↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46歳おっさんの形意拳が、異世界でチートになった 〜魔法も剣も届かない究極の拳法で、第二の人生を無双する〜  作者: 九条竜二


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/210

第76話:アズマリアの幕引き




深い闇の底から、ゆっくりと意識が浮上する。


 最初に戻ってきたのは嗅覚だった。鼻腔を鋭く突く強烈な消毒薬の匂いと、微かに混じる鉄錆の生々しい残り香。


 リュウジィが鉛のように重い瞼を必死に押し上げると、視界に入ってきたのは冷たい石造りの天井だった。


「……気がついたか」


 すぐ横から、低く枯れた声が響く。


 首を動かそうとしたが、全身の筋肉が激しく悲鳴を上げた。まるで巨大な鉛の塊にでもなったかのような重圧に顔を顰めながら、リュウジィはかすむ視線を声の主へと向ける。


 そこにいたのは、使い古された白衣を纏った一人の初老の男だった。


 深く刻まれた眉間の皺と、丸眼鏡の奥にある鋭い眼光。アズマリアの闘技場専属の治癒士(ヒーラー)である老練の男だ。


 男は手元の水差しからガラスコップに冷たい水を注ぐと、無愛想ながらもリュウジィの背中にそっと手を添え、不器用に上半身を起こさせた。


「無理に動くな。何か分からないが、体内のエネルギーを使い果たした影響で、お前の肉体は今、空っぽの器と同じだ」


 差し出されたコップの縁に唇をつけ、一気に水を喉へと流し込む。


 乾ききった身体に冷たい感触が染み渡り、じわりと生き返るような心地がして、ようやく人心地がついた。


 絞り出すような掠れた声で、リュウジィは短く問いかけた。


「……オーガは」


 治癒士の男は、やれやれとばかりに短く鼻を鳴らした。


「覚えてないのか?死んだよ。お前が文字通り肉片に変えたって、後片付けに当たった連中が真っ青な顔で報告に来たぞ」


「……そうか。死んだか」


 リュウジィは短く応じ、脱力したように背もたれへ体を預けた。


 命懸けだった死闘の記憶が走馬灯のように断片的に脳裏をよぎるが、あまりの疲労に現実味が湧かない。


 その時、診療所の重い木製扉がガタリと勢いよく開き、ひんやりとした廊下から荒々しい足音が近づいてきた。


「おい! リュウジィ、生きてるか!?」


 聞き慣れた、いつもの不敵で軽口な声が静かな部屋に響き渡る。


 入り口にふらつきながらも立っていたのは、タツヨだった。


 全身を生々しい分厚い包帯でぐるぐる巻きにされ、見るからに痛々しい姿ではあるが、そこに宿る気力は衰えていない。


 オーガの圧倒的な暴力に叩き潰され、あれほど過酷な死線を彷徨っていたはずの男が、不敵な笑みを浮かべてそこに立っていた。


「……タツヨ。お前、動いて大丈夫なのかよ」


 リュウジィの呆れたような問いかけに、タツヨは痛むはずの包帯まみれの腕を大袈裟に振ってみせた。


「治癒士のおっさんが優秀でよ。骨は何箇所か繋がったし、破裂した内臓も魔法で無理やり塞いでもらった。それよりお前、自分の方がひでえ面してるぜ」


 タツヨは歩み寄ると、枕元にあった丸椅子をガタリと引き、どっかと腰を下ろした。


 その紛うことなき元気そうな姿を視界に捉えた瞬間、リュウジィの胸の奥から、熱い何かがこみ上げてきた。


 異世界という、誰も頼れる者のいない孤独な場所で初めて出会った、同じ境遇の転生者。


 理不尽な運命と強大な力に抗い、共に泥水を啜るような過酷な時間を過ごした、たった一人のかけがえのない仲間。


 あふれる感情を抑えきれず、リュウジィの目から一筋の熱い涙が零れ落ち、砂色のシーツへと染みを作った。


「なんだよ……泣いてんのか? 気持ち悪いぜ」


 タツヨがわざと茶化すように鼻を鳴らして笑ってみせる。


 だが、リュウジィは涙を拭うこともせず、視界が滲むのをただそのままにしていた。


 言葉にしようとしても、喉がつかえて何も出てこない。


 ただ、目の前に自分を分かってくれる奴が生きている。


 その単純な事実が、今は何よりも有難くて仕方がなかった。


「……よかった。生きててくれて、本当によかった」


「よせって。それより聞いたぜ。お前がオーガをぐちゃぐちゃにしたらしいじゃん。やっぱりお前は強いな」


 タツヨはそう言って、痛む顔の筋肉を無理やり動かして笑った。


 その飾り気のない言葉には、純粋な称賛と、死地を共に潜り抜けた男への絶対的な信頼が真っ直ぐに籠もっていた。


「そうそう、身体が良くなったら、ヒルデガルドのお姫様が王宮に顔を出せってさ。あっちも後片付けで相当忙しそうだが、主役を抜きにはできないらしい」


 王宮、姫、後片付け。


 矢継ぎ早に放り込まれる現実の事情を、リュウジィはぼんやりと天井を見つめながら聞き流した。


 すべてを出し尽くして空っぽになった胃袋が、不意に、しかし切実な音を立てて空腹を訴える。


 リュウジィは天井の染みに視線を固定したまま、ぽつりと本音を零した。


「……和光のロースカツ食いてえ」


 その場に全くそぐわない、あまりに具体的すぎる名詞に、タツヨは思わず盛大に吹き出した。


「ははっ、和光かよ! あのサクサクの衣が恋しいか。だが、残念ながらこの世界じゃ無理だ。キングスネークのソテーで勘弁してくれ。味はまあ、鶏肉に近いらしいぜ」


 タツヨの肩を揺らす笑い声が、殺風景な診療所に温かく響いた。


 遠い故郷の記憶と、現代の味を共有できる確かな喜びが、二人の胸から過酷な現実の影をほんのひとときだけ忘れさせてくれた。



 それから数日後。


 傷の癒えたリュウジィとタツヨの二人は、重厚な石造りのアズマリア王宮へと続く緩やかな坂道を並んで登っていた。


 空を突くようにそびえ立つ外壁は、中世の城塞を思わせる無骨な切り石積みだ。しかし、その頂部には異国情緒のある赤瓦の屋根が乗り、せり出した軒先には魔除けを象った龍の彫刻が静かに据えられている。


