第二十二話:第七砦奪還戦 其の弐
※読者の皆様へ
本作には一部、戦場における暴力描写・残酷な表現(流血や部位の損壊など)が含まれます。苦手な方はご注意のうえお読みください。
一
東の空が薄桃色の朝焼けに染まり始める早朝。栗山城の巨大な城門が重々しい音を立てて開け放たれた。
夜のうちに英気を養った三千の討伐軍は、朝靄の残る広場ですでに隙のない隊列を組み終えていた。夜明け前の静けさの中、武具が擦れ合う微かな金属音と、馬の荒い鼻息だけが朝の澄んだ空気に響いている。
「出撃——!!」
本陣から放たれた号令とともに、巨大な軍勢がゆっくりと蠢き出し、吉備の盾たる第七砦へ向けて足を進め始めた。
この進軍において、軍は大きく「本隊」「左翼」「右翼」の三手に分割されていた。中央の本隊には九代目桃太郎と「雉」の戦術家たちが陣取り、全体を統率する。そしてその左右を固める両翼が、密林の側防と展開力を担う構造となっていた。
凛と甚平が配置されたのは、その「右翼」における最前線部隊であった。
「……ねえ、凛。俺、やっぱり心臓が口から飛び出そうだよ……」
六尺の大槌を背中で揺らしながら、甚平が引きつった顔で小声で話しかけてくる。
「落ち着いて、甚平。足元をしっかり見て進もう」
凛はそう答えつつも、周囲の状況を静かに観察していた。
軍が向かう「禍鳴の森」は、鬱蒼とした密林地帯である。本来ならば鬼どものゲリラ戦や暗殺の手が伸びる死地となり得る場所であったが、今の時間帯——早朝の森は、木の葉の隙間から斜めに朝日が射し込み、薄暗い樹海の中に澄んだ光の筋を作り出していた。
(すごいな……。あえて朝一番に出発時間を合わせたのは、この視界を確保するためだったんだ)
凛は「雉」の戦術家たちの采配に深く感心していた。
夜間や夕刻の行軍であれば、影と同化する鬼どもの不意打ちを許してしまう。だが、朝の透明な光の中であれば、潜む敵の影や不自然な草木の揺れを遠くからでも感知しやすい。兵士たちの視界が開けるだけで、精神的な恐怖は大幅に軽減されるのだ。
さらに、軍の先頭や側方には、すでに姿が見えない。
討伐軍の誇る隠密部隊「猿」——彼らは軍の出発よりも遥か前に栗山城を飛び出し、先行して森の中へ侵入していた。敵の伏兵の有無、罠の解除、そして敵数の把握のために、影のように樹上や湿地を駆け抜けているのだ。
(これが……本物の『軍』の戦いなんだ)
個人の剣技だけでなく、時間、地理、そして専門部隊の組織力すべてを噛み合わせて勝利を目指す戦術の合理性に、凛は武者震いを覚えていた。
しかし、戦場がどれほど合理的であっても、そこには必ず血と鉄の現実が待っている。
進軍を開始して一刻ほどが経過し、森の深部へと差し掛かった頃であった。
サッ……!
樹上から一条の影が舞い降りた。全身に泥と落ち葉を纏った「猿」の隠密兵である。
隠密兵は右翼部隊の先頭へ滑り込むと、低く鋭い声で報せをもたらした。
「右翼前方、三百歩の倒木地帯に雑鬼の潜伏を確認! 数、およそ五十! 泥および死皮を被り、不意打ちを狙っている模様!」
「——聞こえたな!」
右翼部隊の先頭から、通りすぎるほど硬質な怒号が響いた。
声を上げたのは、この右翼最前線部隊を率いる隊長——染谷であった。
三十代半ばの染谷は、吉備四大流派の一つ「犬心流」の使い手であり、規律と法度を何よりも重んじる極めて真面目な堅物武士であった。角張った顎に鋭い眼光、身につけた甲冑の隅々にまで一切の汚れを許さないその佇まいは、まさに走る規則そのものである。
染谷は腰の太刀の柄に手をかけると、厳格な面持ちで後方の兵士たちを一瞥した。
「雑鬼五十! 猿の報せ通り、我ら右翼でこれを即座に排除する! 陣形を崩すな! 特に初陣の若造ども、勝手な突出は犬心流の軍律において断じて許さんぞ!」
「はっ!」
凛と甚平も瞬時に身を構えた。
(五十頭の雑鬼……。ついに、僕たちの最初の戦いが始まる!)
