第99話「開幕」
新規オープン当日。
夜明け前から、ハクは両店舗の間を静かに行き来していた。厨房の火入れ確認、ホールの椅子の配置、キャストの控え室の準備。誰に言われるでもなく、全てが開店前に整っていた。それがハクという男だった。
リュウジィとミライが並んで店に着いたのは、開店一時間前だった。
ハクが扉の前で待っていた。リュウジィの姿を認めると、静かに一礼した。
「お待ちしておりました(深く一礼する)」
「準備は?」
「滞りなく(踵を返し、両店舗の間へと消えていく)」
ミライがその背中を見送って、小さく言った。
「凄い人ね」
「ああ」
ジョジョエンの厨房では、バッドの母がすでにスタッフに指示を出していた。大きな鉄板の上に並べられたキングオーグの肉が、熱を待っていた。ゼノンとギノンはホールでテーブルの配置を確認しながら、互いに小突き合っていた。
「緊張してんじゃねえか」
「してねえよ」
二人の声が厨房まで聞こえてきて、バッドの母が苦笑した。
リッカはカウンターの端で帳簿を広げ、開店前から数字を追っていた。カエデが隣に立ち、売上管理の段取りを静かに確認する。
「初日は混乱するから、入金はこの順番で。わからなければハクさんか私を呼んで(リッカの帳簿を指でなぞりながら)」
「わかりました」
カエデはそれだけ言い残して、すでにジャンヌダルク側へと向かっていた。
ジャンヌダルクの扉を開けた瞬間、キャストの一人が足を止めた。
天井から連なる魔石の照明が、シャンデリアのように柔らかな光を落としている。深紅のビロードのソファと絨毯が、フロア全体に敷き詰められていた。金細工の装飾が壁を縁取り、重厚な木製のカウンターが奥に構えている。見上げれば二階席が緩やかに張り出し、その手すりにも細かな細工が施されていた。
「……本当にここで働くの、私たち(天井を見上げたまま、呟くように)」
誰かが呟いた。答える者はいなかった。ただ、全員が同じ気持ちだった。
リナがキャストたちの最終確認をしていた。ニーナが隣に立ち、鏡越しにリナと目が合った。
「今日は気合い入ってるね」
「当然でしょ。新しい店の初日よ(黒髪を一度払いながら)」
「そうね(小さく笑った)」
バッドが黒服姿で扉の前に立ち、シドがその横に控えていた。ミライが二人の前を通り過ぎる際、バッドが背筋を伸ばした。
「任せてください(背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見据えて)」
「よろしくね(軽く目を細め、フロアへと消えた)」
バッドはその背中を見送って、シドに小声で言った。
「やっぱかっこいいな」
「お前の兄貴の彼女だぞ」
「わかってる」
タツヨは厨房の入り口に寄りかかり、腕を組んでいた。ホールを見渡して、一言だけ言った。
「思ったより広いな」
「やれるか」
「任せろ!(口角を上げ、拳を軽く握った)」
開店の時刻になった。
ハクがリュウジィの隣に立ち、一言だけ言った。
「準備が整っております(前を見据えたまま、静かに告げる)」
リュウジィが頷く。扉が開いた。
キングオーグの肉が焼ける香りが、通りへと流れ出た。朝から並んでいた客が、一斉に動き出す。ジョジョエンのホールは、開店十分で満席になった。
「三番テーブル、キングオーグ二人前追加!」
バッドの母の声が厨房から飛ぶ。ゼノンが皿を抱えて走り、ギノンが別のテーブルで注文を受ける。
「こっちもキングオーグ頼む!」
「少々お待ちください!」
ギノンが返しながら、隣のテーブルの客に頭を下げる。タツヨは厨房と客席の間を往復しながら、皿を運び、空いた皿を回収し、水を継ぎ足す。居酒屋バイトの経験が、体に染み付いていた。
「おい、こっちの肉まだか」
「今参ります(笑顔で答えながら、すれ違いざまにゼノンの背中を軽く叩く)」
「四番、頼む」
「あ、はい!」
厨房ではバッドの母が鉄板をフル稼働させていた。スタッフが右往左往する中、彼女だけが泰然としていた。
「大丈夫大丈夫、焦らなくていいから!ほら次いくよ!(鉄板の前で腰に手を当てながら)」
その一言で、厨房の空気が落ち着いた。
リッカは会計カウンターで精算をこなしながら、帳簿に数字を書き込み続けた。客が途切れない。手が追いつかない。それでも指は止めなかった。
カエデがジョジョエンに顔を出し、リッカの手元を一瞥した。
「問題ない?」
「なんとか(指を止めずに答えた)」
「ならいい(それだけ言って、足早にジャンヌダルクへ戻っていった)」
ジャンヌダルクも、同じく戦場だった。
開店と同時に貴族や商人が押し寄せ、フロアはあっという間に埋まった。キャストたちが客席を縫うように動き回る中、ミライは全体を見渡しながら矢継ぎ早に指示を出した。
「七番に新規のお客様。ニーナさん、お願いできる?(視線だけをニーナに向けながら)」
「行きます(黒髪を揺らしながら、静かにそのテーブルへ向かった)」
「三番の客、長くなりそうで。リナさん、お願いできますか(背中越しに声をかけた)」
「わかった(笑顔を作りながら三番テーブルへ向かう)」
バッドが扉の前で入店待ちの客をさばいていた。列が通りまで伸びている。
「申し訳ございません、ただいま満席でして(深く頭を下げながら)」
「いつ入れる」
「三十分ほどお待ちいただければ(一歩も退かず、真っ直ぐ目を見て答えた)」
シドが横で無言の圧力をかけている。客は渋々列に戻った。
カエデが戻ってきて、ミライの隣に立った。
「ジョジョエンも同じ状況ね」
「順調そうでよかったわ(静かに言って、また次の指示へ動いた)」
夜が更けた頃、両店舗の扉が閉まった。
閉店後、スタッフ全員がジョジョエンに集まった。テーブルの上にキングオーグの肉が並べられ、リッカが今日の売上を帳簿に書き込んでいる。カエデがその隣で数字を確認していた。
「初日にしては上出来ね(帳簿から目を離さずに言った)」
リッカは数字を見て、目を丸くした。
「……これ、本当ですか」
「本当よ」
タツヨが肉を頬張りながら立ち上がった。
「じゃあ俺が音頭取るか」
「お前が取るのか」
「文句あるか(杯を持ち、スタッフ全員をゆっくりと見渡した)」
「リュウジィと、ここにいる全員に。乾杯」
ハクが、珍しく杯を持って口をつけた。バッドがゼノンとギノンと杯をぶつける。ニーナとリナが笑い合う。ミライがリュウジィの隣で静かに杯を傾けた。
リュウジィはその光景を、少しだけ眺めた。
借金を抱えて撃たれた男が、気づけばここまで来ていた。隣には彼女がいて、仲間がいて、店がある。
悪くない。
そう思った。
「兄貴、早く飲んでくださいよ(バッドが声をかける)」
リュウジィは杯を持った。
「うるさい」
笑いが起きた




