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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第95話「市場街ニシキ」




店舗分離に伴い、リュウジィから新たに経理補佐を一人雇う許可を得たカエデは、人材探しのため王都最大の市場街《ニシキ》を訪れていた。


昼を過ぎても、ニシキは人の熱気で溢れていた。


石畳の大通りには露店が隙間なく並び、香辛料、干し肉、酒瓶、魔導具、他国の織物まで、ありとあらゆる商品が雑多に積み上げられている。


「道開けろ! 荷車が通るぞ!」


「120ゴルドだと!? ふざけんな、昨日は80ゴルドだっただろうが!」


「東国産の薬草だ! 偽物掴まされる前にこっち来な!」


怒鳴り声にも似た呼び込みが四方から飛び交い、値切り交渉をする商人たちの声が重なり合う。


昼間だというのに酒場は既に客で埋まり、酔っ払い同士の怒鳴り合いまで聞こえていた。荷車の車輪が石畳を軋ませ、店番の子供が客の間を駆け抜けていく。


中世ヨーロッパ風の石造りの街並みでありながら、この場所には王都特有の上品さなど存在しない。


あるのは、人の熱気とゴルドの音、そして剥き出しの生活だけだった。


そんな喧騒の中を、カエデは静かな足取りで歩いていた。


腰には二本の麟角刀《りんかくとう》。


艶のある黒髪を背中まで伸ばし、細い銀縁の眼鏡を掛けた女は、この世界では見慣れない黒のパンツスーツを身に纏っている。


王都の仕立て屋に、リュウジィがカエデ用に特注で作らせた、その衣装は、貴族服とも東国衣装とも違う。市場の荒くれ者たちが無意識に視線を向ける程度には、異様な存在感を放っていた。