二
「ギシャアアアッ!!」
「猿」に潜伏を見破られたと知るや、前方の倒木や腐葉土の陰から、真っ赤な肌をした雑鬼どもを一斉に躍り出させてきた!
その数、宣言通り五十頭近く。
彼らは人間から奪った錆びた太刀や長槍、斧を振りかざし、血走った目を剥き出しにして右翼最前線へとなだれ込んでくる。
「ひ……ひいいいっ! 来たあぁぁぁっ!?」
その凄まじい鬼気と異形に、甚平の恐怖が爆発した。
「落ち着け、甚平!」という凛の声も届かない。パニックに陥った甚平は、背中から引き抜いた六尺の大槌を、目もくらむような力任せに振り回し始めてしまった。
「うおおおおおっ! 来るな! 来るんじゃないぁぁぁっ!!」
ブォンッ! ブォオッ!!
人間の太ももほどもある巨大な鉄塊が、空気をごうごうと切り裂いて暴風を巻き起こす。
その威力自体は凄まじく、正面から突っ込んできた一頭の雑鬼は大槌の側撃を受けて「ガグッ!?」と不快な潰れ声を上げ、骨を砕かれて遥か遠くの木々へと吹き飛ばされた。
だが——無我夢中で振り回される巨大な六尺の大槌は、味方にとっても等しく凶器であった。
「わっ……!? なんだ、おい! 後ろに下がれ!」
「なんだこのガキは! 味方を巻き込む気か!?」
周囲の兵士たちが大槌の巻き添えを喰らいそうになり、慌てて間合いを取って回避する。
右翼の綺麗な隊列が、甚平ひとりの暴走によってガタガタと崩れ始めてしまったのだ。
「甚平、一回息を吸って止めて! 僕が前に出る!」
凛は甚平の横をすり抜け、前線へと滑り出た。
凛の瞳——『眼』が開眼する。
一瞬にして世界が静止し、迫り来る雑鬼たちの関節の動き、刃の軌道が鮮明な一本の「線」となって脳内に浮き彫りとなった。
シュッ——!
流れるような身のこなし。凛は迫り来る二頭の雑鬼の突刺しを、僅かコンマ数ミリの紙一重で見切ってかわすと、手にした真剣「影月」を一閃させた。
ズバッ! スパッ!
美しく澄んだ銀光が走り、雑鬼たちの胸元から首筋にかけて深い斬創が刻まれる。
道場での幾千の手合わせで磨き上げられた完璧な間合いと手応え。人間であれば、間違いなく即死し、その場に崩れ落ちる絶命の一撃であった。
(倒した——!)
凛は手応えを感じ、次なる敵へと意識を向けかけた。
——だが、その瞬間であった。
「ギヒヒッ……!!」
「なっ……!?」
胸を深く切り裂かれ、血を撒き散らしているはずの雑鬼が、絶命するどころか凶暴な笑みを浮かべて跳ね起きてきたのだ!
凛の斬撃は、確かに肉を絶ち、骨にまで達していた。しかし、鬼という生物の圧倒的な生命力と肉体の強靭さは、人間の常識を遥かに超えていたのである。人間であれば即死となる浅い深手程度では、彼らの活動を完全に止めることはできなかったのだ。
首を刎ねるか、心臓を完全に穿つか——それ以外の攻撃は、鬼にとって「致命傷」にはなり得ない。
油断が生んだコンマ一秒の隙。
胸から血を流す雑鬼が、狂気の刃を凛の無防備な首元へ向けて振り下ろす!
(しまっ……!? )
凛の冷や汗が吹き飛ぶ。見切り直そうにも、姿勢を次動作へ移しかけていたため体勢が間に合わない。初陣の未熟さが招いた、死の直感——。
ガキィィィンッ!!
