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31_足下から鳥が立つ(4)


 モナの牧場には大きく分けて3つの施設がある。ひとつは荒れ果てた農地、もうひとつはかろうじて住める家。そして最後のひとつこそが今回、町長のトーマスより予期せぬ危険に巻き込んでしまったことと大切な町民を守ってくれたことへの感謝の印であった。

 その施設は牧場という場所柄、恐らくは過去にかなり使用されていたのだろう。激しく傷んだ外壁が長らく放置されていることを常に静かに物語っていた。けれどそんな外観とは反対に、崩壊に注意しながら覗き込んだ室内は思いのほか綺麗なまま設備が残っていたものだから、モナは畑仕事の合間に時折そこをぼんやりと見つめてはいつかは自分も、と常々考えていた。まだまだ頭と尻に殻のついたヒヨコだというのに、牧場を牧場と定義付けるに相応しい場所に、とそんなことばかり考えてはまだ冷たい北風にクシャミを零していた。


「…………これ……。」

「どうかな?気に入ってくれた……かな?」


 一頻り笑いを零し終わった後、ようやく落ち着いた呼吸が脳という器官の活動を鮮明にしてくれたはずだった。身体の隅々まで行き渡った新鮮な、田舎特有の少しも汚れていない澄んだ空気が確かに意識をハッキリとさせてくれたはずだった。だというのにモナは紆余曲折の後にとうとう対面した『プレゼント』と、その中で身を寄せ合ってはコケコケ、ピヨピヨとか細い声で鳴いていたイサークからのサービスに思わず言葉を失った。これが現実であっていいものかと、思わず何度も何度も執拗に目を擦ってしまった。

 けれど何度目を擦り、深呼吸を繰り返し、腕を抓ってみても、目の前に鎮座する現実というものは少しも変わらなかった。それどころか自宅横、大型動物用の畜舎に隠れるようにしてひっそりと建っていた小動物用の畜舎――所謂鶏舎と呼ばれるその施設の真ん中、ふかふかに敷き詰められた藁のなかにちょこんと座ってはこちらを見上げてくる大きな黒い瞳は、徐々に警戒や恐怖からどうしようもない好奇心へと染まりつつあった。


「鶏舎の修理及び設備の動作確認は町いちばんの大工であるコンスタンティーノ改め、その弟子のニコラスが『アルテフィーチェ』を代表して誠意と実力……は兎も角、お前さんへの感謝を持って。」

「んでもってサービス品のニワトリとヒヨコ、ついでに飼料の手配はあなたの暮らしの良いパートナー、『ラージテール』がお届けいたしました。……ってな!」


 コンスタンティーノはブツクサ文句を垂れながらもやっとこさ出来た『友人』のために昼夜まだまだ未熟な腕を存分に振るったニコラスの肩を抱くと実力はともかく、何かにつけて修行から逃げていた弟子がようやく上げた重い腰と、彼の中にあるまだ言語化出来ていない感情――同年代であるモナへの敬意や憧れ、そして「自分とは違う、特別な存在なんだ」というある種の劣等感を丸ごと包み込みながらにかりと笑った。

 それを見たイサークは鶏舎を建て直すのは勿論、せっかくならば『中身』が入っていないと勿体ないだろうとなんとも商人らしい気質と発想に基づいた、彼だからこそ出来るサービスを得意げに胸を張って披露した。


「…………モナ?」

 

 そこには善意しかないといえば嘘にはなる。無論、大前提となるのは新入りにも関わらず町のために心身を削いでくれたモナへの感謝だが、その中に多少なりとも皆損得の感情があることは確かだった。

 例えばコンスタンティーノにとってはのらりくらりと修行を躱してきた弟子の尻を叩くいい機会になったし、イサークにとっては卵の売買に餌の定期購入と後々の上客を捕まえる良い機会になったわけだった。

 けれども、モナにとってはどうだったのだろう――?ルチアは自分の家族がやっていた頃に比べればまだまだ貧相とはいえそれなりに見れる外観になった鶏舎と、その中で寄り添いながらこちらを見上げてくる小さな生命、それからニワトリとヒヨコと見つめながらすっかり黙り込んでしまったモナに、もしかして親切に見せかけた迷惑だったのかもしれないと想像してしまうと、一気に肝が冷えるのを感じた。


「――あっ、あのね?あたし、町長さんから諸々のお礼を込めて、モナに何かしてあげたいって相談受けててさ。で、お金とか牧場の備品とか色々考えたんだけど、モナの今後の収入を安定させるって意味ではやっぱり動物を飼った方がいいんじゃないかって話になってさ。そしたら、確か鶏舎はちょっと直せば使えそうだったよな〜、なんて思ってさ。はい。」

