第98話「王都の華、降臨」
新規オープンまで、あと三日。
店舗分離が決まった時、皆で話し合って店名を変えることになった。キャバクラの名前は『ジャンヌダルク』。現世の銀座に実在する、最高峰と呼ばれるクラブから貰った名前だ。焼肉屋は『ジョジョエン』。現世で有名な焼肉店、叙々苑から貰った。
改装中の店内は、埃と塗料の混じった匂いに包まれている。
ジョジョエンのホールを仕切るのは、バッドの母親だ。彼女は開店前から厨房スタッフと打ち合わせを重ね、段取りを一つ一つ確認していた。
「いよいよ、3日後だね」
その言葉に、疲れた様子は一切なかった。ゼノンとギノンも焼肉屋に配属され、ホールの動きを覚えようと母親の後ろをついて回っていた。
たまたま暇を持て余していたタツヨが、用事もないのにリュウジィについてきていた。
「なあ、オープンまで人手足りてるか?」
タツヨの方から聞いてきた。
「正直ギリギリかな」
「俺、居酒屋でバイトしてたから、ホール回りなら慣れてる。落ち着くまで手伝おうか」
「いいのか?」
「暇だし」
リュウジィは少し考えてから頷いた。
「助かる」
「飯は食わせろよ」
「キングオーグでいいか」
「それで十分だ」
しばらくして、店の扉が開いた。
その瞬間、店内の空気が変わった。
職人たちが口を閉じ、床材を運んでいた者たちが手を止める。厨房からホールへ出てきたスタッフが、思わず立ち止まった。誰も声を出さなかった。出せなかった、という方が正しい。
男だった。
だが、普通の男ではなかった。
艶やかな黒髪を後ろに流し、細身の黒い上着を纏った姿は、どこか現実離れした美しさがあった。一歩踏み出すたびに、その存在が場を支配していく。宝塚の舞台から抜け出してきたような、息を呑む存在感。かつて江戸の花魁道中を一目見ようと群衆が集まったというが、まさにそういう類の「華」だった。
深紅のルビーのような瞳が、改装途中の店内を静かに見渡す。
二階の階段からキャストたちが身を乗り出した。誰かが小さく「誰……?」と呟いたが、答えられる者はいなかった。
ロクメイカンを知らない者には、ただならぬ存在感の男に映った。ロクメイカンを知っている者には、信じられない光景だった。
「……遅くなりました」
その声で、リュウジィは気づいた。
「ミライ」
「はい」
バッドが目を見開く。
「……ミライさん!?」
「久しぶり、バッド」
ミライは僅かに微笑んだ。その笑顔だけで、店内に漂う塗料の匂いまで浄化されたように感じた。
「男装……っすか?」
「アドバイザーとして働くから」
バッドは一瞬固まってから、隣のゼノンとギノンに小声で耳打ちした。「兄貴の彼女だ」。二人は顔を見合わせ、リッカは思わず口を閉じた。
ハクだけが、静かに一礼した。
「よろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
階段の上から、ハニーブロンドのロングヘアーをした女が駆け下りてきた。リナだった。
「ミライさん!」
リナはミライの両手を握った。
「よろしくお願いしますね」
ミライはリナの手を静かに握り返す。
「こちらこそ。リナさんが中心だから、何でも言って」
リュウジィがスタッフ全員を見渡した。
「紹介する。ジャンヌダルクのアドバイザー、ミライだ。リナが中心なのは変わらない。ミライはリナのサポートとして入ってもらう」
リナが少し安堵したように息を吐いた。同い年の二人の間に、言葉以上のものが流れていた。
一通りの紹介が終わった後、リュウジィはゼノンとギノンを手招きした。
「ちょっと来い」
二人は顔を見合わせながらついてくる。リュウジィは布に包まれた細長い荷物を二つ取り出し、それぞれに手渡した。
「開けてみろ」
ゼノンが布を解くと、銀色の輝きが目に飛び込んできた。ミスリルのサーベルだった。ポンメルには、精巧な狼の彫刻が施されている。ギノンも同じものを手にして、しばらく言葉が出なかった。
「……これ、俺らに?」
「お前らの剣だ」
ゼノンはサーベルをゆっくりと抜いた。刀身が光を弾く。ギノンも同じように抜いて、しげしげと眺める。
「……兄貴」
ゼノンが口を開いた。声が、少し掠れていた。
「ありがとうございます」
ギノンも深く頭を下げた。言葉は短かったが、それで十分だった。
バッドが腕を組んで、満足そうに頷いていた。
横からタツヨが近づいてきた。ミライをちらりと見て、リュウジィの耳元に口を寄せる。
「(声を潜めて)お前の彼女か。いい女じゃん」
「うるさい」
「後で紹介しろよ」
「してるだろ、今」
「ちゃんとした紹介をしろって言ってんだよ」
ミライがその様子を見て、僅かに口元を緩めた。
「タツヨさんですね。リュウジィから聞いてます」
「俺のことも知ってんのか」
「ええ」
タツヨは一瞬だけ目を細め、それからニッと笑った。
「よろしくな」
新規オープンの話が終わり、ミライと一緒に外に出る。久しぶりに会った割に、妙に自然な距離感だった。
夜の王都を並んで歩きながら、他愛のない話をした。ロクメイカンを辞めてからの日々、荷物をまとめるのに思ったより時間がかかったこと。ミライの語る言葉には、リュウジィも気づかなかった視点での店の改善案が混ざっていた。
しばらく歩いたところで気がつく。
「ミライの家ってどこなの?」
「(首を傾げながら)さあ、どこでしょ?」
「……うちに来る?」
「そうしようと思ってたわ」
当然のように言って、ミライはリュウジィの腕に手をかけた。主導権がどちらにあるのか、言うまでもなかった。
リュウジィの家の前に、男二人と荷馬車が止まっていた。
「ミライ様、こちらの家に運べばいいんですか?」
「……えっ? 何これ」
「(さらりと答えて)今日から、ここが私の家」
「えっ! 聞いてないよ」
「言ってないもん」
ミライは薄く微笑んだ。
「ダメ?」
「……ダメとは言ってないけど」
「じゃあいいじゃない」
「それを押しかけって言うんだよ」
「知ってるわ」
男たちに視線を向ける。
「(男たちに向かって)今この人が扉を開けるから、そしたら運んで」
「へ、へい!」
リュウジィは苦笑した。