激しい金属音が耳元で弾けた。
「——うつけ者が!!」
一筋の鋭烈な一閃が凛の眼前を横切り、雑鬼の振るう刃を力でねじ伏せるように弾き飛ばした。
間髪入れず、洗練された直線的な突刺しが走る。
ドスッ!!
「グガッ……!?」
雑鬼の眉間を、正確無比に貫く一撃。
脳を破壊された雑鬼は、今度こそ白目を剥いて完全に沈黙し、どさりと泥の上に倒れ伏した。
助けて入ったのは、右翼隊長・染谷であった。
染谷は手にした太刀を一振して血を払うと、鬼のような凄まじい形相で凛と甚平を射抜いた。その犬心流特有の厳しい眼光に、二人は背筋が凍りつく。
「貴様ら…… 何をしているか!!」
染谷の怒号が森に響き渡った。
「そこの大槌! 恐怖に呑まれて武器を振り回し、味方の陣形を乱すとは何事だ! 戦場において味方の足を引っ張る者は、敵よりもタチが悪いぞ!」
「ひ、ひえぇぇ……っ! す、すみません……っ!」
甚平は小さく丸まり、泣きそうな顔で平伏した。染谷の視線は、次に凛へと向けられる。
「そしてお前だ、正眼流の者! 敵を斬った気になって残心を怠るとは何たる不覚! 鬼の生命力を人間の尺で測るなと言われなかったか! 一撃で首を落とすか根絶やさねば、奴らは傷口を開いたまま殺しに来るのだぞ!」
「……申し訳……ありません」
凛は強く唇を噛み締め、頭を下げた。
染谷の叱責は、一言一句ぐうの音も出ない正論であった。
己の技術への自負、そして鬼という存在への認識の甘さ。それが一歩間違えれば、自分だけでなく甚平や周囲の仲間まで巻き込んで命を落とす結果になっていたのだ。
「まったく……これだから若造の初陣は! よいか、二度目は助けぬぞ! 己の役割を果たし、陣形を守れ!」
染谷はふん、と鼻を鳴らすと、素早く刀を収めて残りの雑鬼どもを処理すべく前線へと戻っていった。
「……ごめんね、甚平。僕がしっかりしてなかったから」
「ううん……凛のせいじゃないよ。俺がビビって暴れたから……。染谷隊長、すごく怒ってたね……」
二人は深く反省しながら、己の未熟さを痛感していた。
だが、この厳しい「洗礼」によって、二人の胸の中にあった甘さは完全に削ぎ落とされた。鬼は、道場で向かい合ってきた人間ではない。殺意と執念の化け物なのだと。
三
右翼での小競り合いが収まり、五十頭の雑鬼が討伐軍の圧倒的な組織力によって掃討された後、軍は再び行軍を再開した。
正午を過ぎ、討伐軍の本隊が第七砦へと続く森林街道の深部を粛々と進んでいた時のことである。
前方を進む「猿」の部隊から、本隊の九代目桃太郎と戦術家たちへ報告が入った。
「報告! 前方の街道脇、旧・第七砦下村の破却跡にて、多数の肉塊を発見!」
「肉塊だと? 雑鬼の罠か?」
戦術家の一人が身を乗り出す。
軍がその現場に差し掛かると、そこには崩れかけた民家の影に、夥しい数の家畜(牛や鶏)の死体が転がっていた。かつて砦の麓に存在した村から、鬼の侵攻によって逃げ遅れ、殺戮された動物たちである。
「待て、近づくな」
一人の「雉」の戦術家が馬を降り、慎重に死体群へと近づいた。兵士たちが緊張して唾を飲み込む。死体に潜む雑鬼の奇襲を警戒したためである。
しかし、戦術家は風を確かめ、死体の皮膚に触れると、鬼の奇襲を誘った。しかし奇襲などなくそこにあったのはただの家畜の肉であった。さらに驚いたように目を見張った。
「……腐敗臭がない」
「何だと?」
「傷口は真新しい。そして……この寒冷な山の気候と朝の冷気により、肉が傷んでおりませぬ。腐敗の気配は一切なし!」
戦術家は九代目桃太郎へ振り向き、力強く声を張り上げた。
