第87話 リュウジィの告白
静まり返った室内で、ツキノが俺の腕の中に顔を埋めたまま、静かに口を開いた。
「私、リュウジィより歳上だし、汚れた女だからさ。彼女にしてなんて言わないから。だから愛人でいいよ。贅沢しなくていいからさ」
その言葉に対し、俺は喉の奥が詰まるような感覚を覚えた。
「愛人ってさ、そんなのさ……」
「それに、この仕事辞めようと思ってさ。何かもう、好きでもない男の相手するの疲れちゃったんだよね」
ツキノはそう言って、裸のまま俺を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。
「まず、愛人は無理だよ。そういうの好きじゃないし。それに、別に俺は汚れた女なんて思ってない」
(俺、不思議と現世の時から偏見ないんだよね)
心の中で事実を確認しながら、俺は言葉を続けた。しかし、ツキノは俺の拒絶を別の意味に捉えたのか、小さく肩を落とした。
「そうだよね。やっぱり、駄目だよね」
「(逃げようとする彼女の肩を掴んで引き止める)なら、俺のことを話すか。ツキノさん、今から話すことを知ってるのは、最近アズマリアから付いて来たタツヨ・ジョージって男だけだ。俺と同じ境遇だから。秘密を守れる?」
「改まって何?」
「(念を押すように聞き返す)秘密を守れる?」
「わかった。絶対誰にも言わない。話してみて」
俺は、自分が転生者であることを伝えた。
現世では今と同じスタイルの店、キャバクラを経営していたこと。経営に失敗して借金まみれになったこと。中身は四十六歳の男であり、趣味として形意拳を修めていたこと。さらに、経営破綻後の空港警備員の仕事中に撃たれ、この世界へ来たこと。
加えて、この世界に来た際に「忘れの呪い」にかかっている事実も伝えた。完全な記憶喪失ではないが、ところどころの記憶が欠落している。
俺は、抱えていたすべての事実を彼女に明かした。
ツキノがルビー色の瞳で、俺をじっと見つめてきた。俺の胸元に触れる彼女の指先が、微かに震えている。
「だから私は、貴方に惹かれたのね」
「それはわからないけど。中身は四十六歳のおっさんなの、俺は」
ツキノは、ふふっと声を立てて笑った。
「俺、愛人とかそういう扱いしたくないからさ。だけど、子供を作って家庭を持ちたいとかもないんだよね。多分、消えた記憶の中にその理由があると思う」
「(正面から真っ直ぐに見据える)そんな俺でもいいの?」
俺の問いに、ツキノは再び俺を強く抱きしめた。俺は彼女の背に手を回し、密着した肌の温かさを感じながら、さらに言葉を重ねた。
「それとさ、店を経営しててあれなんだけど。冒険者とかもやってみたいと思ってるんだよね。もちろん何ヶ月も店を空けることはないけど、そんな時でも待ってられるか?」
「(俺の胸に顔を埋めたまま、小さく頷く)いいよ、待ってる。リュウジィが戻る場所なら、どこでも」
彼女は顔を上げると、潤んだルビー色の瞳で俺を見つめ、微かに微笑んだ。
「後さ、店に来た時にリナの相談に乗ってるって聞いたけど、本当?」
「リナさん、二階から降りてきてさ。『お客さんを飽きさせないのはどうしたらいいですか?』とか『自分に似合う服はどんな色ですか?』とか。聞かれたことは答えてるよ」
「だったらさ、もう男の接客はしたくないんだろ? 今、店を焼肉屋とキャバクラに分けることにしたんだよ。ツキノさ、男装してキャバクラの相談役として、俺の店で働かない?」
(アドバイザーって言っても通じないだろうしな)
「男装……?」
ツキノは意外そうな顔をして、瞬きを繰り返した。
「絶対似合うと思うんだよね。俺の彼女として働かない?」
「(顔をパッと輝かせて)彼女にしてくれるの?」
ツキノは嬉しそうに声を弾ませ、俺の首に腕を回した。
「(彼女を見つめながら、ゆっくり頷く)うん。これからよろしくね」
俺は空いた方の手で、彼女の肩を引き寄せた。
「(少し決まり悪そうに目をそらす)まあ、おっさんで良ければだけど。これからは一緒に店を作っていこう」
俺はふと思い至り、密着した彼女の肩に手を置いたまま尋ねた。
「普通はこういうことは聞かないと思うんだけど、教えて。ここロクメイカンは売られて来たとかで働く所じゃないよね? 自分の意思で皆働いてるじゃない? 何故、働こうと思ったの?」
「(自嘲気味に苦笑いする)よくある話よ。十八歳の時に好きな男と一緒に、この国の南の村から王都に来たの。でもその男は、すぐ違う女を作ってどこかへ消えた。悔しくてさ。それで見返してやろうと思って、ここに来た」
彼女は視線を斜め下へ落とし、当時のことを思い出すように言葉を続けた。
「最初は断られたわ。でもたまたま店の前で、当時ロクメイカンのナンバーワンだったツキノ・ヒカル姉さんに拾われて。しばらく付き人をしていたの。ヒカル姉さんが辞める時に『ツキノ』の名前を貰って、ツキノ・ミライになったのよ」
俺は彼女の横顔を見つめた。今の凛とした彼女が、かつては一人の男に裏切られ、どん底から這い上がってきた事実を知り、その精神的な強さに改めて気づかされた。
「しばらくして、店の前に私を捨てた男が待ち伏せしててさ。『俺が悪かった、やり直そう』って言ってきたのよね。その時思ったのよ。『この男のどこが好きだったのかしら』って……。そんな感じかな」
「(黙って彼女の体を自分の方へ抱き寄せ、静かに告げる)全部話してくれてありがとう。俺は居なくならない。大丈夫だよ」
ツキノの体が、一瞬だけびくりと震えた。俺の首に回された彼女の腕に、さっきよりも強い力がこもる。
(この世界に来てから、俺はある意味ずっと一人だったからな)
俺は、彼女の背中の確かな体温を感じながら、静かに目を閉じた。窓の外から聞こえる王都の喧騒が、今は遠くの出来事のように思えた。




