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46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


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第76話:アズマリアの幕引き




 深い闇の底から、ゆっくりと意識が浮上した。

 最初に戻ってきたのは嗅覚だった。鼻腔を突く強い消毒薬の匂いと、微かに混じる鉄錆の残り香。

 リュウジィが重い瞼を押し上げると、視界に入ったのは見慣れない石造りの天井だった。


「……気がついたか」

 

横から低く、枯れた声が響いた。

 首を動かそうとしたが、全身がひどく重い。まるで鉛の塊になったような感覚に顔を顰めながら、リュウジィは声の主へ視線を向けた。

 そこにいたのは、白衣を纏った一人の初老の男だった。

 深く刻まれた眉間の皺と、眼鏡の奥にある鋭い眼光。アズマリアの闘技場専属の治癒士ヒーラーだ。

 

男は手元の水差しからコップに水を注ぐと、リュウジィの背中に手を添えて、無造作に上半身を起こさせた。


「無理に動くな。何か分からないが、体内のエネルギーをを使い果たした影響で、お前の肉体は今、空っぽの器と同じだ」

 

差し出された水を喉に流し込む。冷たい感触が体内に染み渡り、ようやく人心地がついた。

リュウジィは掠れた声で、短く問いかけた。


「……オーガは」

 

治癒士の男は、短く鼻を鳴らした。


「死んだよ。お前が文字通り肉片に変えたって、後片付けに当たった連中が真っ青な顔で報告に来たぞ」


「……そうか。死んだか」


リュウジィは短く応じ、背もたれに体を預けた。

 死闘の記憶が断片的に脳裏をよぎるが、実感が湧かない。

 その時、診療所の重い扉が勢いよく開き、廊下から騒がしい足音が近づいてきた。


「おい! リュウジィ、生きてるか!?」

 

聞き慣れた不敵な声が、静かな部屋に響き渡った。

 入り口に立っていたのは、タツヨだった。

 全身を分厚い包帯で固められ、痛々しい姿ではあるが、その足取りは力強い。

 オーガに叩き潰され、過酷な状況を彷徨っていたはずの男が、不敵な笑みを浮かべてそこに立っていた。


「……タツヨ。お前、動いて大丈夫なのかよ」

 リュウジィの呆れたような問いかけに、タツヨは包帯まみれの腕を軽く振ってみせた。


「治癒士のおっさんが優秀でよ。骨は何箇所か繋がったし、内臓の破裂も魔法で無理やり塞いでもらった。それよりお前、自分の方がひでえ面してるぜ」


タツヨはリュウジィの枕元まで歩み寄ると、丸椅子を引いてどっかと腰を下ろした。


その元気そうな姿を視界に捉えた瞬間、リュウジィの胸の奥から、熱い塊がせり上がってきた。

 

異世界という孤独な場所で初めて出会った、同じ境遇の転生者。理不尽な力に抗い、共に過酷な時間を過ごした唯一の仲間。

 リュウジィの目から、一筋の涙が頬を伝って砂色のシーツに落ちた。


「なんだよ……泣いてんのか? 気持ち悪いぜ」

 

タツヨが茶化すように鼻を鳴らすが、リュウジィは構わず、視界が滲むのをそのままにした。

 言葉にならなかった。ただ、目の前に自分を理解してくれる者が生きているという事実が、今は何よりも有難かった。


「……よかった。生きててくれて、本当によかった」


「よせって。それより聞いたぜ。お前がオーガをぐちゃぐちゃにしたらしいじゃん。やっぱりお前は強いな」

 

タツヨはそう言って、痛むはずの顔を綻ばせた。その言葉には、純粋な称賛と、自分を救った男への信頼が籠もっていた。


「そうそう、身体が良くなったら、ヒルデガルドのお姫様が王宮に顔出せってさ。あっちも後片付けで相当忙しそうだが、主役を抜きにはできないらしい」

 

王宮、姫、後片付け。

次々に放り込まれる現世の事情を、リュウジィはぼんやりと聞き流した。空っぽになった胃袋が、不意に切実な音を立てた。

 リュウジィは天井を見上げたまま、ぽつりと呟いた。


「……和光のロースカツ食いてえ」


その場にそぐわない具体的な名詞に、タツヨが吹き出した。


「ははっ、和光かよ! あのサクサクの衣が恋しいか。だが、残念ながらこの世界じゃ無理だ。キングスネークのソテーで勘弁してくれ。味はまあ、鶏肉に近いらしいぜ」

 

タツヨの笑い声が、殺風景な診療所に響いた。

 現代の記憶を共有できる喜びが、過酷な現状を一時だけ忘れさせた。

 


数日後。

 リュウジィとタツヨの二人は、アズマリアの王宮へと続く坂道を登っていた。

 そびえ立つ外壁は、中世ヨーロッパの城塞を思わせる重厚な切り石積みだ。しかし、その頂部には赤瓦の屋根が乗り、せり出した軒先には龍の形をした魔除けの像が据えられている。


