第91話 アトラスの豪腕
翌朝。
指定された待ち合わせ場所へと足を向けると、大量の荷物を積み込んだ大型の荷馬車が四台、静かに車体を並べて停車していた。
ずらりと並ぶ荷馬車の陰では、ジャスパー、オリオン、アミリの三人がすでに待機し、出発の準備を整えている。
その傍らでは、一足先に到着していたタツヨが、冷たい朝の空気を切り裂くように軽くシャドーボクシングを繰り返していた。
「おはよう! 今日は宜しくお願いします」
リュウジィが爽やかに声をかけると、ジャスパーは慌てて向き直り、深々と頭を下げた。
「こちらこそ宜しくお願いします。昨日、本当にアイテムボックスありがとうございました。大事に使います」
「あれ、あんなサイズなのに、物を出し入れする時に、ガバッと開くんだね。驚いたよ俺」
リュウジィが率直な感想を口にしていると、ちょうどシャドーボクシングの区切りをつけたタツヨが、リズミカルな足取りで歩み寄ってきた。
「おはよう! 調子はどうよ」
「ワクワクだよ」
リュウジィが弾んだ声で答えると、タツヨは闘争心を隠そうともしない笑みを浮かべた。
そして、握り直した拳を見つめるようにしながら、物騒な言葉を口にする。
「本当だよな、山賊とかゴブリンとかトロールとか100匹ぐらい襲ってこないかなぁ」
あまりにも物騒な冗談に、ジャスパー、オリオン、アミリの三人は思わず肩を揺らし、揃って吹き出した。
オリオンが苦笑いを浮かべながらツッコミを入れる。
「そんな来たら、皆死んじゃいますよ」
「大丈夫、大丈夫。俺が一人で撃退するから」
タツヨは微塵の揺らぎもない様子で、自信満々に言い切った。
やがてジャスパーが手際よく全員の持ち場を割り振っていく。
「先頭はオリオンと俺で、二台目がタツヨさん、三台目がアミリ、四台目にリュウジィさんでお願いします。アミリ、サーチ魔法宜しくな」
「はいよ!」
アミリが元気よく返事を返すと、リュウジィは興味津々な面持ちで首を傾げた。
「サーチ魔法って何?」
「半径100メートル以内、荷馬車に近づいてくる物体がわかる魔法です」
「うそっ! やっぱり魔法って凄いね」
リュウジィが目を輝かせて感嘆の声を漏らすと、アミリは少し照れくさそうに視線を落とした。
「私は支援魔法と回復魔法がメインで、攻撃魔法は風魔法をちょっと使える程度なんで、けして凄くは……」
「そんな事ないよ、なあタツヨ凄いよな」
リュウジィが力強く同意を求めると、タツヨも深く頷いてそれに同調した。
「おお! 凄いよアミリちゃん、ゴブリン100匹サーチね」
あまりのスケールの大きさに、ジャスパーは思わず困ったような笑みを浮かべて応じた。
「勘弁して下さい」
それぞれの持ち場へと分かれたメンバーが馬車に乗り込み、やがて車列はゆっくりと動き出した。
石畳が敷き詰められた王都の街並みが、少しずつ背後へと遠ざかっていく。
建物の数も次第にまばらになり、やがて街道はなだらかな土の道へと変わっていった。
周囲の景色も、広大な草原とぽつん、ぽつんと点在する木々ばかりの風景へと移り変わっていく。
リュウジィは荷馬車の荷台にゴロゴロと寝転がり、どこまでも続く雲ひとつない青空を見上げていた。
規則的な荷馬車の揺れは心地よく、そのまま身を委ねているうちに、リュウジィは深い眠りへと落ちていった。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
不意に響いたアミリの張り詰めた声で、リュウジィはハッと目を覚ました。
「右斜め前方から大型の何かが来ます。皆さん気をつけて下さい!」
荷馬車の上から身を乗り出して告げるアミリの声に、リュウジィは飛び起きるように上体を起こした。
慌てて立ち上がり、指し示された右斜め前方へと目を凝らす。
遮るもののない平原の向こうに、その姿はすぐに捉えられた。
圧倒的な質量を感じさせる体長は、五から六メートルにも及ぶ。
全身はごわついた毛に覆われ、下顎の奥歯からは凶悪な上向きの牙が剥き出しになって生え揃っている。
「あれ? 何か顔がキングオーグに似てるな。でもあんな毛に覆われてないしな」
ピタリと四台の荷馬車が停止した。
御者台から身を乗り出したジャスパーが、血相を変えて叫ぶ。
「ワイルドオーグだ! 皆気をつけて」
