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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第96話「店じまい」


 市場街ニシキから人の波が消え始めたのは、日が赤く傾き始めた頃だった。昼間には怒鳴り声で埋め尽くされていた石畳の大通りも、今は片付けの音が目立ち始めている。露店の店主たちは余った食材へ布を掛け、木箱を縄で縛り、売れ残りを荷車へ積み込んでいた。


「おいガキ! その箱そっちじゃねぇ!」


「今日赤字だわ……」


「酒場行く奴いるかー!」


昼の喧騒とは違う、仕事終わり特有の空気が市場を包んでいる。


そんな中、リッカは露店の前で大量の硬貨を数えていた。


「……よし」


積み上げた硬貨を革袋へ流し込み、深く息を吐く。


「結局今日もギリギリかぁ……」


そう呟きながら肩を回した瞬間、


「お疲れ様です」


「うわっ!?」

 

真横から声が飛んできた。リッカが振り向くと、黒のパンツスーツ姿の女――カエデが無表情で立っていた。


「……あんたまだいたの?」


「待っていました」


「嘘でしょ……」

 

リッカは思わず額を押さえた。


「普通帰るでしょ。あの流れなら」


「約束でしたので」

 

真顔だった。リッカは数秒黙り込み、


「……真面目過ぎて逆に怖いんだけど」


そう呟きながら露店の布を畳み始める。カエデはそんな様子を静かに見ていた。


「手伝います」


「え?」


「荷物運び」


「あー……じゃあその木箱お願い」


「はい」

 

カエデは木箱を持ち上げる。だが次の瞬間。

 

――バキッ。


「え?」


リッカの表情が固まった。木箱の取っ手部分が綺麗に千切れていた。カエデは無言で壊れた木箱を見下ろしている。


「(木箱の破片を拾い上げながら)……力加減を間違えました」


「いや怖っ!?」

 

リッカが思わず叫ぶ。


「何その怪力!? 人間!?」


「人間です」


「全然説得力無いんだけど!?」

 

リッカは頭を抱えながら壊れた木箱を回収する。周囲の店主たちも「何だ今の音……」とこちらを見ていた。


「……もういい。荷物は自分でやるから」


「申し訳ありません」


「そこはちゃんと謝るんだ……」

 

リッカは呆れ半分でため息を吐く。だが不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、この女を見ていると調子が狂う。無表情で怖いのに、どこかズレているのだ。


「で? 店って何の店なの?」

 

荷車へ木箱を積み込みながらリッカが聞く。


「飲食店です」


「酒場?」


「焼肉屋です」


「やき……?」

 

リッカが首を傾げた。聞き慣れない単語だった。カエデは少し考え、


「肉を焼いて食べる店です」


「いや肉は普通焼くでしょ」


「目の前で焼きます」


「……?」


リッカの顔に「何言ってんだこいつ」と書かれている。


「他にはキャバクラも経営しています」


「きゃば……?」


「酒を飲みながら女性と会話を楽しむ店です」


「……金持ち相手?」


「主に」


「うわぁ……」

 

リッカは若干引いた顔をした。


「なんか急に胡散臭くなったんだけど」


「よく言われます」

 

真顔だった。リッカは吹き出しそうになるのを堪える。


「……あんたさ、絶対市場向きじゃないよね」


「そうでしょうか」


「そうだよ。浮き過ぎ」

 

黒のパンツスーツを指差しながらリッカが言う。


「その服も何なの? 貴族?」


「違います」


「商人?」


「違います」


「じゃあ何」


「飲食店勤務です」


「そこだけ絶対譲らないよね!?」

 

ようやく荷物の積み込みを終え、リッカは荷車へ腰を下ろした。


「……で、どこまで話せばいいの?」


「(手帳を取り出しながら)借金額からお願いします」


「初手それ!?」


リッカが素っ頓狂な声を上げる。


「普通もっとこう……世間話とかあるでしょ!」


「重要事項かと」


「間違ってはないけど!」

 

カエデは真顔のまま続けた。


「昼間の男たち。恐らく非正規の金貸しです」


「……まあね」


「利率が異常でした」

 

リッカの顔から少し笑みが消える。


「見てたんだ」


「はい」


「……15000ゴルド」

 

ぽつりとリッカが呟いた。


「現在の借金総額です」


カエデは静かに計算する。露店商としては、かなり重い額だった。


「返済は?」


「毎日少しずつ。でも利息が増える方が早い」


リッカは乾いた笑みを浮かべる。


「まぁ、典型的なやつ」


「何故借りたんですか?」


「親父が死んだから」

 