だが、カエデは周囲から向けられる視線など気にも留めず、人の流れを冷静に観察していた。


彼女は商品を見ているのではない。


――人を見ていた。


数字を扱える人間はいる。


だが、"店の金"を任せられる人間は少ない。


カエデは通り沿いに並ぶ露店へ視線を向けながら、人混みの中を進んでいく。


立ち止まる者、急ぐ者、金を出す者、誤魔化す者。


人の動きを一人ずつ見極めながら、経理補佐として使える人間がいないか探していた。


その時だった。


「はいはい、干し肉三つで70ゴルド! ……って、おっさん10ゴルド足りないよ」


威勢のいい声が響いた。


通りの角にある露店で、一人の若い女が客を相手に立ち回っている。


年齢は二十歳前後。


栗色の髪を後ろで雑に束ね、袖をまくった姿で次々と客を捌いていた。


女は手のひらに硬貨を乗せて見せる。


「気のせいじゃないって。ほら、60ゴルドしかない」


女は笑いながら、男の手に硬貨を押し返す。


その間にも別の客へ釣り銭を投げ渡し、後ろの在庫を確認し、隣の露店と値段を比較して声を張り上げる。


「そっちより安くするから見てきなって!」


動きに無駄がない。


カエデは足を止めた。


――速い。


暗算だけではない。


客の財布。商品の回転。在庫の減り。人の流れ。


それら全てを同時に見ながら、女は次々と客を捌いている。


カエデはしばらくその動きを観察してから、人混みをかき分けて露店の前に立った。


「あなた、計算速いですね」


不意に声を掛けられ、売り子の女が顔を上げた。


「……は?」


「客の財布の中身を見て値段を変えてる。在庫確認も同時。釣り銭も間違えない」


カエデは淡々と続ける。


「独学ですか?」


女は一瞬だけ目を細めた。


――見抜かれている。


そんな表情だった。


女は視線をカエデから客へ戻した。


「悪いけど今忙しいんだわ。用があるなら買ってって」


そう言いながらも、女の手は止まらない。


「そっちの兄ちゃん! 干し肉触るなら買って!」


「1000ゴルド崩すからちょい待ち!」


「あーもう、横入りすんなって!」


次々と客を捌きながら、再びカエデを見る。


「で? 何なのあんた」


カエデは真正面から女の目を見た。


「働きませんか?」


カエデは真顔で言った。


「私の店で、経理補佐を探しています」


女は一瞬、言葉を失う。


「……いや、話飛びすぎでしょ」


女は呆れたように笑った。


「初対面で何なの? あんた」


「カエデです」


「名前じゃなくて」


即答だった。


カエデは小さく首を傾げる。


「経理経験者を探しています」


「いや、だからそういう話じゃなくてさ……」


女が額を押さえた、その時だった。


「おい」


低い男の声が割り込んできた。


振り向くと、三人組の男たちが露店の前に立っていた。


薄汚れた革鎧。腰には短剣。


いかにも市場街に居座る荒くれ者といった風貌だった。


「今日までだって言ったよなぁ?」


男がニヤつきながら言う。


「ツケ、払ってもらおうか」


女は露骨に顔をしかめた。


「……今商売中なんだけど」


「知るかよ」


頭の男が露店へ肘を乗せる。


積まれていた干し肉が崩れ、木箱が傾いた。


「あっ、おい!」


「払えねぇなら、別の形でもいいぜ?」


男たちが下卑た笑みを浮かべる。


周囲の通行人たちは視線こそ向けるものの、誰も止めようとはしない。


市場街では珍しくない光景なのだろう。


女は小さく舌打ちした。


「あと三日待ってって言ったじゃん」


「三日前も同じこと聞いたなぁ?」


男が笑う。


「そろそろ身体で払ってもらうしか――」


「三秒以内に離れてください」


静かな声だった。


男たちが動きを止める。


いつの間にか、カエデが男のすぐ横に立っていた。


細身の麟角刀《りんかくとう》が、男の手首へ静かに添えられている。


「……は?」


男が目を瞬かせた。


カエデは無表情のまま眼鏡を押し上げる。


「営業妨害です」


「な、何言って――」


ヒュッ――。


風切り音が響いた。


「ぎゃああああッ!?」


男の短剣が石畳へ転がった。


手首から血が噴き出している。


誰も、いつ麟角刀《りんかくとう》が抜かれたのか見えていなかった。


「ひっ……」


後ろの男たちが後退る。


カエデは血振るいすらせず、静かに麟角刀《りんかくとう》を下ろした。


そして、男たちを順番に見渡す。


「次は利き腕が飛びます」


無機質な声だった。


市場の喧騒が、一瞬だけ遠のいた気がした。


「て、てめぇ……!」


手首を押さえながら男が後退る。


だが目の前の黒髪の女は、一切表情を変えない。


細い銀縁の眼鏡。


黒のパンツスーツ。


そして、血の付いた細身の麟角刀《りんかくとう》。


その姿だけが、騒がしい市場の中で異様に浮いて見えた。


「まだ続けますか?」


カエデが静かに問う。


男たちの顔が引きつる。


見えていないのだ。


いつ抜いたのか。


どう斬ったのか。


何故、手首だけを正確に裂かれたのか。


「……っ、行くぞ!」


先頭の男が吐き捨てるように叫ぶ。


三人は逃げるように人混みの中へ消えていった。


残されたのは、妙な静寂だけだった。


「…………」


売り子の女が固まっている。


カエデは何事もなかったかのように麟角刀《りんかくとう》を鞘へ納めた。


そして露店の前へ戻る。


「これで落ち着いて話せますね」


「いや全然落ち着けないんだけど!?」


女が思わず叫ぶ。


「何!? 今の!? 怖っ!」


「脅しただけです」


「脅しで済む出血量じゃなかったでしょ!?」


周囲で見ていた通行人たちも、距離を空け始めていた。


「……あんた何者?」


女が警戒混じりに問い掛ける。


カエデは少しだけ考え、


「飲食店勤務です」


真顔で答えた。


「絶対違うでしょ」


女は呆れたように笑いながらも、先程までより警戒を解いていた。


少なくとも、自分を助けたことだけは事実だったからだ。


「……で? 本当に人探してんの?」


「はい」


カエデは頷く。


「計算が出来て、金をごまかさない人を探しています」


「随分限定的だね」


「貴重なので」


真顔だった。


女は思わず吹き出す。


「変な人……」


そう呟いてから、露店の木箱へ腰掛けた。


「私はリッカ」


「リッカ」


「そ。あんたはカエデだっけ」


「はい」


リッカは少しだけ考えるように視線を逸らす。


そして木箱に腰掛けたまま、腕を組んだ。


「……今日の店じまい終わったら、少しだけ話聞く」


そう言った。


カエデは静かに頷く。


「助かります」


市場街《ニシキ》の喧騒は、まだ止まらない。


だがカエデはようやく、"当たり"を見つけた気がしていた。





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