「桃太郎様! これは鬼の罠ではございません! 殺されて間もない、新鮮な家畜の肉でございます! 雑鬼どもが糧食として蓄えようとしていたのか、あるいは打ち捨てられたものか……何れにせよ、腐敗しておりませぬ!」
三千の軍勢を維持するためには、膨大な糧食(食糧)が必要となる。攻城戦が長期化すれば、兵糧の枯渇こそが最大の敵となるのだ。
戦術家は静かに頷いた。
「天の恵みである。急ぎ馬車に乗せよ。兵たちの貴重な糧食と成す」
「はっ!」
後方の補給隊が迅速に動き出し、衛生状態を確認しながら牛や鶏の死体を次々と馬車へ積み込んでいった。思いがけない貴重な食糧の確保に、緊迫していた兵士たちの間にわずかな安堵の風が吹き抜ける。
「すごいな……。あんなものまで瞬時に見極めて、軍の糧にするんだ」
右翼から遠目で見ていた、凛はその鮮やかな手際に感心していた。
「うん……戦いって、剣を振るだけじゃないんだね……」
甚平も大槌を担ぎ直し、深く頷く。
その後も、深い森の中では度々雑鬼どもによる小規模な奇襲が試みられた。死体の陰からの跳躍、樹上から、泥中からの刺突——。
しかし、討伐軍の連携は揺るがなかった。
「猿」が事前の索敵で敵の位置を割り出し、「雉」が即座に最適な陣形転換を命じ、前線の「戦士」たちが鉄の規律でそれを叩き潰す。右翼隊長・染谷の率いる部隊も、凛と甚平の反省を経て一層引き締まり、襲い来る雑鬼をことごとく返り討ちにしていった。
一度も陣形を乱されることなく、軍は着実に、そして確実に深緑の樹海を攻略していったのである。
四
西の空が夕暮れに染まり始めた頃。
ついに、森の木々が途切れ、目の前の視界が大きく開けた。
「……見えたぞ」
先頭を進む本隊の兵士の呟きが、波のように全軍へと伝播していく。
討伐軍三千の目前に、その圧倒的な威容を現したのは——第七砦であった。
時計の文字盤において「七時」の方角を護る、吉備国の堅固なる要塞。
周囲を巨大な木造と石造りの二重城壁で囲まれたその砦は、夕闇の影を背負い、まるで巨大な怪物の死骸のように沈黙していた。
かつて人間側の兵士が守っていた櫓や城壁の狭間には、血のように赤い皮膚を持った無数の「雑鬼」たちが蠢いている。彼らは遠くに現れた三千の討伐軍を見下ろし、嘲笑うかのように武器を打ち鳴らしていた。
そして——中央の巨大な城門は、固く、固く閉ざされている。
「全軍、足を止めよ! 包囲陣形を構築せよ!」
本陣から「雉」の伝令が走り、三千の軍勢が一斉に第七砦を取り囲むように陣を広げ始めた。
凛は右翼の先頭で、沈みゆく夕日を浴びる第七砦を見上げていた。隣に立つ甚平も、もう震えてはいない。染谷から受けた叱責と初陣の洗礼を経て、その瞳には一人の戦士としての覚悟が宿り始めていた。
(この城門の奥に……『将鬼・鬼同丸』が潜んでいる)
しかし砦を見た九代目桃太郎は違和感を覚えていた。
(ここに将鬼が?)
なぜ、この堅固な砦が一夜にして陥落したのか。
なぜ、外からの攻撃痕がないにもかかわらず、内部から崩壊したのか。
その恐ろしい「謎」を秘めたまま、夕闇の古城は三千の軍勢を静かに見下ろしている。
「これより……攻城戦が始まる」
凛は腰の「影月」の柄に手を置き、静かに、だが深く息を吐き出した。
西の空から太陽が沈みきり、栗山城からの長き行軍を終えた討伐軍と、伏魔殿と化した第七砦。
両者が激突する真の決戦の火蓋が、ついに切られようとしていた。
(第二十二話 完)
読んでいただき感謝感激です!!!!!!!!!!!!
AIをふんだんに使用していますが
これからも「桃太郎を継ぐ者たち」をよろしくお願いします!




