第94話「逆の生き方」
初めての冒険者活動を無事に終え、帰り道は何事もなくキングス・フォーンの街へと帰還した。
旅の終わり、ジャスパーがふろむ・えーの依頼料だけはどうしても受け取ってくださいと言うので、俺とタツヨはそれを受け取った。
別れ際、気紛れな旅団の三人と御者の四人が何度も頭を下げて見送った。
その誠実な背中が見えなくなるまで、俺たちは静かにそれを見届けた。
朝の街は眩しいほど活気付いていた。
透き通った朝日が重厚な石造りの建物の隙間から力強く差し込み、行き交う人々の長い影を路面へ幾重にも伸ばしている。
香ばしい挽き割られた穀物や保存食の干し肉の匂いが朝の冷気の中に微かに漂い、重量のある荷車を引く男たちの威勢の良い怒声や、活気とともに開け放たれた窓から漏れ聞こえる生活音が混ざり合って、街全体が新しい一日の始まりへと忙しなく動き出していた。
そんな賑やかな喧騒の中、足並みを揃えて並んで歩くタツヨがふとこちらを向き、鋭い瞳を細めて声をかけてきた。
「依頼なのに旅行みたいな感じだったな。お前、このまま家に帰るか?」
不意を突かれた問いかけに、俺は少し考えてから首を横に振った。
「いや、ちょっと武器屋に行こうと思って」
俺の言葉に、タツヨは怪訝そうに眉をひそめる。
「何か欲しい物あるのか?」
「ヴァルカリア兄弟用にミスリルのサーベル注文しようと思って」
仲間を思いやるその理由を聞き、タツヨは呆れたような、しかしどこか感心したような複雑な笑みを浮かべた。
俺が足を止めると、タツヨもつられて立ち止まった。
「お前面倒見いいね。お前見てると、何で現世で店潰したのかわからん」
その率直すぎる指摘に、俺は苦笑いを浮かべながら、過去の過ちを紐解くように静かに答えた。
「この世界に来て、現世とは逆の事やってるんだよ」
俺が足を止めると、タツヨもつられて立ち止まり、まるで俺の心の奥を覗き込むようにこちらを真っ直ぐに向き直った。
「逆の事?」
疑問を投げかける相棒の目を逸らさず、俺は自分の胸の内にある後悔と変化を言葉にしていく。
「現世で俺は店が儲かると、自分さえ良ければいいって思ってた。キャストや従業員には給料を払ってるんだから、それ以上のこと別にしなくていい。面倒なことや嫌な事はなるべくやらないで、好きな事だけやって人生逃げ切ってやろうと思ってた。でも、それが無理だとわかった時はもう遅かった」
胸を締め付ける苦い記憶を吐き出し、ふと隣を見る。
「タツヨはボクシングで日本チャンピオンになってるんだから凄いよ。俺とは違うよ」
図星を突かれたのか、タツヨは気まずそうに照れくさそうな顔をして、ふいと視線を逸らした。
「そうかよ。別に強くなりたい、認められたいってやってただけだ」
その謙遜を逃がさないように、俺は軽い調子で声をかける。
「謙遜するなよ」
気恥ずかしさを誤魔化すように、タツヨは大きく腕を振って俺の背中をガツンと叩いた。
「うるせえ。さっさと行くぞ」
背中に残る心地よい衝撃に背中を押されて、二人は再び石畳を踏みしめて歩き出した。
目的の武器屋へ向かう前、俺たちは予定していた靴屋へと足を向けた。
重厚な木製の扉を押し開けて店内に足を踏み入れ、棚に並ぶ無数の靴を一つ一つ丁寧に確認して一足を選び出す。
確かな重みのあるゴルドを払い、滞りなく会計を済ませた。
店を出ると、新調した包みを脇に抱えた俺を横目に、タツヨは首を傾げて怪訝な視線を向けてきた。
「何で靴なんて買ったんだ?」
疑問に答えるべく、俺は今まさに履いている靴を片足だけひょいと浮かせて見せた。
「このヒヒイロカネ入りの靴は転生したアグニ村の鍛冶屋と靴屋の合作なんだけど、ヘタって来たから武器屋で手入れして貰おうと思ってさ。やって貰えるかな?」
期待と不安を混ぜ合わせながら歩く俺の隣から、頼もしい声が返ってきた。
「大丈夫だろ?ただメンテナンスって言葉は通じないから、整備とか手入れって言えばいいんじゃない?」
