第89話:ふろむ・えー
二日後。
俺はタツヨと待ち合わせをして、王都の通りを歩いていた。新居への引っ越しを終えたタツヨは、心なしか足取りが軽い。
「引っ越し、無事に終わったみたいだな」
「ああ、カエデちゃんが良い物件を見つけてくれて助かったよ。これで腰を据えて動ける」
俺たちは目的の場所を目指して、石造りの建物が並ぶ区画へと入っていく。通りを行き交う人々の姿も、それまでとは少し違っていた。武器を身につけた者や、使い込まれた装備を着込んだ者が目につく。
「ところでタツヨ。冒険者登録するなら、パーティー名が必要になるだろ。どうする?」
タツヨは足を止め、腕を組んで考え込んだ。
少しの沈黙の後、ニヤリと笑って俺の肩を叩いた。
「俺とお前だぜ? だったら、こっちの奴等に通じない言葉だけど、2匹の龍で『ウロボロス』にしないか? 二人とも名前に龍が入ってるしな」
俺も少し考えてから頷いた。
「ウロボロスか。かっこいいなそれ。それにしよう」
方針が決まったところで、見慣れた建物が見えてきた。入り口には大きな「A」の文字が掲げられている。
「あそこだ。前も一回来たけど、相変わらず人が多いな」
「へえ、あそこが『ふろむ・えー』か。確かに賑わってやがる」
案内された「ふろむ・えー」は、周囲の建物と同じく無骨な石造りだが、入り口付近には独特の喧騒が漂っている。
俺たちがその大きな門をくぐり、中へと足を踏み入れた瞬間だった。
掲示板に群がっていた連中や、談笑していた冒険者たちの視線が、一斉に俺たちへと注がれる。
だが、その視線はどこか冷めていた。
この世界、上位ランクになれない冒険者なんて、現世で言えばただのフリーターだ。実際には、その日暮らしの仕事を探してくすぶっている連中ばかり。
そんな「掃き溜め」特有の、焦燥感と倦怠感が混ざった空気が、建物内の端々にまで沈殿していた。
連中の視線も一瞬のことだった。
俺たちに特別な興味を持つ理由もなかったのだろう。彼らはすぐにそれぞれの用事へと戻り、再び建物内に騒がしさが戻ってくる。
周囲の様子を油断なく一瞥してから、俺は口を開いた。
「……さて、行くか」
「ああ」
俺たちは騒がしい広間を横切り、正面にある受付カウンターへと向かった。
「すいません、冒険者登録をお願いしたいんですが」
俺が声をかけると、受付の職員は慣れた手つきで二枚の羊皮紙を差し出してきた。
「新規登録ですね。まず、お二人とも最初はEランク、つまり初心者からのスタートになります。実績を積めばランクは上がりますが、最初は受けられる依頼に制限がありますのでご了承ください」
説明を受けながら、俺たちは差し出された羊皮紙を広げた。
羊皮紙にはいくつかの記入欄が並んでいる。名前やパーティー名など、必要な情報を書き込む形式になっているようだ。
俺は備え付けのペンを手に取った。
「この項目を埋めればいいんだな」
「ええ。お名前と、パーティーを組まれるのであればその名称もお願いします」
名前の欄に、俺は自分の名を書き込む。
そしてパーティー名の欄には、先ほどタツヨと決めたばかりの「ウロボロス」の文字を力強く書き込んだ。
書き終えた羊皮紙をカウンターに差し出す。
「これでお願いします」
「俺も書けた。パーティー名は、こいつと同じだ」
タツヨも書き終えた紙を横に並べた。
職員はそれを受け取り、二枚の羊皮紙に目を通していく。
「リュウジィ様とタツヨ様ですね。パーティー名は……『ウロボロス』。はい、受理いたしました」
職員は受理の印を押し終えると、顔を上げて背後の壁際にある巨大な掲示板を指差した。
「募集はあちらです。Eランクの募集は一番右側になります。冒険者以外の募集も貼ってありますので、お間違えないようにしてください」
「一番右ですね、了解です。行こうか、タツヨ」
俺たちは職員に軽く会釈をして、掲示板へと歩き出した。
一番右端、Eランクの依頼が並ぶコーナーには、頼りない紙切れがいくつか貼られている。
一枚の依頼書を指差して、タツヨが言った。
「これなんかいいじゃないか? 『薬草採集』!」
俺は即座に突っ込んだ。
「いいね! なわけないだろ? 俺たちはこの世界を見に来たんだ。農民やりに来たんじゃないんだからさ」
俺も負けじと、隣にあった別の依頼書を指差す。
「タツヨ、これいいんじゃない?