 重い城門をくぐると、丹念に磨き抜かれた白亜の石畳が広がる大広場に出た。


 真正面に鎮座する正殿は、尖塔を持つ気高いゴシック様式の構造でありながら、外壁全体が鮮烈な朱色で美しく塗装されている。


「……相変わらず変な城だな。石造りの首里城か、赤いノイシュヴァンシュタイン城か」


 リュウジィの軽口の呟きに、タツヨは苦笑しながら肩をすくめた。


 タツヨの身体は、まだあちこちに白い包帯が巻き付いている。


「和洋折衷ってレベルじゃねえな。だが、ようやくこれで一区切りだ。大臣ピエール野郎の失脚。あの野郎が裏で仕組んでた計画も全部台無しだ」


 リュウジィは足を止めず、無言で力強く頷いた。


 元はと言えば、キングスフォーンで、護衛をしていた姫の命を狙った卑劣な刺客を撃退したことがすべての始まりだった。


 アズマリアとキングスフォーンの国交を裂き、戦争を煽るために暗殺者を送り込んだ真の黒幕。


 それを暴き出すためにこの国へ足を踏み入れたリュウジィにとって、今回の騒動の終着点は、長く険しかった目的の完遂を意味していた。


 衛兵に導かれて長い回廊を抜け、宮廷官吏が重厚な装飾の施された両開きの扉を押し開く。


 その先には、高い天井を誇る格式高い謁見の間が広がっていた。


 奥に一段高く設けられた玉座には、美しくハーフアップにまとめたプラチナブロンドの髪を気高く流したヒルデガルドが静かに座っていた。


 冷徹なまでの透明感を宿した紫色の瞳が、扉から入ってきた二人をまっすぐに見据える。


 その傍らには、一歩引いた位置で主を守るように一人の男が控えていた。


 アズマリア最強の剣士と謳われ、王国騎士団長を務めるバルトロメウスだ。


 初老の域に達したその歴戦の顔には、左の目尻から頬にかけて刻まれた深い古傷が、武人として歩んできた壮絶な歴史を物語っている。


 二人の姿を認めたバルトロメウスは、右手を胸元にきっちりと当て、揺るぎない敬意を込めて深く頭を下げた。


 それを合図にするように、ヒルデガルドが音もなく玉座から立ち上がり、二人を直視した。


「……よくぞ来てくれた。アズマリアの国を代表し、貴殿らの圧倒的な強さと、我が国のために尽くしてくれたその献身的な働きに心から感謝を」


 凛とした気高さを持つ声が、静まり返った広間に心地よく響き渡る。


「キングスフォーン王女暗殺を画策し、両国の間に戦争の火種を煽り立て、この国の実権を我が物にしようとしていた大臣ピエール。奴の底知れぬ野望を挫き、その不正の数々を明るみに出すことができたのは、ひとえに貴殿らの命懸けの働きがあったからこそだ。リュウジィ、貴殿が執拗に追っていた刺客の件だが、捕らえた骸衆の口から漏れた証言により、すべてはピエールの差し金であったという確たる証拠が得られた。貴殿の推測は正しかったのだ」


 大仰なまでの感謝の言葉に、リュウジィは気恥ずかしさを隠せず、無造作に頬を掻いた。


「……殿下。俺はただ、闘技場で目の前の敵と戦っていただけですよ」


 謙遜するリュウジィに対し、バルトロメウスはゆっくりと首を横に振り、重々しい口調で告げた。