まだモンスターとの間には距離があるものの、オリオンはすでに一足早く弓を構え、戦闘態勢に入っていた。
ジャスパーは険しく顔を歪め、歯噛みしながら呟く。
「全く何でこんなところにいるんだ。ついてないな」
「そんなに遭遇しないモンスターなのか?」
タツヨがすかさず疑問を投げかける。
ジャスパーは前方から目を離さないまま、緊迫した声で答えた。
「魔族の国の国境近くとかなら目撃例はありますが、こんな場所には、俺も遭遇するのは二回目です」
「強いのか?」
「武装した冒険者20人がかりでもけっこうヤバいです」
その恐ろしい説明を聞き終わるやいなや、タツヨは楽しげに口の端を吊り上げた。
「なら俺がちょっと倒して来るよ」
予測不能な行動に出ようとするタツヨの気配を察し、ジャスパーは慌てて両手を激しく振った。
「ちょっ! ちょっとヤバいです。リュウジィさん、タツヨさんを止めて下さいよ」
しかし、止められる側のリュウジィはどこ吹く風といった様子で、荷馬車の木枠にのんびりと背中を預けている。
「大丈夫、大丈夫、見てたらわかるよ」
平然と言い放つリュウジィの胸中では、かつての激闘の記憶がふと蘇っていた。
アズマリアのオーガに比べたら大した事ないな。
その言葉を胸に、リュウジィはただ静かにタツヨの姿を見送る。
ひとり歩み出すタツヨの背に向けて、アミリが必死の声を張り上げた。
「タツヨさん、強化魔法かけますから!」
振り返りもせず、タツヨは片手を軽く振ってみせる。
「いらないよ。皆は横になって見てなよ」
一歩、また一歩と距離を詰めながら、タツヨは両方の前腕を体の前で交差させた。
「頼むぜ! アトラス!」
その瞬間、タツヨの両手首に嵌められていた青いブレスレットが激しく形状を変え、眩いメタリックブルーのガントレットへと変貌を遂げた。
頑丈な装甲が、タツヨの前腕から拳にかけてのすべてを完全に覆い隠す。
地響きを立てながら、ワイルドオーグが凄まじい殺意の唸り声を上げた。
そして、猛烈な勢いで突進してくる。
「バリバリ撃ちまくって、ボコボコに凹ましてやるよ、この豚イエティ!」
突進の勢いそのままに、巨大な怪物が太い前腕を大きく伸ばし、タツヨの身体を強引に捕らえようと襲いかかった。
だが、タツヨはその巨体の突撃を紙一重の身のこなしで軽々と躱す。
凄まじい踏み込みとともに左の拳を突き出し、狙い違わず、相手の膝関節の正面へと直撃させた。
生々しい破壊の音が周囲に響き渡る。
グシャ!!!
「グキャアアアア!」
致命的な衝撃に、怪物は耐えきれぬ悲鳴を上げた。
その巨体がガクンとバランスを崩し、前のめりに沈み込む。
タツヨはその隙を寸分たりとも逃さない。
瞬時に地面を蹴って宙へと跳躍すると、完全に体勢を崩したオーグの巨大な下顎めがけ、渾身のジャンピングアッパーを叩き込んだ。
金属音のような破壊の響きが空気を震わせる。
バキィッッッン!!!
凄まじい衝撃の威力によって、五メートルを超える巨体そのものが宙へと大きく弾き飛ばされた。
タツヨは舞い上がった空中で身軽に身体をひねる。
自身の全体重と漲るパワーのすべてを右の拳へと一点集中させ、落下していく巨獣の顔面を、正面から容赦なく叩き潰した。
爆音のような衝撃音が響き渡る。
ゴォォォッン!!!
打撃を受けた顔面から、無数の生々しい肉片が周囲へと四散した。
重力を無視するかのように数メートル後方へ吹き飛ばされた巨体は、そのまま地面に激しく叩きつけられる。
土煙が舞い上がった。
そして、その巨体は二度と動かなかった。
完全に絶命した魔獣の残骸を目の当たりにして、ジャスパー、オリオン、アミリの三人は、その場に立ち尽くした。
ジャスパーはポカンと口を開けたまま声すら漏れず、オリオンは構えていた弓を力なくゆっくりと下ろしていく。
アミリは両手で自身の口をぎゅっと覆ったまま、恐怖と驚愕に絶句していた。
一方のタツヨは、すっかり静まり返った戦場で、今しがた大暴れしたばかりのガントレットをはめた自分の拳をしげしげと見つめていた。
そして、不満そうに息を吐き出す。
「なんだよ! もっと殴りたかったのに。死んじゃったよ」
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