『迷子の黒猫探し』」
「ふざけんなよ、ワクワク動物ランドかよ!」
あまりに落差のある依頼内容に、俺たちは顔を見合わせ、声を上げて爆笑した。
金は腐るほどある。
だからこそ、この「初心者用」の微妙なラインナップが、逆に可笑しくて仕方がなかった。
だが、その笑い声を遮るように、背後から無骨な声が叩きつけられた。
「おい、邪魔だ! どけよ」
笑い声が途切れる。
振り返ると、そこには不機嫌そうな顔をした二人組の冒険者が立っていた。装備の使い込まれ具合からして、それなりの経験を積んでいるようだ。
大柄で髭を生やした男が、俺たちを威圧するように見下ろし、ぶっきらぼうに口を開いた。
「おい小僧ども、ランクは?」
タツヨは悪びれる様子もなく答えた。
「さっき登録したばかりのEランクです」
タツヨが正直に答えた瞬間、髭の男と、その仲間らしき男が顔を見合わせた。
そして、堪えきれないといった様子で吹き出した。
「ハッ、雑魚か? 雑魚はどけ! 邪魔なんだよ」
男はそう吐き捨てると、わざと肩をぶつけるようにして、俺たちの間に強引に割り込もうとしてきた。
その瞬間だった。
タツヨが踏み込んだ。
一歩。
ただ、それだけだった。
だが、その一歩でタツヨの姿が男たちの視界から消えた。
「な――」
男が声を上げるより早い。
次に二人の目に映った時には、タツヨはすでに二人の間をすり抜けていた。
――ドンッ! ドンッ!
遅れて、二発の衝撃音が広間に叩きつけられた。
「が、はっ……!? ぐうっ……!」
男たちの身体が同時に大きく折れ曲がる。
何が起きたのか、二人には理解できていない。
すれ違いざま。
タツヨの拳が、それぞれの腹へ深々と突き刺さっていた。
その一撃は、ただ身体の表面を殴ったものではない。
踏み込みによって生まれた凄まじい勢いが、そのまま拳へ乗っている。
二人の身体が、拳を受けた場所を中心にくの字へと折れ曲がった。
「ぐ……っ!」
まともな悲鳴すら出せない。
男たちは腹を押さえることもできず、その場で力を失ったように崩れ落ちる。
ドサッ!
二人が床へ落ちた。
そこでようやく、周囲の人間が何が起きたのかを理解し始める。
タツヨが踏み込んでから、二人が倒れるまで。
ほんの一瞬。
いや。
目で追うことすらできないほど、一瞬の出来事だった。
数瞬前まで喧騒に包まれていた建物内が、急速に水を打ったように静まり返る。
誰もが目の前で起きた出来事に言葉を失っていた。
その沈黙を破るように、係員が慌てて飛んできた。
血相を変えた係員が、切羽詰まった声を上げる。
「な、何をしてるんですか……っ! ふろむ・えー内で暴力行為は困ります!」
すっと飛んできた係員の制止の声を、タツヨは耳に入れていないかのように一瞥すらしなかった。
タツヨはのたうち回る男の後頭部を、靴底で容赦なくグリグリと踏みにじった。
「おい! そこに座ってるてめえら全員だ! よく聴け!」
タツヨの低く威圧的な声が、静まり返った空間の隅々まで容赦なく響き渡る。
タツヨは顔を上げ、広間全体を鋭く睨み据えた。
「俺たちはEランクパーティーの『ウロボロス』だ!
その言葉が広間に響き渡る。
Eランク。
登録したばかりの新人。
それなのに、目の前では二人の冒険者が一瞬で叩き伏せられている。
その圧倒的な実力を目の当たりにし、掲示板の周りを陣取っていた連中は、誰一人として声を発することができなかった。
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