「いいや、そうではない。ピエールはお前という規格外の存在を過剰に危険視し、その動向を常にマークし続けていた。奴の狡猾な意識がお前に集中したおかげで、背後の監視や工作が手薄になったのだ。そのわずかな隙を突き、我ら騎士団は隠密裏に動き、ピエールの不正や骸衆との黒い繋がりを完全に暴くことができた。お前が表舞台で死力を尽くして暴れてくれたからこそ、我々は膠着した現状を打破できたのだ」


 ヒルデガルドも静かに頷き、二人をまっすぐに見据え続ける。


「これでようやく、この国も腐敗した殻を脱ぎ捨て、本来の正しい姿を取り戻せるだろう」


 ヒルデガルドは一度言葉を切り、どこか遠くの空を見つめるような憂いを帯びた眼差しになった。


「……本来であれば、父上である国王自らがここに立ち、貴殿らに直接謝罪すべきところ。だが、周知の通り父上は今、病に伏せっておられる」


 その声の震えには、一国の王女としての重責と、病床の父を案じる娘としての拭えない苦悩が滲んでいた。


「大臣ピエールの失脚で、国内にはびこる膿は出し切った。だが、隣国キングスフォーンの王女を暗殺しようとしたという重い事実は消えない。こちらの情勢が完全に落ち着き次第、私が必ず直接キングスフォーンへ出向き、国王陛下に今回の暗殺未遂の件を誠心誠意、謝罪するつもりだ」


 ヒルデガルドは玉座の階段を一段下り、リュウジィのすぐ目の前まで歩み寄った。


 プラチナブロンドの髪が、窓から差し込む陽光を反射して白銀の光を放つ。


「リュウジィ。一足先にこの国を離れ、帰国する貴殿に、この件の重要な伝言を託したい。我が国アズマリアにキングスフォーンとの戦争の意志は一切なく、すべての元凶を断ったと……どうか、貴殿の国の王に伝えてはくれないか」


 リュウジィは真摯な瞳を見返し、静かに頷いた。


「……承知しました。そのまま伝えます」


 その隣で、包帯の隙間から覗く目を細めながら、タツヨが不敵にふっと笑った。


「ま、そういうこった。リュウジィ、俺も約束通りお前の国についていくぜ」


 その頼もしい言葉に、リュウジィは小さく口角を上げた。


 この先が見えない過酷な異世界で、背中を預けられる信頼できる仲間が共に歩んでくれるという事実は、何物にも代えがたい救いだった。


 バルトロメウスが、腰に下げた剣の柄を鳴らして一歩前に歩み出た。


「タツヨ。貴殿のような優れた者がこの国を去るのは実に惜しいが……リュウジィと共に新たな道を歩むというのなら、それもまた天意か。道中、この男を頼むぞ」


 バルトロメウスは再び深く頭を下げた。


 朱塗りの美しい王宮の向こう、見渡す水平線の彼方には、リュウジィが再び帰るべき故郷の国、キングスフォーンが広がっている。


 二人はヒルデガルドとバルトロメウスの温かい見送りを受けながら、謁見の間を後にした。


 王宮の外へ出ると、心地よい潮風が二人の頬を撫でていった。



お読みいただき、本当ありがとうございます。もし気に入っていただけましたら、作品のブックマークや、下の星(☆☆☆☆☆)で応援をお願いします!次の更新の大きなエネルギーになります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。