「…………ルチア。」

「ほら!牛は世話が大変だけど、ニワトリはそんなに手間掛からないし。なのにちゃんと毎日卵産んでくれるし、糞は肥料にすればいいし、今のモナにとっていちばん必要なものかも!な〜んて思ってさ。餌はイサークが仕入れてくれるっていうし、オスとメスで飼えば簡単に増やせるし、増やして家畜そのものを売買するのも中々いい収入になるし?!」

「……ルチア。」

「あああ、もしかしなくても気に食わなかった?!そうだよね、せめて相談しろって話よね!?ごめん!ほんっとうにごめん!!だからお願い、発案者はあたしだけど文句はGOサインを出した町長さんに言って〜〜〜!!」


 ルチアはやけに言葉少ないモナを前に、なんとか少しでも許されようとあれやこれやと言葉を並べ立てる。その過程で不正解なりにモナを気遣って選んだ回答だったこと、だから何か諸々があるならばそれは自分ではなく最終責任者である町長のトーマスに向けて欲しいことを、最早半分泣きながら口にした。

 その様子ときたら見ている周囲の方が居た堪れなくなるほどのものだったから、イサークは思わず心の中でなるほどと呟いた。遠目に見る分にはモナの方が子分のように見えるが、幼なじみのこの近年稀に見るなりふり構わない情けない命乞いから察するに、どうやら実質的な支配権というか決定権は本人たちの意思はともかく『そういうこと』らしい。まあ、それもそうだよなあとイサークは苦笑を浮かべる。何しろモナはどうであれ大型のモンスター相手に勝ってしまった少女なのだ。恐らくはこの町でいちばん強いと言っても過言では無いだろう。そして、ルチアにとっても今最も彼女の心を占めている存在だろうなと、イサークは思うのだ。

 イサークがそう思うのには幾つか理由がある。その中でも最も大きなものとして、ルチアはモナがやって来てから本当に明るくなったのだ。家族を亡くした直後など泣きも笑いもしなかった彼女が、本当に、よく笑うようになった。何もかも夢幻だったのでは、とイサーク自身がそう錯覚してしまうくらいに、近頃のルチアは生き生きとしていた。

 無論、モナが来る前からルチアとて時間の経過と共に徐々に喜怒哀楽を表に出すようにはなっていた。だが、それでもふとした時に浮かべる表情は何も無かった。月の明かりのない夜にふと見上げる夜空のような、ともすれば吸い込まれてしまいそうなほどに真っ暗な何かがあったのだ。


 ――だが、ここ最近のルチアときたらどうだろう。

 自分が何者かも分からない新入りを本当に気の毒に思っているのか、あるいは彼女を通して過去の自分を癒そうとしているのか。過程はともかく、結果としてモナの世話を通して昔のようによく笑い、よく喋り、よく活動する、自分の知っているルチアが戻ってきたのだ。

 

 だからこそイサークはニコラスが思い切り顔を引き攣らせてはドン引きしている中で、ああ、良かったと。本当に本当に、モナという新入りのお陰で何もかもが元通りに……否、下手をすればそれ以上になっているなと穏やかな気持ちとこれからの期待を胸に、柔和に微笑んだ。

 そんなイサークを見て、ニコラスはますます苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……え?なんで?」

「――――へっ?」


 そんな折、ようやくモナが口を開いた。それもただ口を開いただけでなく、小首を傾げながらルチアを見つめるとどうしてそんなに怯えられているか分からないと言った様子で心底不思議そうに尋ねたものだから大いに貶され罵られ、もしかしなくても絶好と言われるかもしれない恐怖に身を縮こまらせていたルチアは困惑しながらもおそるおそる顔を上げた。

 そうやっておっかなびっくりといった様子ながらもモナと目を合わせたところ、想像よりも遥かに穏やかな表情の彼女に度肝を抜かれると思わず素っ頓狂な声と顔で問い掛けた。

 

「だ、だってモナ、ずっと黙ってるから、もしかしなくても気に食わなかったのかな、って……。余計なお世話だったのかも!と思って……。」

「……まさか!!」


 モナはルチアの言い分に慌てて否定の言葉を口にすると、顔の横でブンブンとその小さな手のひらを一生懸命に振る。決して不機嫌でもなければ内心毒づいていたわけでもないと、態度で弁明する。その表情は実際にルチアでなくとも嘘偽りなどないと信じられるほどに必死で、例えば普段から大きい瞳がさらに大きく見開かれている様だとか、それもただ零れ落ちそうなほどに瞠目しているだけでなく、自分がふと意識を他所に向けている間に随分大変なことになってしまったと慌てふためいては揺れていた。