あまりにも軽く言われた言葉に、逆に空気が止まった。


「露店ごと借金残してさ。逃げたかったけど、店畳んだら今度は食ってけないし」


リッカは空を見上げる。市場街の夕暮れは、赤黒く濁っていた。


「だから毎日ここで必死に売ってる」


「なるほど」


「反応薄っ!」


「事情は理解しました」


「理解早いなぁ……」


リッカは苦笑する。だがカエデは真剣だった。


「ちなみに帳簿は付けられますか?」


「話戻るの!?」


「重要ですので」


カエデは本気だった。リッカは数秒黙り込み、


「……独学だけど、一応」


そう答えた。その瞬間。カエデの目が僅かに鋭くなる。

 

 ――当たりだ。


そんな空気だった。


「15000ゴルドでしたね」


「え?」


「借金」


「あ、うん」


カエデは懐から革袋を取り出す。そして何の躊躇もなく、リッカへ放った。ズシリ、と重い音。


「……は?」


リッカが目を瞬かせる。革袋の口が少し開き、中から大量の硬貨が覗いていた。


「返済に使ってください」


「…………」

 

リッカの思考が止まる。


「いや、待って」


「足りませんか?」


「そういう話じゃなくて!?」

 

リッカが慌てて革袋を押し返す。


「何!? 怖っ!! 何なのあんた!?」


「(革袋を静かにリッカの手へ戻しながら)優秀な人材確保には必要経費です」


カエデは即答した。


「安いですね」


あまりにも自然に言われたその一言に、リッカは完全に固まった。


「…………は?」


「15000ゴルドで経理経験者を確保出来るなら破格です」


「いや意味分かんないんだけど!?」

 

リッカが叫ぶ。


「もっとこう……あるでしょ!? 騙すとか! 契約書とか!」


「逃げますか?」


「その質問怖いんだけど!?」


カエデは真顔のまま首を傾げた。


「逃げないのであれば問題ありません」


「問題だらけだよ!!」


市場街にリッカの叫び声が響く。だがカエデは相変わらず真顔だった。


「返済後、生活基盤を失う可能性があります」


「……え?」


「露店の利益率が低い。加えて借金返済分で手元資金が減る。このままでは再度借入する可能性が高いです」


淡々と。本当にただ計算結果を読み上げるように、カエデは言った。


「なので環境変更を提案しています」


「…………」

 

リッカが黙る。


「ちなみに給与は出ます」


「いやそういう問題じゃ――」


「住居もあります」


「ちょっと待って」


「食事付きです」


「待遇が良くなるほど怖いんだけど!?」


リッカが半歩下がる。だがカエデは構わず続けた。


「帳簿管理。売上確認。仕入れ補佐。人員管理補助」


「人員管理?」


「従業員数が増えましたので」

 

カエデは静かに言う。


「現在、管理出来る人間が不足しています」


「……」


リッカは思わず革袋を見る。15000ゴルド。自分が毎日必死に働いても、返済の終わりが見えなかった金額。それをこの女は、まるで昼飯代でも払うみたいに出した。


「……なんでそこまですんの」


小さく漏れた声。カエデは少しだけ考える。


「必要だからです」


「いやだからその必要の基準が怖いって!」


「あと、あなたは壊れにくそうです」


「は?」


「市場で一人で生き残っている」

 

カエデはリッカを真っ直ぐ見る。


「精神的耐久力が高い」


「……褒めてる?」


「はい」


「全然嬉しくないんだけど」

 

リッカは頭を抱える。だが、

 ――悪い話じゃない。

 

それも事実だった。借金は消える。寝る場所の心配も減る。食事付き。給料まで出る。普通なら飛び付く条件だ。問題は。


「……絶対ヤバい店でしょ」


「合法です」


「そこ即答する!?」


「税金も払っています」


「聞いてないんだけど!?」

 

リッカはとうとう吹き出した。笑うつもりなどなかった。だが駄目だった。


「ふっ……あはは……っ」


市場街の夕暮れの中。張り詰めていたものが少しだけ崩れる。カエデはそんな様子を静かに見ていた。


「……あーもう」

 

リッカは笑いながら額を押さえる。


「分かった。今日は逃げない」


「はい」


「でも働くとは――」


「(リッカの荷物を自然に持ち上げながら)では職場見学へ」


「……は?」


「現在、店舗分離中ですので」


「店舗分離?」


「元々、一階が焼肉屋、二階がキャバクラでした」


「だからその"きゃばくら"って何なの!?」


「酒を飲みながら女性と会話を楽しむ店です」


「うわ本当に胡散臭い」


「現在、焼肉屋を別店舗へ移転しています」


「……あー、それで人手足りないんだ」


「はい。経理と管理人員が不足しています」


そう言ってカエデは歩き始めた。迷いが一切無い。


「いやいやいや! 心の準備とかあるんだけど!?」


「問題ありません」


「何が!?」


市場街の喧騒を抜けながら、リッカは半ば引きずられるようにその後を追う。

 その時点ではまだ。自分の人生が、今夜を境に大きく変わることを、彼女は知らなかった。

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