めた。
ここでまた黙って帰ったら、結局同じではないかと思った。
「ジェラルド」
「まだ何かあるのか?」
「俺さ、みんながニコにきつく当たってるの、分かってた」
ジェラルドが目を細める。
「ニコがつらそうなのも知ってた。でも何も言えなかった」
気づいていなかったのではない。知らなかったのでもない。知っていて黙っていた。
「それ、後悔してる」
ブルーノはジェラルドの顔を見た。
「だから言わせてもらう」
「何の話だよ」
「あいつ、辞めてよかったよ。本当に」
「……何言ってんだよ」
「あのまま我慢して、消耗しきらなくてよかった」
「ブルーノ」
「ジェラルド」
名前を呼ぶと、ジェラルドが口を閉じた。
「あいつは帰ってこないよ。もう放っておいてやれよ」
ジェラルドの眉間に皺が寄る。
「——逆に、よくそんなひどいこと言えるな」
ブルーノは少しだけ黙った。
「分からないだろ」
「何が?」
「俺が言ってること」
「……は?」
「たぶん、分からないと思う」
「何だよ、それ」
その返事を聞いて、やはりそうなのだと思った。何がどう違うのか説明はできない。ジェラルドはニコを嫌っていたわけではない。自分たちが悪かったところも認めている。今度は話を聞くとも言っている。
それなのに、なぜか決定的なところが違う。
「なんか、そう思うわ。……でもさ」
言わなければならないことは、もう言った。
最後に残ったのは、それとは別の、本当の気持ちだった。
「感謝してるのはホントなんだ」
5年前、1人だった自分に声をかけてくれた。
そのおかげで、楽しかった時間がたくさんあった。
それまで嘘にしてしまう必要はない。
「じゃあな、ジェラルド」
片手を上げ、ブルーノは歩き出した。
いつもの酒場へ向かう道は、選ばなかった。




