第90話 ウロボロスの産声
建物内の空気が、音を立てて凍り付いた。
掲示板に群がっていた者たちも、カウンターの周辺で息を潜めていた者たちも、一斉に動きを止める。驚愕に目を見開いたまま、誰もがタツヨたちへ視線を釘付けにしていた。
広間は奇妙な静寂に包まれ、先ほどまで響いていた人々の話し声さえ、すっかり消え失せている。
「お前いきなり無茶すんなよ。ヤクザ映画じゃないんだからさ」
呆れたようにため息を吐くリュウジィの横で、タツヨは冷ややかなほど落ち着き払った顔をしていた。
静かに息を整えながら、足元に倒れている男たちを見下ろす。
「いいんだよ、最初が肝心なんだ。舐められたままじゃ、まともな仕事も回ってこないだろ」
タツヨの足元では、二人の男が無様な格好で地に這いつくばっていた。
突き刺さるような衝撃の余韻に腹を抱え、満足に呼吸すらできない。その身体は恐怖に震え、二人ともすぐには立ち上がることができなかった。
「おい! いつまで寝てんだよ。さっさと起きろ」
冷たい視線を投げかけながら、タツヨは足元に転がる男の傍らで怯えているもう一人へ、容赦のない声を叩きつけた。
「お前らのランクは?」
「……ウッ、C……Cランクです……」
苦しそうに顔を歪めながら、男は途切れ途切れに答えた。
「Cランク? じゃあ大したことねえな! 目障りだからさっさと消えろ」
タツヨが重く踏みつけていた足をスッと退ける。
解放された男たちは、這うようにして互いにしがみつき、お互いの肩を支え合いながら、その場から逃げるように消えていった。
再び広間に静けさが戻る。
しかし、先ほどまでとは明らかに違っていた。
掲示板の前に立つ二人へ向けられているのは、遠巻きに探るような視線だった。警戒と畏怖が入り混じったそれは、まるで不用意に近づくことをためらっているかのようだった。
そんな緊迫した空気を切り裂くように、奥のテーブルに陣取っていた三人組の一人が、意を決した足取りでこちらへ歩み寄ってきた。
「お二人ともまだ依頼決まってないんだったら、俺達の依頼一緒にやりませんか?」
突然の申し出に、リュウジィはわずかに眉をひそめ、静かに首を横に振った。
「誘ってくれるのは有難いけど、俺達、長期間の依頼は出来ないよ」
「3日もあれば余裕で終わるんですが」
食い下がる男の真剣なまなざしを受け、タツヨはわずかに思案する色を見せる。
そして、隣にいるリュウジィと顔を見合わせた。
「俺達Eランクだけど大丈夫なのか?」
「依頼の条件が、Dランク冒険者三人で合計五人の依頼なんですが、この街で合流するはずだった二人が来れなくなってしまったので」
男はどこか切実な笑みを浮かべると、仲間を呼ぶために背後のテーブルへと振り返った。
そこに座っていた二人も立ち上がり、足並みを揃えて歩み寄ってくる。
三人が揃ったところで、最初に声をかけてきた男が代表して、真っ直ぐに頭を下げた。
「俺達、『気紛れな旅団』というパーティーです。俺がリーダーのジャスパー。右から弓使いのオリオン、魔法使いのアミリです」
「『ウロボロス』のリュウジィとタツヨジョージです」
静かな空気の中で、互いに頭を下げて挨拶を交わす。
先ほどまで張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
その瞬間、タツヨの鋭い瞳が、次の核心をとらえた。
「依頼内容は何?」
「この王都から食料、薬品、洋服、雑貨などを商業都市アメヨコまで運ぶさいの護衛です」
その目的地の名を聞いた瞬間、リュウジィとタツヨは思わず息を呑んだ。
互いに顔を見合わせることはしなかったものの、胸の奥から込み上げてくる笑いを必死に堪えているのは同じだった。
(アメ横?上野かよ!てかこう言いう記憶はあるんだよなぁ)
「是非やらして下さい」
「助かりました。依頼を受けたけど人数足りなくて、どうしようかと思ってたので」
ジャスパーの強張っていた表情が、心からの安堵に緩む。
「出発はいつから」
「明日の朝からです」
「「了解!」」
重なる二人の声には、これから始まる旅への静かな高揚感が宿っていた。
待ち合わせの細かな手順を確認し、話を終えた五人は「ふろむ・えー」の扉へと向かう。
その途中、リュウジィはオリオンたちが背負っている荷物の異常な多さに気づいた。
「何でそんな荷物が多いの?」
不思議そうに尋ねるリュウジィに、オリオンは少し気恥ずかしそうに苦笑した。
「僕らアイテムボックスないんで、仕方ないんですよ」
「アイテムボックスなんてあるの?」
「ええ、武器屋に置いてありますよ。高価ですし、小さいですから店頭には置かないですけどね」
その言葉の端をとらえたタツヨが、興味深そうに目を細める。
「いくらすんの?」
「10万ゴルドぐらいです」
「なんだそんなもんか。じゃあリュウジィと二つ買って一つやるよ。なぁリュウジィ」
「初めての依頼の記念にいいよ」
あまりにもさらりと告げられたその言葉に、アミリは息を呑んだ。
10万ゴルドという金額を軽々しく扱う二人の様子に、信じられないものを見るように大きく目を見開く。
「本当ですか! 貴方達何者ですか?」
絶句していたアミリが、驚きを隠せないまま問いかける。
それに対して、タツヨはニッコリと笑った。
「俺達か? 俺達はパーティー『ウロボロス』」
その言葉を聞いた三人は、戸惑いと驚愕の入り混じった表情を浮かべた。
それでも五人は、そのまま近くの武器屋へと向かった。
そこで手渡されたのは、現世のお守りを一回り大きくしたような、手のひらにすっぽりと収まる小さなポケットサイズのものだった。
タツヨからその一つを受け取ったジャスパーたちは、あまりにも分不相応な厚意に言葉を失った。
そして、何度も深く頭を下げ続ける。
「これだけの物を頂くわけには……。せめて道中の食料などは自分達ですべて用意させてください」
胸いっぱいの感謝と、震えるほどの恐縮を滲ませながら、彼らは幾度もお辞儀を繰り返した。
そして、明日の朝の再会を固く誓い合うと、それぞれの帰路へと散っていった。
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