城門をくぐると、磨き抜かれた石畳の広場に出た。


正面に鎮座する正殿は、石造りの尖塔を持つゴシック様式の構造でありながら、外壁全体が鮮やかな朱色で塗装されている。


「……相変わらず変な城だな。石造りの首里城か、赤いノイシュヴァンシュタイン城か」


リュウジィの呟きに、タツヨが肩をすくめた。

 タツヨはまだ体に包帯を巻いている。


「和洋折衷ってレベルじゃねえな。だが、ようやく一区切りだ。大臣ピエールの失脚。あの野郎の計画も全部台無しだ」

 

リュウジィは無言で頷いた。

 元はと言えば、キングスフォーンで護衛をしていた姫を狙った刺客を撃退したことが始まりだった。


アズマリアとキングスフォーンの戦争を企て、暗殺者を送り込んだ黒幕。それを突き止めるためにこの国へ来たリュウジィにとって、今回の騒動の終着点は、目的の達成を意味していた。


長い廊下を抜け、官吏が重厚な装飾の施された扉を押し開いた。

 そこは高い天井を誇る謁見えっけんの間だった。

 

奥に設けられた上段には、ハーフアップにまとめたプラチナブロンドの髪を流した、ヒルデガルドが座っていた。紫色の瞳が、入ってきた二人を捉える。

 その傍らには、一人の男が控えていた。


アズマリア最強の剣士であり、騎士団長を務めるバルトロメウスだ。

 初老の域に達したその顔には、左の目尻から頬にかけて深い傷跡が刻まれている。

 二人の姿を認めたバルトロメウスは、右手を胸に当て、深く敬意を込めて頭を下げた。

 ヒルデガルドが静かに玉座から立ち上がり、二人を見据えた。


「……よくぞ来てくれた。アズマリアの国を代表し、貴殿らの物理的な強さと、その献身的な働きに心から感謝を」

 

凛とした声が広間に響く。


「キングスフォーン王女暗殺を画策し、両国の戦争をあおり立て、この国の実権を握ろうとしていた大臣ピエール。奴の野望をくじき、不正を暴くことができたのは、ひとえに貴殿らの働きがあったからこそだ。リュウジィ、貴殿が追っていた刺客の件だが、捕らえた骸衆むくろしゅうの証言から、すべてはピエールの差し金であったという確たる証拠が得られた。貴殿の推測は正しかったのだ」

 

大仰な感謝の言葉に、リュウジィは気恥ずかしさを覚え、頬を掻いた。


「……殿下。俺はただ、闘技場で戦っていただけですよ」

 

その言葉に、バルトロメウスが重々しく口を開いた。


「いいや、そうではない。ピエールはお前という存在を過剰に警戒し、その動向をマークし続けていた。奴の意識がお前に集中したおかげで、背後の監視が手薄になったのだ。その隙を突き、我ら騎士団は隠密裏に動き、ピエールの不正や骸衆との繋がりを暴くことができた。お前が表舞台で暴れてくれたからこそ、我々は現状を打破できたのだ」


ヒルデガルドは頷き、二人をまっすぐに見つめた。


「これでようやく、この国も本来の姿を取り戻せるだろう」

 

ヒルデガルドは一度言葉を切り、どこか遠くを見るような眼差しになった。


「……本来であれば、父上である国王自らが謝罪すべきところ。だが、周知の通り父上は今、病に伏せっておられる」


彼女の声には、一国の王女としての重責と、父を想う娘としての苦悩が滲んでいた。


「大臣ピエールの失脚で、国内のうみは出した。だが、キングスフォーンの王女を狙ったという事実は消えない。こちらの情勢が落ち着き次第、私が必ず直接キングスフォーンへ出向き、国王陛下に今回の暗殺未遂の件を謝罪するつもりだ」

 

ヒルデガルドは一段下り、リュウジィの目の前まで歩み寄った。プラチナブロンドの髪が、差し込む光を反射して白銀に輝く。


「リュウジィ。一足先に帰国する貴殿に、この件の伝言を託したい。我が国アズマリアにキングスフォーンとの戦争の意志はなく、すべての元凶を断ったと……貴殿の王に伝えてはくれないか」

 リュウジィは短く頷いた。


「……承知しました。そのまま伝えます」

 

その隣で、包帯まみれのタツヨが不敵に笑った。


「ま、そういうこった。リュウジィ、俺も約束通りお前の国についていくぜ」

 その言葉に、リュウジィは小さく口角を上げた。この過酷な異世界で、信頼できる仲間が共に歩んでくれる事実は、何物にも代えがたい。

 バルトロメウスが、腰の剣を鳴らして一歩前に出た。


「タツヨ。貴殿のような者がいなくなるのは惜しいが……リュウジィと共に歩むというのなら、それもまた運命か。道中、この男を頼むぞ」

 

バルトロメウスは再び深く頭を下げた。それは騎士団長として、そして一人の武人として、国を救った二人の男に贈る、最大限の敬意だった。

 朱塗りの王宮の向こう、水平線の彼方にリュウジィの帰るべき国、キングスフォーンがある。


二人はヒルデガルドとバルトロメウスに見送られ、潮風の吹く謁見の間を後にした。


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