 その様子ときたら先の幼なじみコンビのコントとはまた別方向におかしなもので、イサークは互いにオロオロとしている様子に思わず含み笑いを零してしまったし、コンスタンティーノは相変わらず豪快に笑っていた。その影でニコラスは心底つまらなさそうに鼻から息を抜いていたし、さらにその後ろではルチルがやはり興味などなさそうな様子で臍を天に向けてはグウグウと眠っていた。


「わたし、皆さんにこんなに良くしていただけるのが、本当にほんとうに嬉しくって。これからどうやってお返ししていけばいいのかな、って考えてたの。」

「――もう。モナってば、こんな時まで真面目なんだから……。あんまり焦らせないでよね?こーゆー時は『嬉しい〜!みんなありがとう〜!!』って飛び跳ねればいいの!!」

「あはは、ごめんごめん。」


 ルチアはモナの唇から出たなんとも彼女らしい言葉に、やっと緊張していた表情を緩める。それから喜びを表すよりも先に受けた恩をどうやって返そうかを考えてしまう、ある意味不器用な友人に向けていつも自分がしているようにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねてはクルクルと回り、言葉のみならず身体で感謝を表現する様を披露してみせた。

 モナはそうやって自分と違って、どこまでも素直に自己を表現出来る友人の姿に目を細めた。それからそんなルチアに倣って、自分のために動いてくれた人々にほんの少しでも感謝の気持ちが伝わればと素直になろうと心に決める。とはいえあまり大っぴらに心のうちを表現したことがないモナは、ルチアのように身体を使って喜びを伝える方法はどうにも恥ずかしい。

 それ故に他に方法はないかと頭を捻りつつ視線を下に向けた時だった。最初はこちらをキョトンとした様子で見ていたニワトリとヒヨコが、じいっとモナを見つめていたのだ。艶やかな黒の瞳が6つ、自分を期待と興味に満ちた眼差しで自身を見上げていることに気がついたモナはその場にしゃがみこむと彼らと目を合わせる。続けてゆっくりと右手を差し出した。するとそろりそろりと近付いてきた大きな赤いトサカをつけたニワトリが、モナの指先をその大きなくちばしでツンツンと突ついてきた。


「――あのね。この子たちが可愛すぎて、言葉が見つからなかったの。」


 モナは指先に感じる、なんとも表現しがたい感覚――硬いタンパク質が自分の皮膚を通して骨を攻撃してくるような、はたまた時折ペンチで思い切り抓られるような強烈な痛みにほんの少し目に涙を浮かべた。

 けれどそれはいきなり見知らぬところに連れてこられた恐怖からの行動であり、本質は小さいながらもこの群れを他者から守ろうとする群れの長としてのプライドと責任がためだと充分に理解しているモナは、決して声を上げない。代わりにさせるがままにその右手を差し出すと、照れくささを噛み殺したくなるのをグッと堪えてはにかんだ。


「――――――――。」


 しっかり者の新入りでもなく、ルチアを救った英雄でもなく。ただ単に自分と同年代の少女らしい無邪気な笑みを目にしたニコラスは、モナのその表情に思わず言葉を失った。どういうわけだか心臓が一瞬動きを止めた後に、ドクンと急に拍動しては一気に身体中を駆け巡る血液の熱い感覚に、彼はわけもなく全身が熱を持つのを感じると思わず顔を逸らした。

 そこに意味があるのかどうかなんて分からない。ただただ、どういうわけだかモナを直視出来なかった。代わりにコンスタンティーノの物珍しいものを見たような、はたまた面白いものを見つけたような。あるいは親のような顔が視界の端に映ると、鼻からふうと吐息を漏らした。続けてそんな顔で自分を見るなと言わんばかりにコンスタンティーノからも顔を背けると、結果的に全員に対して背を向けた。それは何者も自分の心に入れたくない、入れるわけがないという、彼なりの無言の意思表示だった。


「ありがとうございます、皆さん。わたし、一生懸命この子たちを育てますね。立派にしてみせます!」

「………………物好き。」


 そうやって互いに吐き出した言葉は真反対の方向を向いているというのに、ニコラスはどうしてもモナの言葉を無視出来ない。それでいて明確な理由なんてないのだから、ニコラスはもう一度鼻から吐息を漏らした。

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