カツカツと足音を響かせる石畳が続く街路を進むにつれ、朝の喧騒は一段と熱を帯びて増していった。
重い荷車を引く人々の足音と、遠くの工房から重低音で響く槌音が心地よく混ざり合う中、俺たちの目的の店は職人街の一角にひっそりと、しかし確かな存在感を放って構えていた。
そこはかつて、バッドのミスリルの剣を注文して見事な腕前で作ってもらった思い出の店だ。
俺は視線の先にある入り口の木製扉を指さした。
「ほら、印があるじゃん」
タツヨは目を細めて指し示された場所を凝視する。
「印?」
扉の木肌には、職人の誇りのように薄く菱形の印が誇らしげに彫り込まれていた。
「ドワーフの所で修行しましたって印だよ」
「そうなんだ。だからあの剣も出来が良かったんだな」
使い込まれて黒ずんだ鉄の看板が朝風に揺れ、鼻腔をくすぐるほどに香ばしい焼けた金属の匂いが周囲に漂ってくる。
二人は覚悟を決めるように扉の取っ手に手をかけた。
ギィ、と重い音を立てて中に入ると、武具特有の濃い油と引き締まるような冷たい鉄の匂いが一気に鼻を突いた。
薄暗い店内の所狭しと鋭い剣や長槍、重厚な防具が並び、奥の赤々と燃える鍛冶場からは魂を揺さぶるような規則正しい槌音が響き渡っている。
足音を立てずにカウンターに近づくと、奥の暗がりから初老の店主がひょいと顔を上げた。
バッドの剣を頼んだ時に一度だけ会った、あの頑固一徹だが確かな腕を持つ男だ。
使い古された厚い革エプロンを身に着け、灰と煤で汚れた手で無骨な金具を丁寧に磨いていた。
「お久しぶりです」
俺が声をかけると、店主は動きをぴたりと止めて目を細めた。
「おお、久しぶりじゃのう。リュウジィじゃったか?で、今日は何か欲しい物があるのか?」
頼もしい眼差しで見つめ返す店主に、俺はしっかりと要望を伝えた。
「ミスリルで両手持ちのサーベルを二本お願いしたいんですが」
「ミスリルのサーベル?勿論出来るが、なにか希望はあるかな?」
職人の血が騒ぐのか、店主は手際よく筆を手に取った。
俺は頭の中でイメージを巡らせてから続けた。
「ポンメルに狼の彫刻を入れてよ。後は任せます」
店主はすべてを察したように不敵に唇の端を持ち上げた。
「この前のロングソードと同じじゃな?任せとけ」
心強い返事をもらい、俺はさらにポケットから取り出すようにして本題を切り出した。
「それとこの靴ちょっとヘタってるんだけど何とかならないかな?」
俺はその場で履いていた靴を器用に脱ぎ、ずっしりと重みのあるそれをカウンターの上にそっと置いた。
店主はそれを受け取り、一瞬怪訝な顔をしたものの、すぐにプロの目つきに変わり、手慣れた手つきで革の質や擦り切れた縫い目を確かめ、さらに靴を逆さまにして内部をじっと覗き込んだ。
次の瞬間、店主の息がわずかに詰まった。
「……おい、お前さん。この仕込み方は……ヒヒイロカネ(緋緋色金)か?こんな所に希少金属を惜しげもなく使う奴がいるなんてな。驚いたよ、随分と贅沢な代物だ」
職人としてのプライドを刺激されたのか、店主は靴を手にしたままごつい顎に手を当て、険しい表情でしばらく考え込んだ。
「ヒヒイロカネを扱える職人となると、俺の知り合いの靴屋に話を通さんといかん。少し時間が掛かるが、構わんか?」
「お願いします。何日くらいかかりますか?」
店主は天井を見上げながら、慎重に日数を算段する。
「そうじゃな……一週間は見ておいてくれ」
「わかりました」
俺は大切な相棒である靴をカウンターに預け、タツヨとしっかりと並んで店を後にした。
目覚めたばかりの朝の職人街に、カンカンとリズミカルな槌音が力強く響き渡っている。
特別なイベントが起きるわけでもない、本当にただの日常の朝だった。
それでも、いま歩いているこの道は不思議と悪くない、俺は心の底からそう思った。
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